・ 旅日誌 2001・

 

  旅日誌1  ウィーン、ラムザウ、ハンブルク

    

旅日誌1

 

7月18日(水) 

ウィーンへ

    
■いよいよ待ちに待ったオーストリア・ドイツへの旅、始まり始まり〜!去年は相当に体力を消耗してしまったので、今年は思い切って夏学期いっぱい、語学学校を休ませてもらった。三ヶ月だぞ〜!嬉しいぞ〜!

■10:45に成田を発って、同じ日の15:15にウィーン着。時差は夏時間の今は7時間だから日本は22:15。直行便ができてからは11時間半で来られるので身体がずいぶん楽になった。昔はモスクワ経由で15時間、アラスカ経由の北極回りだと18時間かかった。

■ウィーンの街に入っただけでもうホッとする。時間の流れが違うのがわかるから。
7月18日(水)〜8月3日(金)

ウィーン
(オーストリア)

 
■友人の家にお世話になる。毎日のように出掛けて友人達に会う。日本人男性と結婚したウィーン大学時代の日本語専攻の友人ダグマー、ウィーンで私の日本語クラスにいたクリスティアンと結婚した元ドイツ語の教え子まき子さん(新婚。私が二人の愛のキューピッド!)、ウィーン大学時代の友人でイタリア人と結婚したウルリケ。国際児童図書評議会オーストリア支部長だった時知り合ったアリス。今は福祉関係の仕事をしている。それからもちろん日本人の友人達。ウィーンの音楽ゼミナールに参加中のかつてのドイツ語の教え子達(参加者コンサートよかった!)、一家でウィーン移住を果たした教え子の家族、ご主人の赴任でウィーン滞在中の教え子etc.etc.
   というわけで再会の喜びの連続。色々な人生に触れた。みんな元気で嬉しかった。
8月4日(土)〜8月17日(金)

ラムザウ
(南ドイツ)

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■南ドイツバイエルン、アルプス山中のペンションで過ごす。海抜千メートル位の高さが私の持病によいので、高度で宿を選んだ。目の前の谷の向こう側にベルヒテスガーデン地方の象徴であるヴァッツマン(2713m)山塊、ドイツ第二の山を含むホーフカルター山塊、そしてライターアルペ山塊の三つがものすごい迫力で聳えている。実を言うと7年前、ここを通りかかった時、この大迫力の山岳風景に一目惚れしてしまい、いつか絶対来るゾと思っていたのだ。ついに実現!

■翌日は山の空気でどっと疲れて食事以外はほとんど眠りっぱなし。そのまた翌日、宿のご主人が車で谷(海抜600m)にある村のインフォメーションに連れて行ってくれた。間に食事を挟んで計2時間位歩き回ったら、それだけでもう疲れてしまい、バスで宿へ戻る。ところがその翌日から目に見えて体力がついてきて、少しずつ歩けるようになって来た。

■最初は宿の前を通っているほとんど平らに中腹を巻いている細い塩の道(1812年〜1926年まで使われていた木管を通した道で、岩塩を水に溶かして木管の中を流し、山の反対側の町に運んで製品化した)を展望レストランまで往復2時間半、次は同宿のドレスデン出身の夫妻と渓流に添った道を山小屋まで往復して3時間(平らかごく緩やかな上り)、最後には宿の娘さんとホーフカルターとライターアルペに挟まれた谷に広がる天然の大庭園(国立公園)を最初の山小屋まで何度か休憩を取りつつ2時間半、ついにライターアルペが最も美しく見えると言われる場所からその雄姿を味わった。 昼食を済ませてたっぷりの休憩を取り、またまた2時間半、何とまあ往復5時間、22kmも歩いてしまったのだ!
 さすが翌日はゆっくり休んだけれど、30分間立ち続けるのもつらい私がこれだけ歩けたなんて、とてもこの世の出来事とは思えない!本人なのに、夢だったのよと言われたら、信じてしまいそうだ!空気の力ってなんてすごいの!

