1.ウィーン歳時記  

  オーストリアは緯度からするとほぼ樺太の位置にある北の国。ヨー ロッパアルプスの東の部分はオーストリアにあります。北国の春の嬉 しさを知ったのもウィーンでした。

  

♪オーストリアの母の日

  四月下旬、北国の街ウィーンにもついに待ちに待った春がやって来ます。木々が目を吹き、色とりどりの花々がいっせいに花開いて、半年近くも冷たい灰色一色だった世界が一挙に光に溢れた色鮮やかな世界へと変貌するので、その鮮やかな対比の中にいるだけで心は躍り、喜びと幸せにワクワクして、とても落ち着いて家の中になどいられません。公園の芝生は、目を閉じ、じっと寝転がって、全身でぬくぬくしたお日様の光と春を吸収する人たちでいっぱいです。それから約二週間、リラの花が満開し、ウィーン中にリラの香りが溢れると、母の日がやって来ます。

  母の日は1939年、初めてアメリカで正式に祝日として認められて以来、世界中に広まって行きました。日本では赤いカーネーションを贈りますが、オーストリアでは決まったものを贈る習慣はありません。幼稚園や小学校の低学年クラスでは絵を描いたり、ちょっとした工作をしてプレゼントしたり、小さな詩を暗誦してお母さんに聞かせたりします。お父さんが小さな子どもたちと一緒に朝食を作る光景もよく見られます。もう大人になった子供たちは母親に電話で感謝を述べたり、レストランの食事に招いたりします。大げさなものを贈ったりはせず、ちょっとしたもので愛の気持を表現するのがオーストリア風。「母」という言葉を余り厳密に解釈しないところもいかにもオーストリア風で、お母さんのお母さんだからというので、孫たちがおばあちゃんのところへ小さなプレゼントを持っておやつに呼ばれたりもします。

  歴史を紐解いてみると、戦前は学校用に母の日のパンフレットが作られ、詩・格言・散文などで母性、勤勉と犠牲精神が賛美されました。読んでみるとその母親像は当時の日本とほとんど変わらなかったことが分かります。戦雲迫る頃から祖国の防衛者、兵士を生み育てる存在としての母親像が宣伝賛美されたのも日本と同じでした。ごく当たり前のように母の日を祝っている私たちですが、「お母さんて何?」と問われたらあなたの答えは?(「維納倶楽部」199123月号掲載)

 

♪ウィーンの夏―自然の楽しみ

  北国の夏は突然やって来ます。半年に近い長い冬の後、四月下旬から五月初旬、ようやく待ちに待った春、光と色に溢れた生命の季節がやって来ると、そのあとはもう駆け足。ほんの三週間か四週間のうちに、日差しはクングン力強く、陽の輝きはどんどん白く、緑は目に見えてその濃さを増して、あっという間に夏のただ中です。

  北国の人々は太陽に強い憧れを持っています。待ちきれない人々は、六月にはもうギリシャへ、イタリアへ、ユーゴスラビアへと休暇に飛び出して行きます。夏の休暇はたいてい二週間から三週間。八月末頃までに誰も彼もが休暇に出掛けて行くので、パンやソーセージを買いに行くと店のシャッターが下りていて「休暇のため休みます。八月二十日にまたお会いしましょう!」という看板が掛かっているというような体験も、夏の風物詩のひとつとなります。

  もちろん休暇に出掛けなくても夏は楽しめます。ウィーンで過ごす夏と言えば、河川修復までドナウ河の一部だったアルテ・ドナウ(旧ドナウ)は、地下鉄ですぐ行けるし、自然もたっぷり楽しめるとあって特に人気。河畔の草地に特大バスタオルやシートを敷き、一日中寝そべってこんがり焼く怠け派もいれば、水泳、ボート、ヨット、ウィンド・サーフィン等にいそしむ行動派もいます。プールなら、ウィーンの屋内プールには長い歴史があります。19世紀の後半から増え出し、世紀末には一般市民の娯楽・スポーツ用として広がりました。そのうちの幾つかは今でもプールとして使われているので、ユーゲントシュティル(アールヌーボー様式)で統一されたとてもプールとは思えないような芸術の香り高い空間で泳ぎを楽しめるのも、ウィーンっ子の特典です。屋内・屋外とも市営プールがたくさんあり、トップレスが許されているところもあります。「それでは足りない、全く自然に戻りたい!」という人のためにはヌーディストクラブだってあります。

