・思うこと・


    

1.旅

毎夏の旅の始まり  
 

私はちょっとやっかいな持病を抱えているので、パワー総量が少なく、 夏の蒸し暑さにも冷房にも弱くて、ひどく夏バテしてしまいます。
  97年の夏でした。夏バテが引き金となって足の筋肉の内出血が化膿し、敗血症になりかかって、丸一ヶ月入院するはめになりました。
「心配したよ、たまたま使った抗生物質がうまく当たったからよかったけど、それでもあと3日遅かったら危なかったよ。人間てけっこうコロリといっちゃうもんなんだよ」、と主治医に言われました。どうということのない些細なことが原因で生命の危険にさらされてしまったことに、ドキッとしました。
 そこでそれ以来、夏はどんなことをしても日本脱出を図ることにしました。いわば生き延び作戦です。

それにどちらにしろ働かなければ収入はないのですから、辛い思いをした上にさらに入院費を払い、バテバテになりながら日本で生息しているより、その間日本を脱出して体力消耗を防ぎ、同時に体力回復も図りながら、旅の非日常の中で心身をリフレッシュする方がよっぽどお金が生きるし、私も生かせる、というものですよね。
 私はなぜかヨーロッパアルプスの海抜千メートル位の土地に滞在すると、突然元気になります。これは色々な土地に休暇に行って体験的にわかったことです。それに私はもともと山の自然の中にいるととても幸せ!人間ですから、もちろん旅の中心はアルプス山間地での滞在です。千メートル位の高さだと赤血球が増えることは医学的にも証明されているようですが、どうやら気圧だけではなくて、空気の質も大きく影響するらしいのです。
 
 
でもせっかく行くのです。ドイツ語のブラッシュアップも、友人たちとの再会も、新しい土地を訪ねるのも、ぜ〜んぶやってしまうことにしました。とにかくドイツ語が聞きたい、ドイツ語の響きの中にいたい!大好きなウィーンの街を歩きたい!友人たちに会いたい!オペラや演劇も見たい!これをぜ〜んぶやってしまうことにしたのです。

         * * *

 

                       

98年夏、帰国以来、初めてオーストリアの田舎に滞在しました。ここは海抜800mほどの小さな山村ですが、ウィーンからは車なら2時間位で来られます。昔何度も来たことがあって、よく知っています。この時は体調がよくなかったので、思い切って二ヶ月間滞在することにしたのですが、そんなに長いこと、それも一人で滞在なんて初めてでしたから、寂しくなるんじゃないかしら、と正直言ってちょっと心配でした。ところが、ところが!

目にも耳にも心にもストレス過剰の都会を離れ、日々の生活のストレスからも解放され、ただただ溢れる自然と新鮮な山の空気の中で、心の赴くまま、気のむくまま過ごすことの、何という心地よさ! 総パワーの少ない私は、都会の忙しい生活テンポについていくには、かなり無理をしなければならないのに、ここでは自分の生理的テンポそのままで過ごせます。

ゆっくりと眠り、遠くから響いてくるカウベルの音を聞きながら、おいしいコーヒーとゼンメル(プチパンの一種)の朝食を取る。好きな本を読み、好きな本の翻訳をし、食料品の買い物がてら散歩、テレビではニュース、ドキュメンタリー、映画、ディスカッション番組とドイツ語に触れる嬉しさを味わう。眠る前には静かな闇の中で大好きなベートーベンのピアノソナタを心に吸い込むように聞く。この時でした。ああ〜、なんていい気持ちなの!って心が言ったのは。今まで一度も味わったこともなかった解放感でした。

ウィーンからも次々と友人が訪ねて来てくれました。湖へ遊びに行ったり、一緒に食事に行ったり、料理の腕を振るって、私のところへ友人たちを招待したり。 同宿の人たちとおしゃべりをしたり、一緒にワインを飲んだりもしました。
 ウィーンでは友人たちに会い、大好きな旧市街を歩き、お気に入りのカフェーハウスでケーキを味わい、9月には劇場シーズンが始まるので、オペラや演劇を楽しみました。

  この最初の体験で、生き延び作戦から始まった夏の旅は、いっぺんに私の生活に絶対に欠かせないイベントになってしまったのです。この楽しみがあるからこそ、後の時期のストレスだらけの大都市生活も耐えていける、もうこれがなかったら生きていけない!と思うほどの楽しみになってしまいました。(2002.4.14)




楽しい旅の秘密
     


 私の旅の秘密をお教えしましょうか?  まずはたくさん友人がいることでしょうか、そして彼らが家に招いてくれること。 家が広いことが前提条件になっているとは思いますが、 気が合うと思ったら気軽に家に招いてくれます。 日本人のように生活が忙しくないこともあるでしょう。

 あ、でも一つ大切なことがあります。 人の家に泊めていただくのは、向こうから、いらっしゃい、泊めてあげる!と 言ってくれた時に限ること。
  相手にだって事情があります。
 