■半年くらいここで暮らしたら、完璧健康になっちゃうんじゃないかと本気で思う。う〜ん、大作の翻訳の仕事が入ったりすればねえ・・・なんて夢想してしまった。

■宿は他のペンションとは離れて立つ、4室だけのファミリアなペンション。内装もアルプスの農家風。むしろ居心地のよい居間という感じのする食堂のテーブルや椅子、食器戸棚は分厚い木をふんだんに使った工芸品とも言える質のよいもの。エメラルドグリーンのタイルを張った大きな暖炉が団欒の楽しさへと心を誘う。昔は農家の台所にあったもので、煮炊きもできる構造になっている。かまどと暖炉を兼ねた実用的でかつ美しい暖炉だ。

■女主人は、小柄の、今でも表情や語り口にいたずらっぽい少女の面影を感じさせる素敵な女性。北ドイツブレーメン出身の彼女が、南ドイツの、しかも小さな山村の社会に溶け込み、受け入れてもらえるまで苦労したこと。実家を訪ねる時、いつも「家に帰ってくる」と言ったので、「ここは君の家じゃないの?」と言ってご主人が悲しそうだったと言う話。
 ご主人は生粋のラムザウっ子で、宿から歩いて15分のレストランが実家。優しい目をした山男だ。ミュンヘンでコンピュータ関係の仕事をしていたが、定年退職をして、この夏から百パーセント山男に戻った。日本人ともずいぶん一緒に仕事をしたという。彼らが任期を終えて日本に帰国することになると、男性たちは皆喜んでいたけれど、奥さん達は誰も帰りたがらなかったのが対照的で印象に残っていると言う。うん、なるほどね。ちょっと分かる気がする。

■宿泊客はたいてい一週間から三週間滞在する。朝食つきだから朝はこの食堂で取り、昼は出掛けた先のレストランで食べ、夕食はスーパーでパン、チーズ、ソーセージ、そのまま食べられる野菜や果物、飲み物などを買って、宿で食べると言うのが一般的だ。そのため、たいていのペンションに宿泊客用の共同冷蔵庫が備えられている。夕食は火を通さないで簡単に済ませるのが一般的な習慣になっているのと、何しろ宿泊日数が長いので、そうすることで経済的に相当節約できるというのが理由だ。ちなみにこの宿の宿泊料金は二人で一部屋に泊まった場合、一人一泊37マルク。二人で一日74マルクだから、今のレートだと五千円弱だ。

■しかも朝食は気配りいっぱいの豪華版。コーヒー、紅茶など好きな飲み物が大きなポットに入って出てくる。ソーセージ、ハム、チーズも質のよいもの数種類を飽きないように毎日変えてくれる。ジャムや蜂蜜もあるし、果物や女主人お手製のヨーグルトにシリアルが添えられることもある。プチパンはサービスの前に軽くオーヴンで温めてあって、パリッと香りも高く、とてもおいしい。

■最初から従業員が休暇に出ることを前提とした上で、仕事が組織されていること。宿泊費が安いこと。これがあって初めて誰もが心おきなく休暇が楽
しめるのだ。ドイツやオーストリアには一年に一度は一辺に全休暇日数の半分以上の休暇を取らなければならない、という法律がある。働く人たちが堂々と休暇を取れるように、という配慮だ。休暇に出掛ける車で道路が込み合わないように、各州の学校の夏休みは始まる日がずらしてあるという徹底さなのだ。

■ここでの二週間は、時間によって天気によって刻々と変わる自然の美しさ、自然の圧倒的な力、その恵みによって生かされている小さな人間存在、そんなことを心に残してくれた。特にヴァッツマンが夕日に映えて輝く様子は素晴らしく、日が沈んでだんだんと山肌が墨色を帯びて行き、同時に空がオレンジからスミレ色、そして青がしだいに濃くなって星が輝き出すまで眺めた。
 それに怖いような星空!「星降る」というのは、こういうのを言うんだ!黒々とシルエットをなす森の上に広がる丸い夜空の星をじっと眺めていると、大宇宙に吸い込まれていくよう。一つ変にふらふら動く星を見つけた。翌日は大分位置が上がっていたが、その後はその位置に留まっていた。おかしなことにふらふらしてもまたもとの位置に戻るのだ。だから人工衛星でも飛行機でもない。一体何?まさか宇宙人じゃないよね!?あれがバーッと近づいてきて、この裏庭に着陸しちゃったらどうしよう!?知的生命体が地球人の堕落を嘆いて、地球人改造をもくろんでるとしたら!?急いで窓を閉めた。