  森林浴を愛する人たちは北西部に広がるウィーンの森へ。森は市民への酸素供給と保養のため絶対必要として保護されており、伐採も百二十年に一回しか許されていません。木漏れ日の小道を上り切ると草地が開けます。子供たちは思い切り走り回ってボール遊びに興じ、大人たちは展望用のベンチからウィーンの街を眺めつつちょっと休憩。こうして一日たっぷり歩いて心地よく疲れた足が向かう先は、もちろんホイリゲ。ブドウ畑を眺めながらソーセージとパン、サラダでワイルドにワインを楽しみます。夜は九時半頃まで明るいので、まだ時間はたっぷり。黄昏のさわやかさは熱くなった頬に何とも心地よく、語らいはいよいよ弾みます。(ホイリゲはワイン酒場と訳されますが、家族中で行ける農家風の半セルフサービスの大衆レストランでとても健康的。食べ物は自分で売り場に買いに行き、ワイン等の飲み物は席で注文します。ワイン農家がその年に作られた自家製のワインを当局の許可を得て、限られた時期に提供したのが始まり)

 (「維納倶楽部」199167月号掲載)

 

♪よみがえった自転車

  交通手段としてはもうすっかり過去のものになってしまっていた自転車が環境保護意識の高まりと共に再び見直されています。ウィーン市は様々な方面から積極的に環境保護に取り組んでいますが、七年前からこの「環境に優しい」自転車を蘇らせようと次々に具体的な政策を実施。緑のプラーター(昔皇帝のお狩り場だった広大な緑地で、プラーター遊園地の後ろ)やドナウ島(水量調節用水路として「新しいドナウ」が建設された際できた島で、市民のリクレーション地域として整備されている)や郊外のサイクリングコースばかりでなく、街の中心にも自転車道が整備され、今ウィーンは「自転車でどこへでも行ける」街になりました。

  交通の激しい地区でも安心して走れるよう、1989年3月には交通法規も改正されました。最近ではリング通りで自転車散歩をする人たちを見かけるのもごく普通になったし、プラーター緑地やドナウ島でサイクリングを楽しむのは、暖かい季節の市民のリクレーションとして真っ先に浮かぶアイデアとなりました。お天気のよい週末に地下鉄一番線に乗ると自転車を抱えた家族連れや若い人たちをたくさん見かけるのは、そのためです。

  自転車を持っていない人や旅行者も心配は要りません。市内十二ヶ所に貸自転車所が設けられていて、身分証明書を預ければ、一時間につき30シリングほどで借りられます。

遠方へのサイクリングをしたければ、国鉄の自転車サービスがあります。自転車道は現在延べ350キロメートル。今年さらに七つのサイクリングコースが加えられる予定です。最近、ウィーンからドナウ河沿いにお城やローマ時代の廃墟を訪ねつつ、チェコのブラチスラバに至る63キロメートルのコースができました。所要時間は4〜5時間。往復はちょっときついと思うなら、片道電車を利用する手もあります。さわやかに風を切り、体中で自然を体験しながら国境を越えるー七つの国に囲まれたオーストリアならではの楽しみです。(「維納倶楽部」199167月号掲載)

 

♪ウィーンのファッシングと舞踏会“バル(Ball)”

「舞踏会」という言葉から、映画「会議は踊る」で有名になったウィーン会議(18141815年)のきらびやかな王侯貴族の舞踏会を思い出す人も多いことでしょう。もう遠い時のかなたに去ってしまったこの舞踏会が、ハイテクの現代でも生き続けている不思議な街、それがウィーンです。

 華やかな宮廷文化のひとこまとして私たちの心に残るこのハプスブルク家の伝統は、新興市民階級の台頭とヨハン・シュトラウス父子の出現によって、ワルツのメロディーと共にしだいしだいにウィーンっ子の血となり、肉となっていったのです。

  オーストリアが共和国となってからも、この伝統は帝国時代のよき贈り物としてますます市民の生活に根付いていき、今では舞踏会なしにウィーンとウィーンっ子を語ることはできなくなりました。

