紙芝居

                                

 考えてみれば、日本には素晴らしい紙芝居の伝統があって、とても身近なものなのに、そしてまた今紙芝居が見直されて来ているのに、紙芝居って一体何なんだろう? 魅力の本質は何なんだろう? どんな風にして生まれてきたんだろう? こういう紙芝居を巡るあれこれについて深く考える、って今までされて来なかったんですね。大道芸ということで軽視されて来たのでしょうか。
 紙芝居についての研究がしっかりされて行けば、私たちはもう一度、新たに紙芝居を私たちの誇る素晴らしいコミュニケーションの形として
取り戻し、子どもたちに紙芝居の本当の魅力を伝えて行けるし、私たちもその魅力を味わえるようになりますよね。
 
 紙芝居の素晴らしさが日本中に広がったら、そしてさらに世界の子どもたちにもこの素晴らしさを伝えられたら、すてきだと思いませんか?
 それを目指して、2001年の12月に設立された会があります。
 「紙芝居文化の会」です。

 
 紙芝居文化を世界に広げようと活動していらっしゃるオランダ児童文学翻訳家、野坂悦子さんと、彼女が発起人の一人になって昨年の12月に立ち上げた「紙芝居文化の会」をご紹介したいと思います。

 *野坂悦子さんから昨日(2003年5月7日)、「紙芝居文化の会」の公式ホームページができましたというメールを頂きましたので、こちらにご紹介します。  http://www.studio.co.jp/kamishibai/ です。

これに従って、今までの「紙芝居文化の会紹介のページ」を閉じましたので、どうぞ会の公式ホ−ムページをご覧下さい。 

  

絵本の読み聞かせと紙芝居  

 掲示板に書き込んで下さったみねこさんから、絵本の読み聞かせと紙芝居についてのお便りが届きました。紙芝居の演劇性、絵本の読み聞かせの親密性、一見似たように見える「紙芝居」と「絵本の読み聞かせ」の特性をとても分かりやすく書いて下さいました。長いので、読みやすくするために、小さなタイトルをつけました。  

                       
<紙芝居は演劇的>               

紙芝居に関しては掲示板で管理人様のおっしゃっている通り、また「紙」「芝居」とあるように字義通り演劇的である、と思います。絵の助けを借りて、かつては紙芝居のおじさんが舞台の横で、演じ手、語り手の役割を一手にひきうけていたのでしょう。紙芝居では演劇での場面転換にあたるような劇的な展開が一枚の絵をすっと引くことによってされますし、また場面によってはゆっくりと途中まで引いて気をもたせる、間をつくるというようなこともありますよね。紙芝居の絵は演じ手の背景にもなり、又絵で描かれている主役がクローズアップされることもある。
 掲示板での管理人様の「絵になった舞台を語る演劇」は言い得て妙です。そして演劇であるからには、絵がいつも同じだとしてもあくまでもその場は1回性を持った祝祭空間、ハレの日としてあるとも思えます。紙芝居のおじさんが、おじさんのテンポとタイミングで(もちろんライブなのでその場の子どもたちの空気を微妙に感じとってですが)演じればその場にいる子たちはそのテンポにのっていくことを楽しむことになるのですよね。
 そして、今子どもたちが日常的に紙芝居を経験するのが、幼稚園や保育園で、です。 そこで先生や保母さんによって子どもたちに紙芝居が演じられている時、はたして絵本の読み聞かせとの質的な違いについての認識がどこまであるのかしら、という疑問もあります。  


<読み聞かせの原点>  

Cafeでの最初のテーマ「読み聞かせ」にもつながってくるのですが、私個人としては絵本や物語を共有する希有な経験としての「読み聞かせ」(これももっとふさわしい言葉がないのかしら、といつも思います。)は本来さかなさんのおうちで上のお子さんがさかなさんの手をぎゅうとにぎり、さかなさんと共にあるという安心感をもらいながら主人公共々冒険の旅にでかけ、ふうぅという大きな息と共に帰還したように、肌触れ合いながら、親しい人との親密な時間としてあるものだと思っています。  


