旅日誌2003夏

            ピュルク、ミュンヒェン

*このページを作った後で、HP作成ソフトをフロントページ2002(ドイツ語版)に変えたせいで、せっかく作ったサムネイルが全然駄目!わずか写真が見えるところも、拡大はできなくなってしまいました。写真を全部保存しなおし、アップするまで、ちょっとかかると思いますので、見苦しいですが、しばらくご辛抱下さい。2004年の旅の方が先にアップできる気配です

 



2003年8月17日〜20日 ピュルク(ザルツカンマーグート、オーストリア)

    

ュルク全景        山側を見る                                                                                                      

*2003年8月18日(月) バートアウスゼー
      
 市井の娘への愛のために  ヨハン大公と妃となった
 皇位を捨てたヨハン大公   ナンネルの肖像を描いた
                   レストラン

*2003年8月19日(火) ピュルク
   お天気が悪かったので、1日中読書三昧。
   高村薫の「リヴィエラを撃て」読了。

*2003年8月20日(水) タウピルツアルム 1600mの高原

        
 リフトで30分上ると    陽が強すぎたので画像の  深いエメラルド色のシュタイラー湖
 1600mの高原が広がる 色が濃いのだろうか?    色がきれいに出ていないのが残念               

*2003年8月21日 ピュルク → ミュンヒェン

  朝8時に迎えのタクシーを頼んでいたのに、10分過ぎても来なかっ      たため、宿のご主人が車でピュルクの隣の駅まで送ってくれた。私の荷物を持って駅まで入り、ちゃんと何番線から列車が出るかまで 、駅で確認してくれた。ピュルク駅は無人駅で、しかも駅へ行くには急な山道を村から徒歩で下りるしかない。隣の駅までは5km。そこからザルツブルク行きの列車が出ている。8:37発。
ザルツブルクで乗り換え、ミュンヒェンまでは1時間半。
 

2003年8月21日〜24日 (ミュンヒェン、ドイツ)

   
 ミュンヒェンのシンボル、マリエン広場に立つゴシック様式の新市庁舎(1909年完成)。観光客はみなここに来て、仕掛け時計が動くのを見上げる。10分間のパフォーマンスが終わると 、拍手が沸き起こった。11時、12時、17時に見られる。時計塔の高さは85m。

*2003年8月21日(木) シュタッフェル湖 

なんとも間抜けなことに、ピュルクのペンションの部屋の鍵を持ってミュンヒェンまで来てしまったことに気づいた!
 急いで宿に電話し、郵便局に急行して、鍵を送った。でも今日は木曜日。普通にに送ったら着くのは月曜日になってしまう。それでは余りにも遅すぎるので、速達かつ書留で送ろうとしたら、局員が「書留は3ユーロしないけれど、速達はすごく高いよ、合計で48,5ユーロになるけどどうする?」と聞く。え〜っ、速達ってそんなに高いの!部屋代は夕食つきで1泊36ユーロだったのに、50ユーロ近くかけて鍵を送るなんて!と思ったけれど、週末が近くては仕方がない。大金をはたいて書留速達で送った。
  そしたら局員は、「これで、あなたはもう二度と、ペンションの鍵を持ってきてしまうようなことはありませんね」だって。


 
 やっと鍵騒ぎが一段落し、ミュンヒェンからローカル急行で50分。1999年夏に国際児童図書館に1ヶ月半いた時に、下宿させていただいた家の女主人を湖畔にある週末の家に訪ねた。
 現在は娘さんに市内の家を譲り、ここに正式に住民登録したそうだ。湖の見える庭でコーヒーとケーキでおしゃべりした後、湖畔を散歩。その後車で近くの沼地やドイツ最高峰のツークシュピッツェが見える山側をドライブして案内してくれた。23日にはSt.ペテルブルクへ2週間の旅に出るのだそうで、うまく再会が果たせて、本当によかった!

*2003年8月22日(金) 
 
 
  

 

 

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