  連邦政府を始めとして弁護士会、医師会、お菓子屋、肉屋、喫茶店経営者等の職業別組合、政党、大学、各種の学校から、カトリックの教区の主催まで、様々な団体によって舞踏会(バル)が開かれます。もちろんバル・シーズンを楽しむためには踊れなくてはなりませんから、ウィーンっ子たちは日頃からダンス学校に通い、その日のために備えるのです。礼儀作法の習得も兼ねて1617才位から通い始めます。

  さて、ウィーンの街並みが粉砂糖を降りかけたように雪をまとい始めると、ウィーンっ子たちはそわそわし始めます。いよいよ舞踏会の季節が始まるのです。それと同時にファッシング(謝肉祭、カーニバル)という言葉があちこちで聞かれるようになります。一見何の関係もないように見えますが、実は舞踏会とキリスト教とはとても深い関係にあるのです。

  ファッシングとは、本来カトリックでキリストの復活を禁欲して待つべき四旬節の始まる「灰の水曜日」(懺悔の印に灰を撒いたところからこの名が生まれた。今年は213日)に先立つ三日間あるいは八日間を指しますが、現在では一月六日の「主の公現の祝日」(東方の三博士がキリストの生誕を祝って参拝した日)から「灰の水曜日」までを指すようになりました。要は禁欲に入る前に道化・滑稽・歓楽が許されるお祭りの時期というわけで、舞踏会や仮装ファッシング・パーティで街中こぞって優雅にはしゃぎ、騒ぎまくるのが、謝肉祭のいかにもウィーンらしい形なのです。そのため舞踏会もこの時期に集中します。

  舞踏会は夜の九時か十時、それぞれの属する社交界にデビューする若いカップル達のオープニング・ダンスによって始まります。古いメヌエットなどを組み合わせたとても美しいダンスで、優雅な舞踏会の雰囲気をいやが上にも盛り上げます。晴れの舞台で頬を紅潮させる女性デビュタントたちのドレスは全員白のロング。最後はウィンナワルツとなり、開会が宣言されると見ていた人たちも入り乱れていっせいに踊りだし、舞踏の宴が開幕します。

  真夜中にはその年のテーマに合わせた民族音楽やダンス、あるいは奇術が披露されたり、古い宮廷のダンスを習って遊んだり、各舞踏会主催者の趣向を凝らした催しが行なわれます。踊り疲れればテーブルに戻り、ワインと軽い食事でしばしのおしゃべりを楽しみ、あるいはカジノで遊び、またダンスの輪に加わりながら、優雅できらびやかな社交の夜は更けて行きます。

  舞踏会で演奏される曲はワルツばかりではありません。フォックストロット、タンゴ、チャチャチャ、ジルバ、ロックンロール、またその時流行りのダンスなども演奏され、最近ではディスコを設けることも多くなりました。

  豪華な宮殿のシャンデリアの輝きのもとで、音楽に酔い、遊びとおしゃべりに酔い、ダンスに酔いしれながら、やがて夜が白む頃、人々は夢のようだった華麗な一夜の興奮を胸に、心地よい疲れを抱きながら家路につくのです。(「維納倶楽部」1991年 月号掲載)・・・一部の限られた階層ではなくて、誰でも、また十代から七十代まで、ダンスやパーティが好きでさえあれば参加できるし、老若男女がみな同じ場で楽しめると言うのがいいな、と思います。パーティ券は当時で千円から五千円位。ドレスやタキシードも需要が多いので日本よりずっと安いし、貸衣装屋さんもたくさんあります。舞踏会は大晦日位から二ヵ月半ほどの間に約250も開かれます。

 

♪初めての舞踏会に行く人のために   
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さあ、思い切って憧れの舞踏会に行ってみましょう

1.ダンスはできないとだめ?

    もちろん雰囲気を楽しみに行くことだってできます。でも舞踏会  という以上、全然踊れなくて最大の楽しみを逃すのは何としても残  念。スロー・ワルツ、ルンバ、ジルバの三つの基本ステップだけで  も覚えておけば大分違うはずです。大事なのはダンスの上手、下手で  はなくて、踊ることを楽しもうという精神なのですから。ダンスは  大得意という人は、二時過ぎる頃からだんだんすいてきますから、  それから後はあなたの独壇場です。

2.パートナーは?

