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2008年4月30日(火) 腱鞘炎その後
  
ウィーンに戻ってからパソコンに向かう時間が増えてしまったために、一時悪化してしまっていましたが、どうやらまた回復に向かいつつあります。昨日、また指圧治療を受けたのですが、腕の痛みが減って、さらにまた少し動くようになりました。ゆっくりですが、少しずつ快方に向かっているようですので、どうぞご心配なくね。休みをたくさん入れるよう、正しい姿勢をとるよう、リハビリ体操をまじめにするように、気をつけます。早く治りたいですもんね!ダンスも踊りたいし。

   さて、今日で4月もおしまい。日本は連休の最中ですが、こちらも明日のメイデーは国民の祝日でお休み。5月11日(日)、12日(月)は聖霊降臨祭なので、月曜日もお休みです。ようやく朝の気温が10℃を上回るようになりました。ようやく本当に春という感じ。日がぐんぐん伸びているのが感じられます。8時ごろまで日が出ています。日が沈む直前、7時半から8時頃の、優しい光を斜めから浴びたウィーンの森とその手前に並んだレンガ色の屋根を眺めているのが大好きです。

2008年4月27日(日) 第25回ウィーン・シティ・マラソン
   
絶好のマラソン日和の今日、第25回ウィーン・シティ・マラソンが開かれました。国連前から出発、ドナウ河を渡り、プラーター遊園地から街の中心部を抜けてシェーンブルン宮殿、また中心地に戻って王宮前の英雄広場がゴール、というコースです。フルマラソンのほかに、ハーフマラソン、ジュニアマラソン(4,2km)、キッズ・チャレンジ(6〜10歳、1km)と年齢・体力に応じて様々なコースが用意してあります。参加者は全部で3万人! フルマラソン男子ではケニアの選手が、2時間7分と何秒かで1位。女子は、昨年に続き、ルーマニアの選手が二度目の優勝。タイムは2時間27分ちょっと。2位は、日本人の森本とも!2時間30分を30秒ほど切るタイムでした。日本でも報道されたかしら?

シティ・マラソンのアットホームな雰囲気が選手たちに気に入られたようです。子どもたちも楽しそうでした。中継で上空からのウィーンの街を見て、またまた、ああ、ウィーンってなんてきれいな街!って思ってしまいました。

2008年4月26日(土) 
  
残念ながら右肩と右腕の調子がどうも余りよくありません。右肩の筋肉が炎症によって固まっちゃって、その中にある骨がうまく動かなくなってしまっているのだそうです。おととい指圧師さんに来てもらいました。今回は右肩と腕を中心に治療したのですが、まあ、その痛かったことといったら、涙が出そうでした。

   この指圧師さんの指圧パワーはものすごくて、施療のあと何日間にも渡って体の状態が変化していくのが感じられるの! おとといは終わってから1時間位したら急に眠くなって1時間ほど眠ってしまいました。でも昨日も今日も一日中眠くて参っちゃう。相当効いてるってことなんでしょうね、きっと。やっぱりもう少しパソコンに向かう時間を減らさないといけないみたいなんだけど、なかなか難しいです。

2008年4月20日(日) 今年の春はいっぺんに来ない?

      
 近くの丘の上のレストラン。外気が気持ちよい。    丘へ上る坂道上にある貸し庭ももう春。

 とても気持ちのよいお天気だったので、お散歩がてら、近くの斜面の貸し庭地帯を抜け、丘の上のレストランへ。庭の席でコーヒーとマロンクレープを味わいながら、外気を楽しみました。今日は気温も22℃。

  でも、今年はいつもの春のように、周囲が一気にグレーから色鮮やかで目にも心にもまぶしい世界に変わる、あのワクワクさがないのはどうしてでしょうか。晴れた日が少ないだけでしょうか? 今年は春がいっぺんに来ないで、何だか少しずつずれて来るようなのです。これも温暖化現象の影響でしょうか? とにかく毎年、毎年、気候がどんどん変わって来ているのは確かです。

2008年4月18日(金) ワッフルパーティ
   
ゆっくりお話ししたいと、Yご夫妻を我が家のワッフルパーティにお招きしました。ワッフルと言っても、燻製肉と玉ねぎを入れたお食事用ワッフル。これにスープ、野菜と果物のサラダのヨーグルトソース添えでいただきます。飲み物は白ワイン。このシュヴァーベン風ワッフルは、ワッフルメーカーについたレシピに出ていたので試しに作ってみたら、すごくおいしくて評判がよかったので、それ以来、レパートリーに加わりました。

   お食事用ワッフルの後は、デザート用ワッフル。こちらは生地に砂糖とアーモンド粉を加え(ああ、ラム酒を忘れちゃった!)、焼けたら、生クリームと刻んだイチゴを乗せて食べます。コーヒーや紅茶と一緒にね。話ははずみにはずんで終わらなくなってしまいそう! 

