6.
ルツェルン(Luzern)、 スイス
2002.8.16〜8.20
ルツェルンで一番有名な そして貯水塔 カペル橋は1998年に焼失、
風景。ロイス川と木の橋 再建された。
MOTOさん、SHINJIさん、ルツェルンまで来てくれて、本当にありがとう!とってもとっても嬉しかったです。
たった一泊二日だったけれど、素晴らしいお天気に恵まれたし、ルツェルンの街の川辺で食事をしたり、湖畔を散歩しながらのおしゃべりは本当に楽しかった。
ロイス川のほとりのレストランで食べたお料理は、後でルツェルンの友人に聞いて知ったんだけれど、両方ともばっちりスイスのスペシャリティーだったのよ!
「おばあちゃん風肉団子のポテトピュレー添え」と「きのこのパイ包みグリンピース添え」。きのこのパイ包みの方は、オリジナルはきのこだけじゃなくて、牛肉とレバーチーズに似たソーセージを一口大に切ったものが加わるので、あれは菜食バリエーションだったのね。おいしかったね!
修業一年が過ぎて、ずいぶんとたくましくなったし、Nattheimの暮らしが身について来たなあって思いました。パン屋さんの修業を始めた元私のクラスだった人にもぜひいろいろ教えてあげてね。(メールより)
おばあちゃん風肉団子の きのこのパイ包みグリンピース添え。
ポテトピュレー添え。 とてもおいしかったけれど、ものすごい
ロイス河畔に臨むレストランの 量で半分しか食べられなかった。
バルコニー席で。 バルコニーからの眺めとおしゃべりを楽しみ、
おいしい食事を味わい・・・
最高の気分だった!
16日、宿についたら、やり手そうなおばさんが出てきて、
「あのね、急に定連さんから電話が入って、トイレ・シャワーつきのツインを2週間て頼まれたのよ。何しろ定連さんだし、2週間なのよ。だから、あなたには部屋を移っていただくわ。分かってくださるわよね。でも同じシャワーを使うのは、たったの3人だけよ。静かよ。部屋代はもちろんそのお部屋ので結構よ。お部屋はそう、このエレベーターで5階ね。はい、じゃあね、これがあなたの鍵」と、有無を言わせずエレベーターに押し込まれてしまった。
部屋に入ってみると、シャワーだけじゃなくて、トイレもない。しかも細長〜い屋根裏部屋で頭が天井にぶつかりそう。で、値段を見ると、たったの10フランしか安くない。座っているうちに、自分のおとなしさに腹が立ってきた。
事情をちゃんと説明した上、丁重に謝って、これだけ引かせて頂きますので、どうか事情をご理解下さい、申し訳ありませんがどうかこちらの部屋で我慢してください、というのなら、まあ許せる。
でもあの態度は余りにもひどいんじゃない?!そこで翌日、おばさんに言った。
「あの部屋シャワーだけじゃなくて、トイレもついてないじゃありませんか。あなたにとって定連さんが大切なのはよく分かります。でも、私もお客でしょう? シャワー・トイレつきを予約しておいたのに、そのままOKしておいて、突然その日に勝手にこんな条件の悪い部屋に移して、そのまま料金を払えというのは余りにもひどすぎませんか?」
彼女は「Entschuldigen
Sie」と言った。これは訳せば「申し訳ありません」になるが、日本語の「ごめんなさい」とは違って、自分が悪かったと責任を認める言い方だ。私はドイツ語圏で初めて、この言葉を聞いた。責任を認めることになるだけに、謝るべき時には絶対謝らない、というのが普通なのだ。その代わり肩に触れたり、ぶつかりそうになったりというような時は、やたらと謝るのにね。それから彼女は「もしあなたがそれで納得して下さるなら、70フランにしましょう」と言う。うん、まあいいでしょう、と私はそこでOKしてしまったのだけれど、まだ甘かったかなあ。
で、ああ、一段落と思ったのもつかの間、その晩またまた大事件!
シャワーを浴びて、シャワー室を出ようとしたら鍵が開かない!
15分くらいノブを回したり、ドアを押したりして、何とか開けようと格闘したけれど、どうしても開かない。
どうしよう!このままでは一晩中、ここに閉じ込められてしまう!
そこで仕方なくドアをドンドン叩き、ついに出てきてくれた隣室の人が外から助けてくれて、内と外からノブを思いきり押してみたり、ドアに体当たりしたり・・・。
私はドイツ語で中から「すみません、ホテルの人を呼んで頂けますか?!」と叫びながらも、引き続き何度もドアに体当たりしていたら
・・・あいた!!!
思わず「ああ、よかった!」と日本語で口走ったら、
「あ、日本人なんですね!」と、ドアの向こう側の人。
彼も日本人だったのだ。ルツェルンで初めて出会った日本人だった。彼が同室の人と話してる声が少し聞こえたときは、響きがイタリア語のようだったので、てっきりイタリア人と思い込んでいたから、なんだかおかしかった。彼ももちろん私が何人かはわからなかったわけだしね。
こうして変な出会い方をした日本人二人は、ロンドンで英語の勉強を始めたばかりという息子さんを交えて、真夜中にしばしせまい廊下でおしゃべりしたというわけでした。それにしても部屋から廊下を隔てた、たった1mの距離だったとは言え、バスタオルを巻いただけ、なんて格好でなくてよかった。パジャマの上にトレーナーだったから、ちゃんとした、とは言い難いけれど、少なくともシャワーの後としてはそれほど失礼ではない格好だったので、あとで胸をなでおろした。
ほんとに、彼がいなかったら、一晩中閉じ込められたとこだったのよね。
翌朝食堂でまたお会いしてわかったことには、彼は大阪に建築事務所をお持ちの建築家でした。
ルツェルンのこのホテルのことは、きっと一生忘れないでしょう。
「旅日誌2002」目次へ TOPページへ
Home | ごあいさつ
仕事と生活 | お気に入り作家紹介
| ウィーン我が愛の街 | 旅日誌
|
Café | ひとりごと | 更新日誌 | リンク集
|