■ドレスデンの夫妻、出発の日。彼も彼女も私を抱きしめて「楽しかったよ、ありがとう!」「あなたと知り合えてよかったわ!」と言ってくれた。
 彼は工科大学の河川管理の先生。ユーモアがあって、型破りでとても面白い人だ。話を聞いていると興味が尽きない。きっといいプロフェッサーだろうな、と思う。彼女は金融関係の仕事をしていたが定年生活に入ったところ。オープンでエネルギー溢れた彼に比べて、彼女は気さくだけれど、内省的な人のよう。大学で芸術史を聴講しているそうだ。「芸術関係は彼女が詳しいから、ドレスデンの案内はまかせていいよ」、と彼が言った。彼は後二年で定年だそうで、「そうしたら好きなことするよ、結構楽しみだよ」、と言って去って行った。

■朝食の後、話が弾んで皆で11時近くまでしゃべってしまったことがあった。その時、彼が言った。「いつだったか大学時代の同窓会があってね、その時面白いと思ったのは、みんな別れたり、再婚したりしてる中で、大学時代に知り合って結婚した連中は、僕たちもそうだけど、30年経っても40年経っても、ずーっと別れないでもってるんだね。結局、価値観が一致してるのが残るんだね」
 二人とも六十代だが、時折見せる表情や何気ないしぐさから、お互いをとても大切に思っているのがよく伝わってくる。きっとお互いを尊敬しあっていて、対話のある、すてきなご夫婦なんだろうな、と思う。
 年配でも何気ないしぐさで細やかな愛情を示す夫婦をこちらでは結構見かける。いや、「年配でも」という言い方自体がそもそもおかしいのだ。愛に年齢はないのだから。お互いの影になりあってしまってただ一緒にいるだけの夫婦が多い中で、こういう夫婦はとても素敵だ。
8月18日(土)

ハンブルク

(北ドイツ)

 

■ミュンヘンから飛行機でハンブルクへ。マイルを貯めて、ミュンヘン・ハンブルク間の無料航空券がもらえた! なんかすごく得した気分♪ そのおかげでやっと友人との再会が実現することになったのだ。列車で行くのは遠すぎてきつい。とてもよいお天気だったのに、ついいつもの癖が出て、通路側を希望してしまった。たったの1時間15分なんだから、窓際にすればよかったのに!帰りは絶対に窓側にしてもらおう。

■夜8時にハンブルク着。友人とドイツ人のダンナ(ああ、こういう時、なんて言ったらいいの!?「ご主人」では二人の関係を全然言い表わしていないし、自分のではないので「夫」では変だし。「配偶者」?「パートナー」がいいのかな?でもパートナーと言うと、事実婚の相手を指す感じがあるし、それにちょっと軽すぎる気もする。しかもカタカナ語だ。本当を言うと、古くからあって今はほとんど消えかけている「連れ合い」という言葉、あれは人生を共に歩んでいく人と言う感じがよく出ていてとてもよい表現だと思うのだけれど、どうでしょうね?)が迎えに来てくれた。
   何と空港から彼らの家(中心を抜けて少し向こう側)まで一時間半近くかかって、しかも4回も乗り換えるのだそう!「交通政策が悪いのね。空港からは電車一本で中心まで行けるようにすべきなのに」うん、確かに。迎えなしで初めてハンブルク空港に下り立ったらかなり困る。とにかく往復3時間もかけて迎えに来てもらったおかげで、私は無事に彼らの家に到着した。