<絵本の特性・紙芝居の特性>

絵本が紙芝居と決定的に違うのは、まず絵本の本としての特性、いつでもお気に入りのページを開くことができるし、子どもたちが絵に見入り立ち止まるようなことがあれば、そのページにはどれだけ長い時間を費やしてもかまわないという点でしょう。

それと紙芝居の絵は遠目に見て一目でそれとわかるように舞台の枠組みという制約の中で描かれるのに比べて、絵本の絵には文章が言外に表しているような状況や背景、生活のディテイルを画家の裁量で書き込んだものが多くありますし、ページをまたいでの表現も可能です。
 良く言われるように読むことに気をとられている大人が見逃してしまうような様々な情報を子どもたちの方が絵本の絵から確実に読みとっています。
 これは店頭でお父さんやお母さんに絵本を読んでもらっている子どもたちを見ていて、また私自身の娘たちとの経験からも実感を持って言えることです。
 


<絵本の特性を生かす読み方>

さかなさんも、うたうしじみさんも「静かに、普通に」「淡々と」読む、とおしゃっていますよね。
 声色や演劇調の読み方は受け止める側の子どもたちが自由にイメージを作り想像をふくらませることを阻む可能性を孕んでいるのではないかしら
絵本の大きさはまちまちです。
 絵本作家と編集者がそのお話と絵にふさわしい、大きさ、形(縦長、横長、ほぼ正方形の等)を検討した結果です。
 ここで想定されているのは、家庭での読み聞かせ、あるいは子どもたちがページを繰るものとしての絵本だと思います。

たくさんの子どもたちを前にしての読み聞かせには、そう言った意味でおのずと制約ができてきます。読み聞かせボランティアなどされている方の選本、幼稚園の先生や保育園の保母さんの選本をみていると遠目に見えにくい本は敬遠されるし、静かな世界を静かに味わうことも何十人も一緒ではむずかしいと遠ざけられます。
 現場のかかえる実状から絵本の価値をとらえ、一度にたくさんの子どもたちが惹きつけられるような絵本が良い絵本とされかねない現状に危惧を感じています。
 

最近では図書館や家庭文庫でも「子どもたちは紙芝居を喜ぶから」と紙芝居が読まれます。紙芝居は紙芝居なりの独自の楽しみがあり、そこには「演じる」要素が入ってくるはずです。読み聞かせを声色を使って演劇調ですることに私はとても抵抗があります。

絵本の一場面をそのまま一枚の紙芝居に仕立てても質の良い紙芝居にはならないのではないでしょうか。(2002.4.1.  みねこ)  

 

絵本は本来個人との親密な関係に向けられて描かれたもので、どれだけの時間一つの絵の世界にいてもいい。そして読み手は、自分でも言葉の響きが生み出す世界を味わいながら、聞き手との親密な心の交わりを持つのが原点。だから演劇的な読み方は、かえって本来の楽しみ方を損なわせてしまう。
 それに対し紙芝居は絵となった舞台なのだから、読み手も演劇としての認識をしっかり持った上で、演じなければいけない。
 たくさんの子どもたちへの読み聞かせを紙芝居と同じように考えて、紙芝居的な効果を上げられるのがよい絵本、のように選択の基準を決めてしまうのは、絵本の本来の魅力を排除することにつながってしまい危険、というご意見には、目を開かれるような思いがしました。本当にそうですね。確かに、絵の性格が全然違いますよね。   


<本質を生かす読み方>

そうなると紙芝居を単にたくさんの子どもにしてやれる読み聞かせではなくて、演劇的要素を持った、「紙」に描かれた「芝居」としての本質をしっかり捉え、その上で、それをもっともよく引き出す技術を身につけていく必要がありますね。

 「なぜ子ども達が紙芝居を喜ぶのか」も、絵本と区別してしっかりつかまないといけないですね。もしかしたら子どもたちは、紙芝居の本質と絵本の本質の違いを、感じ取っているのかも知れません。「紙芝居文化」の研究が必要とされる所以ですね。 