  舞踏会は基本的にカップルで行くものですから、何とかしてパー  トナーを見つけましょう。できれば何組かで一緒に行けば、テーブ  ルが賑やかになってずっと楽しく過ごせます。

3.着るものは?

   女性はイヴニングドレス、男性はタキシード。オペラ座舞踏会では男性の燕尾服が義務付けられています。踊っていると暑くなりますが、席にいるうちに冷えてきますから、肩を出すドレスの時は上着かショールを用意しましょう。パーティ用のバッグには、口紅、ティッシュペーパー、トイレ用の小銭など 必要最少限のものを入れます。お金は男性に持ってもらいます。法律家や医師会などの舞踏会では、ロングのドレスでないと入れてもらえないことがあるので注意を。コートは手持ちのものでかまいません。貸衣装を利用することもできますから、その場合はウィーンに着いたら早めにホテルのフロントに相談してください。靴。バッグ、アクセサリーなどは自分のものを用意していくこと。

4.食事とチップは?

 会場の中にレストランやビュッフェが設けられていますが、これは夜食のため。また予約したテーブルは、踊り疲れた時に休みながら、飲み物と軽い食事でおしゃべりを楽しむ社交の場です。会場ではお酒を飲み過ぎないように注意。目が回って踊れなくなります。なお支払いは半端のつり銭か10%程度をチップとして渡します。入口のガルデローベ(Garderobe, 携帯品預かり所)でコートを預けますが、その時料金に一、二割のチップを添えて渡します。トイレでは入口に係の女性が座っているので、料金に半端分のチップを加えてお皿に入れます。料金が書いていない場合は5シリング程度。

5.写真は?

 せっかくの記念です。やっぱり撮りたいですね。席に置いておいてもなくなることはまずありませんが、万が一なくなっても文句は言えません。テーブルについたら早めに撮ってしまい、オープニングの写真を撮った後、ガルデローベにカメラを預けてしまえば安心です。

6.マナーは?

 西洋のエチケットにしたがって、男性は女性がコートを脱ぎ着するのを手伝ってあげましょう。席につく時も椅子をそっと引いて長いドレスの女性が座りやすいように。歩く時は女性に腕を貸します。ドレス丈はその日に履く靴の高さに合わせ、床から3センチくらい上がるようにしておけば動きが楽です。 さあ、これでOKです。では心ゆくまで維納の優雅な夜を楽しんで下さい。素晴らしい思い出になることでしょう。(「維納倶楽部」1991年23月号掲載)

 

では、実際はどうなのか、舞踏会、ダンス学校、貸衣装屋さんを一つずつご紹介しましょう。

 

♪舞踏会―70回を迎える「狩猟家の舞踏会」、イェ−ガーバル

 オペラ座舞踏会に次ぐ格調と規模を誇る「狩猟家の舞踏会」。ホーフブルク(王宮)で開かれるこの舞踏会は、ハプスブルク帝国の歴史と深い関係にあります。狩猟はもともと王侯貴族の趣味として行なわれていましたが、1905年、フランツ・サルバトール・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン大公により、農林業における社会福祉を目的として狩猟家連盟「緑十字」が設立され、その翌年からこの舞踏会が開かれるようになりました。

 「緑十字」の当時の規約のうち、森林環境および野生動物の保護と保存は現在特に大きな意味を持つようになったため、その活動を目的にして加入する人も増え、現在では会員数も約千人となりました。

「狩猟家の舞踏会」が特にユニークなのは、ウィーンの伝統を継いでいるだけではなく、同時にオーストリアの民族的伝統を守っているところにあります。参加者はオーストリアの民族衣装かハンターの服装をすると決められています。外国人はもちろん自国の民族衣装でもよいので、私たち日本人は着物で参加してもよいわけです。

事務総長のフラッシュ氏は、「日本人は私の大好きな人たちです。ディルンドゥル(ブラウス、ジャンパースカート、エプロンからなる民族衣装。チロル地方の民族衣装と言えばおわかりですよね)を着た日本女性はとても愛らしいし、着物も本当に素晴らしい」と大歓迎。「今年は舞踏会の一環として、王宮の庭園に大きなディスコ・テントを張ります。他にも皆さんをびっくりさせる催しをたくさん考えてありますが。あとは秘密!」と言っていたずらっぽく笑いました。 