まだそこまでオープンになれない、と感じているのかも知れません。
 
空いている部屋がないかも知れません。
 
仕事が忙しいかも知れません。
 
小さな子どもがいるかも知れません。
 
舅、姑あるいは実の親の介護に行かなければならないのかも知れません。
 
そんな時に無理に泊めてもらったって、楽しい旅になるわけがありません。
 
それなら家を訪ねるとか、外で食事やお茶を一緒にするとかして、再会を喜び、 楽しい語らいの時を持てばいいのです。 一緒にどこかへ行くのもいいですね。
 
とにかく自分も相手も心に無理をしないで済む方法を取ります。それが楽しく過ごす一番の秘訣です。

招いてくれた時は、相手に寄りかからず自分で行動すること。相手の経済的、精神的負担にならないよう、 最初から自分はこうしたい、いついつどこに行くつもり、 あなたとはたくさん話がしたいとか、一緒にどこに行きたいとか、 相手の都合も聞きながら、前もってはっきりと連絡すること。  相手の好み、関心などをよく考えて、あるいはわからなければ 日本からお土産を持っていきたいのだけれど、 どんなものが嬉しいですか、と聞いて、できるだけぴったりの おみやげを持って行って、招いてくれる好意への感謝を表わすこと。  どこかを案内してくれたりした時も、相手の負担になりすぎないよう、 お礼にこの食事はご馳走させてね、というように調整すること。

 要は、お世話になろうではなくて、 一緒に楽しく過ごそうと言う気持で接すること、だと思います。  向こうも楽しみにしていてくれてパーティを開いてくれたり、 案内してくれたりする、そういう相手の厚意は遠慮せずに受けて、 思い切り楽しんで、そしてその嬉しさをきちんと表現すること。

こうすれば招いてくれた人ともべったりすることもなく、 それでいてできる範囲で自然に示してくれる親しさは喜んで受けて、 もっとお互いを知ることができるし、旅が何倍も楽しくなります。 友人の輪が広がることもよくあります。 こういう風にして得られた友人たちとのそして新しく知り合った人たちとの 触れ合いは本当に嬉しく、楽しくそして貴重なものです。 毎夏旅に出るたびにこんなすてきな友人・知人との輪が深まり、 広がっていきます。 そして私はその度に友人達からたくさんの心の財産をもらって、ずっと豊かにされて戻ってくることができます。(2001.10.25)   


え?一泊千五百円?!
 

  私はいつも行くオーストリアの村では、いつも同じ宿の同じ部屋に泊まります。無名の小さな村の三軒分しかないリゾートマンションで、広さは35u、たっぷりした寝室に、アルプスの田舎風内装の愛らしいダイニングリビング、食器や調理用具つき、ケーブルテレビつき、それにバス、トイレつき。(このHPの表紙の写真は、実はこの宿のダイニングリビングから庭を見たところです)
  これで一泊三千円弱(二人用の部屋に一人だからと交渉した)でも安いと思うけれど、今年請求書を見たらなんと半額になっていたのでびっくり! 一泊千五百円よ、信じられます?!
   まだ円が高いので実質は千二百円くらいかも知れない。
   考えてみると、どうも昨夏のお詫びと言うことだったみたい。 

  昨夏、最後の一週間ほど浴室の配管のどこかに開いた穴がかなり大きくなり、風呂のお湯を流すと浴室中大洪水!
   宿の女主人に話したのだけれど、向こうの人ならカンカンになって怒るところを私はごく普通に話したためか、彼女はそれほどせっぱつまった状況だとは思わなかったらしく、「もうすぐ滞在も終わりだから、あなたが帰ってから修理する」と言う。
    まあ、もう何回もお風呂入るわけじゃないし、暇もあるし、ま、いいか、とOK
    日本のお風呂場のように床に排水口がないので、お風呂に入る度に大きな雑巾を何十回も絞っては、たまった水をトイレに流していました。
    で、彼女は修理する段階になって、洪水のすごさを認識して驚愕したらしく、クリスマスには、「大変失礼しました」とお詫びのカードが。 

   私は間取りも内装も環境もとても気に入っているし、他の土地と比べても安いし、もう村の人たちとも知り合いだし、健康食を食べたい私には料理ができるというのは長期滞在には欠かせないし、何より朝、決まった時間にきちんと身支度をして朝食に出て行かなければいけないというのが、とてもいやだし、優雅にのんびりとバロックなど聞きながら好きな時間に朝食を取りたいので、つまり、私の要求を全て満たしてくれる宿なので今年もまた予約したわけでしたが、思わぬ大得をしてしまったというわけでした。 

 自炊だから食費も安くて済みます。また朝食つきペンションでも、宿泊客は一般的に昼はレストランに行くけれど、夕方は近くのスーパーで買ってきたワイン、ビール、ジュース、それにソーセージ、チーズ、パン、切るだけで食べられる野菜などを食べて済ませるのが普通です。夕食は火を通さないもので簡単に済ませるのがドイツ語圏の習慣なので、ペンションには必ずと言ってよいほど共同冷蔵庫がついています。
  宿泊費は朝食つきペンションでは二人部屋ならシャワ―、トイレつきで一人一泊1800円から2500円くらい。町だともちろんもっと高いですが。 