おっしゃるように絵本の魅力を辿っていってみると、絵本の読み聞かせは、まわりにすわって一緒に見られるくらいの少人数でするのが、本来の絵本の魅力を味わえる読み方なんだ、ということがわかります。そうすれば、絵本に独特の読み手と子どもたちの間の親密で温かい空間を保つことができますね。


<お話活動>

 日頃本に触れる機会の少ない子どもたちに、読み手とともにお話の世界、言葉の響きを味わいながら想像力の世界に遊ぶ楽しさ、本の世界の素晴らしさを伝えたいと、学校や図書館での読み聞かせに参加している方たちはきっとたくさんいらっしゃると思います。 

子どもたちにお話の世界に遊ぶ深い歓び、それは想像力を羽ばたかせることの歓びに他ならないと思うのですが、その歓びを知ってもらうには、絵本の特性、紙芝居の特性をしっかりつかんだ上で、その本質を伝えるにふさわしい条件や環境を整えていく必要がありますね。
 魂を揺さぶられる体験、魂の旅をお話の中ですることで、想像力が発達し、心が成長し、その結果として「思いやりのある子」や、「困難に立ち向かっていける子」が育っていくのだと思いますが、魂を揺さぶられるような体験は、それぞれの芸術形態がその本質に最もふさわしい形で与えられてこそ可能だと思うのです。
 

読み手が足りなかったり、両者の本質をしっかりとつかんでいないと、たくさんの子どもたちを喜ばせるために、どうしても劇的効果の高い絵本を選ばざるを得なくなってしまいますね。そしてそういう絵本だけがいい本と言うことになると、今度は本当によい本が評価されなかったり、絵本の本当の楽しみそのものが失われていく危険に、つながってしまうことになりますね。

絵本の読み聞かせをする時には、一クラスの読み聞かせに何人かの読み手が参加して、一人の読み手を数人の子どもたちが囲んで聞ける環境が作れたらいいですね。そうしたら、子どもたちは絵本特有の絵のニュアンスも味わえるし、読み手の声の響きも、すぐそばで感じられます。本当は少人数で読み聞かせをしたい、と願っている方たちも、きっと多いのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

少人数の親密な空間で味わう絵本。劇的空間を楽しむ紙芝居。それぞれにふさわしい読み方・語りかたと、聞き手の人数、空間の設置が得られたら、その楽しみはもっともっと大きくなって行きますね。読み手側にもそのためのしっかりした認識が要求されると思います。

比較的たくさんの子どもたちとの交流を図るには、「紙芝居」と並んで、語りや朗読の方が向いているのかも知れませんね。もちろん語りや、絵のない本の読み聞かせ(朗読)についてはまた別の考察が必要になってきますが。 

実際に図書館や学校でお話活動(絵本の読み聞かせ、朗読、紙芝居、語りなどを含めた)をなさっている方々は、活動の中で何を得ていらっしゃるでしょうか。
 さかなさんやうたうしじみさんのように、お話と関わるのは子どものためであると同時に、必ず語り手にも得るものがあるはずだと思います。それぞれの芸術形態を表現する喜びは、また表現することによって得られる歓びはどんなものなのでしょうか? 
 どなたか、私はこれが嬉しくってやってるのよ、これが楽しくって!という秘密をそっと明かして下さいませんか? 脳の言葉ではなくてハートの言葉。ずっと前からこれを聞かせて欲しいと思っていました。学校や図書館での活動と言うと、子どもたちが自主的に本を読むようになりました、といった面ばかりが表に出されて、活動している方々自身の歓びがなかなか伝わってこないような気がするのです。

 

                           
 