■彼女は私たち大学時代の仲間の間では、15年間も行方不明だったというすごい人。ローマに旅行した時電話ボックスにアドレス帳を忘れてきてしまったのが原因だそうだけれど、それにしても十五年よ!生きているのか死んでいるのかもわからなかった彼女から、3年前、オーストリアの田舎にいた私に突然手紙が来て、再び糸がつながった。というわけでその後来日した二人には会ったけれど、ヨーロッパで会うのは本当に初めて!やっと実現した嬉しさでしゃべり続けて、一時になってしまった。
8月19日(日) 

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■翌日はゆっくり起きて、ブランチ。二人が街を案内してくれることになった。ハンブルクと言えば、港。まず港へ出る。海に面した外港しか見たことのない私は、初めて水平線の見えない内陸港の風景を脳にインプットするので、何だか奇妙なような、不思議な感じだ。港内遊覧船に乗る。細長く、背の高い古い倉庫群が興味深く、美しい。ハンブルクは第二次大戦の時に大部分が破壊されてしまったので、昔からの古い建築物が残っている所は貴重だ。その一つが船員の未亡人達のために建てられた福祉施設、いわば老人ホームだ。港を見下ろす陸の上に立つ巨大なビスマルクの像。
   かの有名な歓楽街、レパーバーンもちょっと覗いた。あるクラブの開店25周年記念とかで、外に小さな舞台を作り、無料記念公演をやっていた。子どもも大人も群がって見ている。人垣から覗いてみると、愉快な服装をした三人のバンドで、演奏とドタバタ・コメディーを組み合わせたショーだ。演奏もうまく、楽しかった。新宿歌舞伎町より、開放的で明るい(?)歓楽街のようだ。
   「で、例の『飾り窓』はどこにあるの?」と聞くと、「あそこの中」。左を向くとまっすぐ奥へと通りが通じているのだが、通りの両脇から二つの塀が伸びていて道をさえぎっている。右側の塀は左側の塀より数十センチ後ろにある。真中あたりで二つの塀が行き違うところが、門になっている。真正面に入口があっては入りにくいだろうという配慮らしい。つまりお客は左の塀の後ろに消えるわけだ。反対側も同じようになっていて、それ以外の場所からは入れないのだそうだ。何だか昔の吉原みたいだ。青少年を入れないため?お客を逃がさないため?門には誰か番人のような人が立っているんだろうか?まだ午後六時半だというのに、二人の男性がすっと塀の後ろに消えた。

■そのあと、彼らお気に入りのスペイン料理のレストランに行く。ポルトガルやスペインの船員相手に故郷の料理を食べさせる店が次々とできていって、この一角にスペイン人、ポルトガル人が多く住むようになったのだそうだ。小さな料理を幾つも取って、ワインを味わいつつ、皆で食べるのが楽しい。日本の会席料理の感じ。タコとかイカとか、久しぶりの海の幸がとてもおいしくて、しあわせ!

■思いがけなかったのはハンブルクがものすごく緑の多い街だ、ということ。見渡す限り草原が続き、両側は森。後は空しか見えない。これも公園の一部、と聞いてびっくり。とても街の真中だなんて思えない。

■原っぱを渡り森の中のビヤガーテンで休憩して、家に帰ったのだが、何となく彼のご機嫌が悪い。ああー、やっぱり、と思う。気がついてはいたのだ。ちょっと日本語ばっかり話し過ぎだな、って。悪いとは思いつつ、余りに久しぶりの再会でドイツ語ではもどかしく、つい溢れるように二人で日本語を話してしまっていた。これはやっぱりいけなかった。謝らなくちゃ。彼は日本語を始めてまだ二年だから、私たちの会話についていくのは無理だ。お休みを言う時に謝った。「ごめんなさい、日本語ばかり話してつまらない思いをさせちゃって。明日からなるべくドイツ語にするから、どうか許してね」彼はご機嫌を直してくれた。ありがとう、ほんとにごめんね。
 

「続く」

 

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