        <切符のお申し込みは事務局へ>          Gruenes Kreuz(緑十字), A-1010 Wien,                Eschenbachgasse 11                                                                                            Tel. 585 85 18    Fax. 587 46 20

 

♪ダンス学校―名門エールマイヤーの一日講習会

 エールマイヤーはダンスのほか、社交上の礼儀作法を教えることにも重点を置いて1919年、当時騎兵大尉であった初代エールマイヤーによって設立され、長年オペラ座舞踏会オープニングの監督・指揮を任されている名門校。

 同校のワルツ講習会一日コースは90分から成り、まず30分でテーブルマナー、立ち居振舞いなどを含め、舞踏会に出て恥ずかしくないだけのエチケットを教わります。

 その後いよいよ実技に。60分間でダンスは初めてという人でも、スローワルツが滑らかに踊れるようになります。日本人は勘がよいので、少しゆっくり目のウィンナワルツまでできてしまうそうです。もちろん希望により何日でも延長は可能。2日、3日と練習すれば、、ウィンナワルツも踊れるようになります、という三代目校長エールマイヤー氏のお話でした。

 レッスン料は個人教授の場合は一時間(=55分)で400シリング(1シリングは約10円)、英語、ドイツ語、日本語のうちから希望の言葉でレッスンが受けられます。グループの場合は人数その他によって異なってきますのでご相談下さい、と言うことでした。

 日本語での講習会を担当しているのは、ウィーン生活にも詳しいベテラン・ダンサーの鈴木多美子さん。「一番心がけているのは、ダンスの楽しさ、踊ること自体の喜びを体験してもらうこと。そうすればあとは楽しみながら覚えてしまいますから、不器用だからなどという心配は無用です。だって楽しくないのでは何のための社交ダンスなのでしょう、ね?」と鈴木さん。後は日本人の癖にあわせた教え方で、短期間でできるだけ上手になってもらうこと。講習会に参加した人たちから、本当に楽しかった!という手紙をもらう時が一番嬉しい、と語ります。

 なお、パートナーが必要な場合には、身長を書き添えて早めに申し込むと、学校の方で相手を探してくれます。  

<お問合せ・申し込み> Tanzschule Willy Elmayer=Vestenbrugg              A-1010 Wien, Braeunerstrasse 13                                    Tel. 505 24 04,  512 71 97     Fax. 505 24 05

 

♪貸衣装屋さん―ドレス、タキシードから仮装用衣装まで

 ファッシング(謝肉祭)の時期は貸衣装やさんが一番忙しい季節。私たちは16区にあるお店を訪ね、女主人のランダさんにお話を伺いました。

 オペラ座舞踏会で義務づけられている燕尾服は、日常ではほとんどきる機会がなく、たいていの人が貸し衣装を利用するので、前年の秋から申し込みが始まります。イヴニングドレスやタキシードの場合は二週間前で十分間に合うとのこと。直接お店に行って試着し、指定すれば、気に入った衣装を確実に取っておいてもらえます。

 では仮装舞踏会にはオーストリアの人たちはどんな扮装をして行くのでしょうか?

 今一番好まれているのは、女性ではロココ時代の貴婦人(かつらもついています)。これは分かるような気がしますが、男性の場合はなぜか修道僧だそう。大いにはしゃぐ場に真面目くさった姿で現れるというコントラストを狙ってのことでしょうか? それとももしかしたらオーストリア人の男性に多い大きなお腹を隠したいだけのこと? 

 その他には囚人、海賊、ドラキュラ伯爵、チャールストンの流行った1920年代の衣装などがよく出るそうです。料金はイヴニングドレスは400800シリング(5000円〜1万円位)、タキシード600800シリング(75001万円位)、燕尾服は1500シリング(約19千円)。またこのお店に特に豊富な仮装用衣装は付属の小物つきで200500 シリング(25006300円位)。当日に借りて翌日に返しますが、週末の場合は金曜から月曜まで借りられます。 

   <貸衣装店 EVA RANDA (エヴァ・ランダ)>        A-1160 Wien, Koppstrasse 56,    Tel. 492 39 68                    月〜金 9時〜12時および14時半〜17時  土 9時〜12

      (「冬」の記事は全て「維納倶楽部」199123月号より)

 

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