 お話活動


 こう書いたら、みねこさんから嬉しいニュースが届きました。

自分でも絵本の世界を楽しみながら、その楽しさや嬉しさを子供に手渡していこう、と活動を続けているすてきな文庫を発見しましたよ!というお知らせでした。
 
 それが「おひさま文庫」でした。そして主宰者はおひさまさん。
 
 おひさまさんはホームページで、「お話し会の開き方」や「絵本の読み方」を、明日からでも始められるくらいに具体的に、そしてとてもわかりやすく、親しみやすく、紹介しています。
 ここを読むと、おひさまさんがページのめくり方ひとつを取っても、絵本に接しながら、今子どもがふくらませている想像の世界を、とても大切に考えていらっしゃることが、よくわかります。
 そして絵本の世界で子どもと一緒に想像力の世界を広げていくことは、日々の生活の中で、子どもたちが嬉しかったり、悲しかったりする一つ一つの出来事や、自然の中での小さな発見の驚きを、大人が正面からまともに受け止めて行くことと結局は同じこと、と言ってらして、私はもうれつに嬉しくなってしまいました。感情世界を共有するところから、心の絆が生まれていくんですね。

嬉しくなった私は、おひさまさんに、「Cafe」でおひさま文庫をぜひ紹介させて頂けませんか、というお便りを出しました。すぐにおひさまさんから返信が届きました。
  おひさまさんは、おひさま文庫の活動の楽しさをこんな風に書いて下さいました。
  

                           
<文庫活動の楽しさ>

おひさま文庫は、とっても素朴なグループで、母親ならではの
読み聞かせというか、それを、グループで、楽しんでるという文庫なんですよ。

こんな文庫ですが、紹介していただけると嬉しいです。

おひさま文庫を通り過ぎて行った子ども達は、

幼稚園に入り、小学生になり、中学生になり、
一番大きい人たちは、お父さん、お母さんにもなっています。


そして、たくさんの方が
「文庫に行ってなかったら、絵本でこんなに楽しい時間が
 過ごせるって、知らなかった。
 文庫で出会った、お友達は、今でも仲良く、お付合いしています。」
とおっしゃるのを聞いて、
こんな楽しさが、絵本を中心に、簡単に、誰にでもできるのだから

あちこちで、『文庫や、おはなし会をしませんかぁ〜〜。』って

声を大にして、言いふらしたい気分です。(2002.5.15. おひさま)


 心がつながってる、っていう気持ちは、こんなに長い長いこと私たちを幸せにしてくれるんですね。
なんだか読んだ私たちまで、「わ〜っ、こんなお友達が欲しい!」って思ってしまいます。
 翌日、もう一通のお便りが届きました。

                                                               

子どもと大人の絆作り>

>どなたか、私はこれが嬉しくってやってるのよ、これが楽しくって!
>という秘密をそっと明かして下さいませんか? 
>脳の言葉ではなくてハートの言葉。
>ずっと前からこれを聞かせて欲しいと思っていました。

とおっしゃる、あけみさんの言葉を、とっても嬉しく読みました。

おひさま文庫のことを、聞いて聞いて〜、って思ったのです。

みねこさんが、
「絵本の読み方」の@のところで「心をこめて」と、あるのも我が意を得たり
と思い、嬉しかったのですよ。

と言って下さる言葉にも、にっこりしています。
同じ気持ちを確認しあえるって、これほど力強いことって
ありませんものね。

>文庫連絡会などで、朗読のプロを読んで講座
>を設定したりすることに多々疑問を感じていました。

わかります。
私も、勉強はするけれども、それを生きた実践として
子どもと(いえ、大人も)共感するということを
出し惜しみする方もいらっしゃると思います。

今まで、読み聞かせ(ほんとに、なにかよい表現はないのかしら)
のよさを、「○○だから、いい。」とか「○○のためになる。」とか
の理屈を先に持ってくる、おはなし会などの企画は
たいがい、続かないで、おしまいになっている事が多いような気がします。
(私の知ってる限りですが・・・。)