 お二人の話から、お二人が苦労をしながらもそれを一緒に乗り越えて、今はすばらしい二人三脚をされている様子が伝わって来ます。見ていると何だか私まで幸せになってしまって、夫婦で人生歩くのもいいかも知れない、なんて、一人になってから初めて思ってしまいました。こんなに楽しく、幸せな時間を過ごしたのは、本当に久しぶり。身近でご一緒したのは、昨日と今日の二日間だけなのに、バスの停留所で手を振ってお別れした時は、親友を見送るような気持ちでした。素晴らしい時間を過ごさせて頂いて本当にありがとうございました! あとプラハとベルリン、どうぞ充実したよい旅でありますように!

 
2008年4月17日(木) ヴィルヘルミーネの丘とホイリゲ  
  
日本からのお客様、Yご夫妻をお迎えしました。奥様にお会いするのは初めてです。オペラ座下で落ち合い、歩いて5分ほどのカフェ・シュヴァルツェンベルクでお昼を食べながらお話ししたら、話題が次々に出てきて、あら、もう2時半!一停留所だけ市電に乗って、音楽家の像がたくさんある市民公園へ。一足踏み入れるとそこではもうすっかり春が始まっていました。池のカモたちにパンを上げている女性がいました。まわりには鳩が群がってカモが見えないくらい。

         

   
市民公園のシューベルト像       ヴィルヘルミーネの丘からウィーンの街を臨む

そのあとはいよいよ私の大好きな場所をご案内する「とっておきのウィーン」コースへ。ヴィルヘルミーネの丘に着くと、まあ嬉しいこと、青空が見え、お日様の光が差してきました。おかげで、最高に優しく、美しいウィーンの街が臨めました。目の前はブドウ畑です。5,6人の人たちが一緒に犬を連れて運動をさせに来ていました。しばしお日様の光とウィーンの街の眺めを楽しみ、犬たちと戯れ、今はホテルになっている白い、小さなお城の中をちょっと探検して優雅な雰囲気を味わい、またバスに乗って、第二の目的地、ウィーンで一番古いホイリゲ(大衆ワインレストラン)へ。1740年創業のホイリゲはワインと食事の味も、お店の雰囲気もよくて私のお気に入りです。
 おいしい食事を囲み、ワインを傾けてのおしゃべりは、波長がピッタリ合って何と楽しいこと! このテーブルは9時から予約が入っているというので、まだ心を残しながらホイリゲをあとにしました。

2008年4月15日(火) どうやら日常生活始まる
   
月曜日の昨日は初めて合唱に行き、11月のコンサートに向けたミュージカル・ナンバーの続きを練習しました。日本に行っていた間に、新しい楽譜が5、6曲分増えていました。今度はテキストがほとんど英語だし、リズムも今まで練習して来た曲とは違うので、また別の難しさがあります。でもああ、あの曲ね、ってすぐわかる耳に馴染んだ曲を新たに自分たちの曲として仕上げるのって楽しい!

今日は指圧師さんに来てもらって再び右腕の治療開始。色々な動作をする時の感じから言えば、症状の方は楽になってきている気がするのに、指圧師さんによれば、なんと右腕の状態は前より悪くなっているそう! まあ、でも本の荷造りが腕によくなかったことは確かでしょうし、帰って来てまたパソコンに向かう時間が増えてしまったのも確かですから、気長に治して行くことに致しましょう。

  最後は右腕を集中的に治療してくれたのですが、おお、やっぱり右肩の周囲を触られると痛いこと!毎日、朝晩2回ちゃんとやるようにと、腕の回復を早めるために自分でできる体操を教えてもらいましたので、3種類の体操、これから真面目にやります。

2008年4月12日(土) ローマ遺跡とドナウの湿地

       


                     