 あと鉄道の様々なトクトク切符サービスを利用すること。安い旅はその気になればできるものです。それから本当に行きたいと思ったら、無理しても時間を作ることです。
  暇ができたら行こうなんて思っていたら、絶対に暇はやってきません。結局は優先順位の問題です。そしてその旅のために別の面でデメリットが出ることも覚悟の上で。 

 だって、旅に出ればそんなデメリットなど問題にならない、メリットなんて言ったら申し訳ないような、素晴らしい宝が得られるんですから。 

 近いうち、お二人で憧れのイタリアの旅を実現されてはいかが? ぜひ行って来てください、きっと病みつきになりますから。安くて楽しい旅実現のアドバイス致します。 

 向こうに友人がいないですって?
 最初の旅でできますよ、きっと。(2001.10.25) 

 





2. 2001秋


 

 ヴィルヘルミーネの丘

 

            

   昨夏から心に焼きついて離れないウィーンの風景がある。
   
ヴィルヘルミーネの丘から見たウィーンの街。
   
丘の上に今はホテル・レストランになっている小さなお城があって、
 庭園からウィーンの街が見渡せる。




 

すぐ下にはブドウ畑が続き、緑の中に点々と古いお屋敷。

  
下るにつれてだんだんと家々がその数を増しながら、
 美しい街並みに連なって行く。
   
その上は広い広い青空ばかり。
 
ウィーンの街は広い大地にほんの少しの場所を取って、
 
人間が作り上げた自然との共同作品。
 
立っている私の足下は緑の草原。後ろに広がるのは樫の森。

 
カーレンベルクからも レオポルドベルクからも
ウィーンを見渡すことはできる。

 
でもここからのウィーンは一幅の絵のように優しい。
 
自然を征服したのではなくて、 
 
自然の中に、自然と共にあるのが感じられるから。

 
「ああ、ここに来たい!」と昨夏ここで私の魂が、
 
ため息とも叫びともつかない、あるいはその両方みたいな声を
 
上げてしまったのは
 
そうだ、そのせいだったのだ、と今になって気づいた。


           *  *  *

  
 エアラウフ湖

 そう、ヨーロッパの秋がこんなに美しかったんだ、ということも
 
今年初めて気づいたのだ。
 
それは寒くて雨ばかりの9月が続いて、
 
ウィーンへ帰る間際にやっと晴れた日のこと。
 
エアラウフ湖のほとりを散歩した。
  ミッテルバッハ村から行くと右岸になる細い道だ。

  昔から数えると今年はもう9回目のミッテルバッハだったのに、
   あちら側を歩いたのは今度が初めてだった。
 
寒さが早くやって来たおかげで、
あたりはもうすっかり秋になっていた。

 
今まではヨーロッパの秋は紅葉が少ないから、
やっぱり秋は日本!と 思っていた。


 
久しぶりの日の光、でも今はずっと優しくなった光を浴びて
 
湖がきらきら輝き、丸みを帯びた小高い山々が黄色、明るい茶色から
 
すっかり枯れた茶色、それから様々な緑色に混じって、
 
黄色に近いオレンジから、赤に近いオレンジまでの葉が
 
明るさを添え、優しく湖を包んでいた。
 
三週間ぶりの抜けるような青空のせいだったかも知れないし、
 
歩いていく方向に高く位置していた午後の太陽のせいだったかも  
  知れないけれど、

 
不思議なことにその光景は優しくて透明な喜びに満ちていた。
 
秋が喜びに満ちているなんて!


 
ふと腰を下ろしたベンチに、時間を止めて、
ずっとこのままこの光景の中にいたい!と思った。

     
                
                 *  *  *

  マイニンゲンのブラームス 

 夏にマイニンゲンで買って来た「マイニンゲンのブラームス」という パンフレットが読みたくなって授業に出かける電車の中で読んだ。
 
ブラームスの書いた手紙の抜粋がその中に載っていた。
 
その手紙がとても率直で、あったかい。
 
ブラームスって、今までとても取り付きにくい人のように
思っていたのに。

 
冬でも森を歩くのが大好きな、エネルギッシュな人だったそうだ。
 
彼のクラリネットソナタ Op.120は、
ザルツカンマーグ−トのバート・イシュル
(オーストリア、ザルツブルクの南部にある小さな町。
フランツ・ヨーゼフ皇帝の保養地だったことで有名。
エリザベートに出会ったのもここ)で書かれたそうだけれど、
構想はマイニンゲン(ドイツ、チューリンゲン地方の町)で
浮かんだ可能性あり、と書いてある。

 あ〜、あの透明さと明るさはチューリンゲンの森から生まれたのか   も、と思ったら、ブラームスがぐっと親しみを持てる人に変わった。
                        (2001.11.4)

 

 

 

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