それにくらべ、理屈よりも、だた、単純に楽しい。嬉しい。

絵本がおもしろい。好き!
ということを、感じながら、開いているおはなし会や文庫は
長く引き継がれているように思います。

それは、開く側(主に大人ですが)にとって、

楽しさがエネルギーになっているからかも知れませんね。
それに、読み手も、楽しいのだから、読んでやってるという
しんどさがないですね。
子どもは、押し付けがましいことに、敏感なので
読み手が、下心がないと、子どもも心を開いてくるし
それによって、お互いに、一緒に手をつないで
絵本の扉を開いて、その世界にいこう!となるでしょう。


おはなし会や文庫などに、何日か通った子が
そんなに深い付き合いがない、私などにも
とっても親しげな、暖かい視線で、近づいて来てくれるのは
ほんとうに、お話のおばちゃん冥利に付きます。
絵本様々です。(^^

「絵本はたのしい♪絵本はともだち!」とわかり始めると
子どもが変化していきます。
そして、その嬉しい変化に、大人のほうも変化していきます。

今回私は嬉しい発見をしました。
あけみさんのCafeを読んでいて
そうなんだ♪と思ったことがありました。

今まで、
大人が子供に絵本を読み聞かせることによって
子どもと絵本の掛け橋を、しているように、思っていました。

でも本当は、子どもと一緒に絵本を読むことで
大人が一人では、なかなか入れない世界に、
一緒に連れて行ってもらうのかもしれない・・・
と思いました。 
 
私は、子どもに手を引いてもらって
絵本の扉を開いて、そっと足を踏み入れるところを
想像して、嬉しくなりました。           (2002.5.16.  おひさま)

 


 そうですよね。ひょっとしたら私たち大人は、「分別」をわきまえてしまったので、もう大人になったのに絵本が楽しいなんて、堂々と言うのはなんか恥ずかしい、と心のどこかで思ってしまっているのかも知れませんよね。
本当は自分が乗りたいのに、子どもの付き添いよ、って言わないと、ジェットコースターに乗れないみたいに。
 
それならじゃんじゃん子どもと一緒に、楽しんでしまえば、私たち大人も、「そうだよね、楽しいことは誰にだって楽しいんだよね!」って、大人のよろいかぶとが脱げるのかも知れない。そしてそのよろいかぶとを脱ぐのも一緒に、楽しんでいらっしゃるのでは? きっと、それもおひさま精神なんですよね!

 お話し会に何回か来てくれた子が、それだけでとっても親しげで、温かい視線を向けてくれる、というおひさまさんの言葉を読んで、学生だった頃の小さな体験を思い出しました。
 
 駅を下りて道幅が割と狭い商店街を歩いていました。車の通りは激しくはありませんが、ちょこちょこ入ってくるので、注意が必要です。
 お店の子だったのでしょうか、道端に2歳くらいの子がすわって遊んでいました。ふと見ると車が入ってきたので、その子に近づいて、「ほら、見てごらん。ブーブーがこっちへ来るよ。危ないから、こっちにすわろうね」と言って、その子と一緒に座って車をやり過ごしてから、じゃあね、バイバイ、と言って、歩き出したら、その子が突然立ち上がって、大きく手を振りながら、とっても親しみを込めた大きな声で、「バイバーイ!」と、言ってくれたのです。
 
 もうすご〜く嬉しくて、幸せで、家に着いても心はずっとスキップしていました。ほんの短い時間だったのに、鮮やかに心に刻まれて、忘れられない体験です。

 

 私たちだって、こんなに楽しい活動をしていますよ、私はこんなすてきな文庫を知っていますよ、という方がいらしたら、ぜひぜひお知らせ下さい。
たくさんの方たちに知っていただきましょうよ!
 
こんな文庫が日本中に広がって、子どもと大人のきずな、子ども同士、大人同士のきずながしっかりできていったら、どれだけ毎日の生活が
楽しくなることでしょう。文庫活動ができなくたって、家で一緒に本を読む、子どもの感情世界をそのまま受け止める努力をする、
こちらも大人のよろいかぶとをかぶったまま、子どもに接しないように努力することなら、誰でも、今すぐ始められますよね。
無理をせず、自分のできるところで、できるだけのことを、誠意を込めてしていきたい、と思います。

 

 

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