   
ボ〜ッとしっぱなしの私に活を入れようと、友人がドライブに誘ってくれました。気温はちょっと低めの12℃でしたが、暖かくしていざ出発! 途中で嬉しいことに日も差して40分ほどで到着。ローマ帝国の北の国境の中心地だったここでは写真の大門が見られるほか、少し離れたところでは民間人の居住区の遺跡が野外博物館として見学できるようになっています。大門を見た後はお昼を食べ、近くのドナウ河の湿地帯を散策しました。新緑鮮やかな春の初めの湿地帯は動物はほとんど見られませんでしたが、白鳥の親子が泳いでいました。

  ここは大分前になりますが、高速道路が建設されそうになった時、非常に多数の市民がここを占拠し、さらにたくさんの市民が食料の供給など様々な形で彼らを支援して、粘り強い運動の末、ついに政府の意図をくじき、湿地帯と豊かな生態系を守ったという地です。その時の話や湿地帯のガイドツァーに今度参加しようよという話をした後も新鮮な空気の中にいたくて、しばらく太い丸太に腰掛けていました。時々、犬を連れて散歩をする人や、子供連れに会いましたが、それが全ての静かで美しい湿地帯でした。

  その後はローマ遺跡の野外博物館へ。温かい煙による床暖房や、排水溝の設備など当時の高い文化を実際に目の前に見るのは、頭では知っていてもやはり驚きです。博物館内のカフェの入り口に、トイレはこちらという表示がありましたが、「トイレ」の文字の下に latrina moderna とちゃんとラテン語訳が書いてあったのでニヤッとしてしまいました。なかなかユーモアがありますね。

2008年4月11日(金) 
   時差ぼけのせいで、いまだに毎朝早起きしてしまっています。少しずつ時間が後ろにずれてはいますけれどね。それに私は一日遠出したら翌日は家で休むというペースがちょうどいいくらいの体力なのですが、旅ではどうしてもインテンシヴに動かないといけないので、後で必ず揺り返しが来て、その分を取り戻さないといけないのね。というわけで、今のところは何だか身体中がぼ〜っとして自分の身体じゃないみたいです。

 そこで旅の荷物の洗濯をしたり、整理したり、ウィーンでの日常生活の準備をしたりで、ゆっくりと過ごしています。明日で、帰って来てから1週間ですから、
そろそろ精神的にも元気が湧いてきました。ま、来週からウィーンの日常生活に戻れるかな。

2008年4月09日(水) 夏時間
  
そう言えば夏時間になったことを皆さんにお知らせするのをすっかり忘れていました! 中欧時間で3月最後の日曜日の午前2時が午前3時になって、時計が1時間進められ、日本との時差は1時間縮んで7時間になりました。日本の午後7時が、オーストリアでは同じ日のお昼の12時というわけです。

   私が日本へ飛んだ時はまだ冬時間だったので、8時間年取ったのに、帰って来た時は夏時間になっていたので、7時間しか若返りませんでした。ということは、ウィーンを出る前からすると、私は1時間年取ったまま??!!  

2008年4月07日(火) 時差ぼけ
  
昨日は疲れてボーっとしていただけなのに、1930のニュースを見ているうちにもうウトウト・・・。これはもう早く寝た方がいいゾ、と8時半には寝てしまいました。そしたら今朝4時に目が覚めてしまって、もう寝られません。ま、眠くなったらお昼寝すればいいんだし、と思い直して起きてしまいました。これで今日の夜、普通に寝られればいいんだけど。

 2008年4月07日(火)
 
無事ウィーンに戻りました!
   
4月5日午後10時40分(中欧時間で同日午後3時40分)、無事ウィーンに帰り着きました! 今回は両親のダイヤモンド婚式のお祝いと、できるだけ両親と過ごすこと、また私自身の身辺整理をすることを目的に一時帰国致しました。

           歌舞伎座

今回は十分とは言えないまでも、両親と一緒に祖父母のお墓参りに行ったり、近くの桜並木を散歩したり、母と買い物に行ったり、家族で歌舞伎に行ったり、家でも少し話したりと、比較的多くの時間を両親と共に過ごすことができて、よかったと思いました。歌舞伎に行った時、母が「こうして親子で一緒にどこかへ行ったりできるのは、これが最後かも知れないわね」と言っていましたが、確かにそうかも知れず、一期一会の精神で、ひとつひとつを心から味わって過ごさないと、と思ったことでした。中でも両親のダイヤモンド婚式を子、孫を含む家族全員で
祝えたのは、ありがたく、嬉しいことでした。
                                   
                                           
  また私自身の身辺整理については、まだベッドの下いっぱいに残してあった本を何日がかりかで捨てるものとウィーンへ送るものとに分け、最終的に段ボール箱4箱、計80キロをウィーンへ送りました。写真も整理し、一部をウィーンへ持って帰りました。まだ衣料品、身の回り品などが少し残っていますが、大部分を整理できましたので、本当にホッとしました。

            横浜

法律的な身辺整理については、社会保険庁に行って年金を受け取る時の話を聞き、途中加入のため金額は少ないにしても、オーストリアとの条約により、振込送料が免除されるため、全額(18,000円!)が届くことがわかり、こちらもホッと致しました。年金申請書類ももらい、必要添付書類も揃え、私が書き入れるべきところは書いて、両親が持って行けばよいようにして来ることができましたので、こちらの方も安心しました。

ひとつ、思いがけない嬉しいことがありました。ある日突然、出版社との間に立って下さる方が現れて、前から準備していた絵本を検討して頂くべく、出版社に預けてくることができたのです! 全く予想もしなかった突然の神様のプレゼントにびっくりするやら、嬉しいやら。完璧な幸運としか言えないできごとに、ただただ感謝の念でいっぱいです。結果は夏に分かるそうです。みなさん、どうぞ念力送って応援してくださいませ! 子どもたちの手に渡る日が本当に楽しみです。

残念だったのは、そんなわけで、友人たちに会う時間が取れず、仕事関係、ウィーン関係のごく少数の友人・知人にしか会えなかったこと。でも3週間のうちにその全てをしようということ自体が欲張り過ぎですものね。今回は今までずっと気持ちにひっかかっていたことができたのですから、大いによし、としなければいけませんね。 
            
近所の桜並木          

そうそう、2006年に続いて今回も運良く満開の桜を満喫することができました。本当に桜って美しい! いにしえの人々が「花は桜」と言って特別に愛でたのもようくわかりますね。

次回はみなさんにもお会いできますように! みなさん、掲示板への応援、励ましの書き込み、本当にありがとうございました。おかげさまでたくさんの元気、勇気を頂きました。感謝致します! これからはまたメールと掲示板で、よろしくお付き合いをお願い致します。


 2008年3月12日(水)
 お知らせ

   明日から3週間ほど一時帰国致します。
   
今回は両親のダイヤモンド婚式(60年!)のお祝いと私の身辺整理(実家にまだどっさり残っている私の荷物の整理、国民年金のもらい方などをはっきりさせる等)、また仕事の道を探るために参ります。
 

   2006年には1ヶ月の滞在中、たくさんの友人・知人にお会いできてとても嬉しい思いをしましたが、両親とは妹たちも一緒に一泊で箱根に行っただけでした。あとは実家に泊まっていても寝に帰るだけで、両親をとてもがっがりさせてしまいました。高齢の両親には、今度いつ会えるか、あるいはもう一度会えるかどうかもわかりませんから、今回はなるべく両親と一緒にいて、できる親孝行をしようと思っています。また私ももうそうしょっちゅうは日本へ行かれないと思いますので、身辺整理も今のうちにしっかりしておかなくてはと思っています。 

   そんなわけで、残念ながら今回は皆さんにお会いする余裕がありませんが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。日誌の更新はその間できなくなりますが、掲示板にはなるべく書き込むようにして、皆さまに様子をお知らせしたいと思っています。どうぞよろしくお願い致します。

2008年3月11日(火) 腱鞘炎2
  
最初の指圧で熱が出た後、肩の具合が毎日びっくりするほどよくなって行きました。先週、2度目の指圧に来てもらい、今度は熱も出ず無事。でもそのあと仕事をしたり、嬉しくなってメールの量を増やしたりしたら、また痛くなりました。それでも肩はずっとよいし、気をつけて休みを入れながら気長に治して行けば、大丈夫だと思います。まだ上着やセーターの脱ぎ着がかなり大変ですが、なんとかこなしています。でも、書きたいことはたくさんあったのに、更新がしばらくお留守になってしまいました。ごめんなさい。皆さま、ご心配ありがとうございました。


 2008年3月05日(水) 今度はミュージカル
   
先週の水曜日は初めて指圧治療を受けた後、熱が出てしまって
合唱練習には行かれませんでした。で、おととい、月曜日、行って見たら、
渡された楽譜は、ミュージカル・ナンバー!

  今度は私にとっては初めてのポピュラーで、9月のコンサートのための
練習ですって! 月曜日は"One" (A Chorus Line) "、Puttin´On The Ritz"、
"Love Changes Everything" を、今日は”Over The Rainbow"と"Love Changes Everything" 練習しました。リズムが全然今までと違うので、ちょっととまどいますが、また全然違った楽しさがあります! 速い部分は歌詞を暗記しないと。


  2008年3月02日(日) オペレッタ「微笑みの国」
   
日本から来訪した友人とその息子さんと一緒に、久しぶりにフォルクスオーパーに出掛けました。出し物はフランツ・レハールの「微笑みの国」。今回も立見席券で行きましたが、うまく座れました! このオペレッタに出てくる有名な歌はコンサートで何度か聞いていますが、このオペレッタを舞台で観るのは初めて。ずっと行きたいと思っていたのです。

   オペレッタには珍しく、これはハッピーエンドにはなりません。ウィーンに滞在中の中国の王子、スー・チョンは、伯爵令嬢のリーザに熱烈な恋をして、彼女に小さな仏陀像を届けさせます。リザもエキゾチックな王子に憧れ、ついに出会った二人は愛を確かめ合います。そこへ突然、国からの知らせ。王子は急遽中国に帰らなくてはならなくなります。リザは決心し、彼について中国へ渡ります。しばらくは楽しい生活が続きますが、王子の身辺では、リーザが中国に退廃的な文化を持ち込んだというので、リーザは敵視され、次第に孤立して行きます。心を打ち明けられるのは、スー・チョンの妹のミーだけ。

   スー・チョンはしきたりに従って、4人の妻を娶らなくてはならなくなります(そんなしきたり、中国にありましたっけ?)。これは単なる形式、僕の心は君だけのもの、というスー・チョンに、リーザも一度は納得しますが、しだいに4人の女性と妻という地位を共有しなければならない事実が耐え難くなっていきます。そこへリーザをウィーンへ連れ戻すために幼馴染のグスタフが忍び込んできます。グスタフは、ミーの美しさ、愛らしさ、優雅さに一目惚れ!ミーも中国女性の不自由な身を嘆き、グスタフへの愛に応えます。

  リーザは自分が周囲から認められない辛さ・悲しさと、他の女性たちとスー・チョンを共有しなければならない宿命を思って、ついにウィーンへ戻ろうと決心。スー・チョンはショックの余り、リーザを捕らえさせます。グスタフはミーの助けを借りて逃亡を図ろうとしますが、逃亡が成功すれば、ミーとは別れなくてはなりません。ついに決心して逃亡を図りますが、発見され、捕らえられます。リーザはスー・チョンに、私を自由にして、と頼みます。スー・チョンはリーザへの愛ゆえに、彼女を自由にしようと決心。最後に一度だけ、しっかりと抱き合って、二人は永遠の別れを告げます。

  スー・チョンは悲しみに耐えながら、妹のミーに言います。「僕たちはいつでも微笑まなくてはいけないんだ。そして人生を楽しむんだ。心に秘めた思いは誰にも見せないで」。

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ハッピーエンドに終わらないオペレッタというのは初めてだったので、何だか違和感が残りましたが、リーザが、中国で自分の持つ文化が理解されずに悩む様子、余りの文化の違いに衝撃と孤立感を感じる様子は、よく描けていたと思いました。何だか、ふと自分が結婚してウィーンへ来たばかりの頃を思い出してしまいました。

一つどうしてもおかしいと思ったのは、リーザの衣装と髪型。コミカルな雰囲気を出すために配されているリーザの5人の女友達の衣装も同じ。最初彼女たちを見た時、娼婦の館にいるのかと思ってしまいました。スカート丈がひざまでしかありません。当時の女性は皆ロングのスカートをはいていたはず。リーザは伯爵令嬢なのに、あの髪型とあの衣装ではどう見ても娼婦にしか見えません。思うに当時は娼婦だってロングのスカートをはいていたはずなんだけど、一体あれはどういう意図があってあんな衣装にしたのでしょうか?それからあのチリチリの髪型も。舞台では、リーザは乗馬の試合で優勝したことになっているのですが、あれ、乗馬の衣装? とはとても思えなかったけどなあ。

  あと中国の舞台装置は簡潔ながら、水墨画のような背景、弓状の赤い橋を使ってうまく雰囲気を出していました。天女のような衣装での群舞もとてもエキゾチックで美しく、お客様たちは大満足だったのではないかしら。歌手たちもよかったし、中国の王子様の衣装もかっこよかったし。ミーもとても愛らしくて好感が持てました。

  フォルクスオーパーではここ数年、モダンな演出が多くなっていて、時にはその演出の必然性が観客に伝わらず、そのオペラの持つ本来の魅力がかえって失われてしまったりすることがあり(ごく個人的には、例えば、登場人物を全て昆虫に変えた「トゥーランドット」の衣装)、観客が減っていたのだそうです。そこで今度の新支配人の下では、お客様が期待しているものを見せる、という方針に変えたそう。やたらセンチメンタルにすると質が落ちますが、観客にとっては、その国や時代らしい衣装や舞台を見るのも楽しみの一つ。私はだんだんモダンな演出が好きになって来たのですが、それでも時代は動かして欲しくない。衣装を見る楽しみは大きいですもん。質を落とさず、観客の期待するものを見せる。さて、どうやってそれを実現して行くか、これからのフォルクスオーパーが楽しみです。

  チケットの価格表を見てみると、何と今までより値段が下がっています!観客を取り戻そうと言うフォルクスオーパーの意欲と意志の現れですね。みんなあ、フォルクスオーパーに行こうね! フォルクスオーパー、がんばってね。期待してますよお!

  

2008年3月01日(土) 舞踏会とサイドイベントの司会
    
昨晩から今日の深夜にかけて、旧市街のフェルステル宮殿で芸術系高校のチャリティー舞踏会があり、そのサイドイベント「日本の桜の夕べ」の司会をしました!この夕べで歌ったソプラノ歌手の方の作詞・訳詞のお手伝いをしたご縁でこの役を務めることになったのですが、何しろ司会なんて生まれて初めての体験ですから、気が気ではありませんでしたが、何とか無事に終えることができました。きゃあ、どうしよ〜う!と言っていた私に強力な応援を送って下さった皆さま、本当にありがとうございました!皆さまが応援して下さっている、と思うととても心強く、お陰様であまり上がらないで済みました。

 場所は、フェルステル宮殿の一部であるあの有名な「カフェ・ツェントラール」。何しろ高校の舞踏会ですから、日本歌曲よりディスコという人たちが多かったらしく、立ち見満員とはいかなかったのが残念でしたけれど、プロの音楽家も何人か聴きに来て下さり、ソプラノ歌手の見事な表現力に、ブラヴォー!の歓声と惜しみない拍手を送って下さいました。「こんなところで歌うなんてもったいない。ちゃんとしたコンサートホールじゃなくっちゃあ!」ですって! 実現したらすてきですね! 彼女の歌は本当にすばらしく、私も聞き惚れてしまいました。

 さて、23:30と1:00からの2回、各30分のイベントを終えて、ああ、これでやっと少し踊れる!と思って、上のメインホールに戻ってみると、なんとこちらもディスコと化していました! 22:00頃、サンバを演奏していたのは覚えていますが、今演奏しているバンドは、ワルツだの、ルンバだの、そんなものは絶対に演奏しないぜ!と言っているようなバンド。しかもダンス会場は、メインホールと下のディスコだけなのに、メインホールもほとんどテーブルで埋まっていて、踊れるのは、ホール全体のせいぜい5分の1くらいと言う信じられない狭さ。下のディスコにしても狭いもので、驚きました。舞踏会という名目にするために、言い訳できるだけのダンスフロアを作り、後はできる限りテーブル席にしてお金を稼ごうという魂胆が見え見えの主催者側の態度に、嫌な気分になりました。お客様に居心地のよい、楽しい晩を過ごしてもらおうという発想が全く欠けているのでは、本来のチャリティー精神にも反する、と私は思うのですけれどね。

  メインホールのテーブル席は、もう帰ってしまった人が多くて、ほとんど誰もいませんでした。もっとも、もう午前2時近かったからかも知れませんが、バンドのいない、ほかのあちこちの部屋のテーブルはまだかなり埋まっていたので、耳をつんざくような演奏のうるささに閉口したのかも。とにかく耳のそばで話しても、何を言ってるか聞き取れないんですから、これでは、おしゃべりを楽しむのも無理。

 というわけで、踊るどころか、そこにいる気さえまるでなくなってしまったので、そのまま帰宅してしまいました。1曲どころか、1ステップさえ踊らなかった舞踏会なんて初めて!口直し(足直し?)に、どこかのすてきな舞踏会に行きたいな。              

 

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