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更新日誌

2013年2月23日(土) また雪

 雪がやっと融けたかと思うとまた雪が降り、今年は雪の多い冬です。金曜日の朝から降り始め、一日中降って、夜中もずっと降り続き、今日のお昼過ぎにやっと止みました。もうそこらじゅう、真っ白です。

   カフェ・ドンマイヤーに出掛けて、コーヒーとケーキでおやつ、そのあとシェーンブルン宮殿の庭園を散策しました。私は寒い時には家に閉じこもるタイプなので、たくさんの人が来ているのにびっくりしました。でも思い切って出てみて、裸の木々の枝に積もった雪の美しさを愛でながら、雪景色の中を歩くのもなかなかいいものだ、と新発見。雪の庭園は、他の季節とは別の美しさがありました。これからは寒くても出掛ける気になりそうです。

   
 
カフェ・ドンマイヤーを外から見る        カフェ・ドンマイヤー内部

  
 シェーンブルン宮殿の庭園           大温室

 子供たちもたくさん来ていました
  

2013年2月23日(土)「原発にもメーカー責任を」
    というオンライン署名があります、というメールが、ハンブルクに暮らす翻訳者の友人から届きました。事故を起こした東京電力には1200億円の強制保険が義務付けられていますが、「原子力損害賠償法」では、事故の責任は電力会社のみにあるとしており、電力会社が財政難に陥った場合は、それを超える分は国が賠償責任を負うことになっています。国が支払う賠償金は、私たち国民の税金でまかなわれるわけですから、国民が損害賠償金をはらうことになり、ずいぶんと理不尽です。しかも事故を起こした原子炉を製作したメーカーはこの法律により、一切責任を問われることがありません。それっておかしくありませんか? メーカー責任を取らせる法律を作りましょう、というのが、この署名キャンペーンの骨子です。インドではついにメーカー責任を問う法律ができました。

 「原発にもメーカー責任を」
  http://www.greenpeace.org/japan/ja/campaign/nonuke/main/

  解説をよく読んだ上で、趣旨に賛同して下さるなら、どうぞ署名をお願い致します。またお知り合い、ご友人にもぜひご紹介下さい。

 

2013年2月12日(火)「ちび」出版40年!

  「ちび」出版40周年記念号

 『にぎやか色のちび』の原書、"Das kleine Ich bin ich"(ダス・クライネ・イッヒ・ビン・イッヒ。原題は、小さな私は私)が、2012年に刊行から40年を迎えました。え? 今年は2013年じゃないの? とおっしゃる方、確かにそうです。実は、昨年バーデンに行った時、町を散策していて、小さな本屋さんのショー・ウィンドーに、このちび特別号を発見しました。で、入ろうとしたら、その日は日曜日だったのでお休み。色々あって、そのまま忘れてしまっていたのを、思い出して、焦ってウィーンで一番大きい本屋さんに行きました。ところが、もう売り切れ、と聞いてがっかり。でも店員さんが、支店にあるかも知れないから、と電話をして聞いてくれました。そうしたら、そこに最後の1冊がまだあるそう!何という幸運!早速、その支店から我が家へ送ってもらったのが、これです。

 グリーンの表紙が白くなっていて、この記念号のために作曲した音楽が入り、バリトン歌手が朗読しているCDがついています。人に読んでもらうというのもよいものですね。とても楽しく聞けます。

 40年経っても愛され続けているというのは、とても嬉しいし、これは同時に内容の素晴らしさの証明でもありますから、縁あって「ちび」の翻訳にかかわれたことを本当に嬉しく思います。小さなお子さん、お孫さんのいらっしゃる方、これを機会に、どうぞ町の図書館で借りて、もう一度「ちび」の旅をご一緒に味わって下さいね。

  2013年2月9日(土)コーチゾンなしで100日目!
    
しばらくご無沙汰してしまい、失礼致しました。先週の水曜日、1月30日に熱を出し、8日間寝ていました。今回は熱が上がったり、下がったりを繰り返し、いつまでも落ち着かないので、身体の方もかなりバテて来て、今晩待って下がらなかったら、副腎皮質ホルモン剤(コーチゾン)を飲むしかないかな、と思って寝たら、翌朝、ギリギリのところで下がりました! ああ、その嬉しかったことと言ったら! これで4回目の今回も、副腎皮質ホルモン剤を飲まずに、ケヴィン先生処方の漢方薬だけで下がったのです! 

 副腎皮質ホルモン剤を飲まずに済むようになれば、もう半分勝ったも同然です。これをどうしてもやめられないために、何十年も苦労して来たのですから。数限りない副作用は少しずつ消えていくでしょうし、ベース漢方薬の効き目で、熱の間隔も少しずつ延びて行くと思います。そして、いつの日か、熱の出なくなる日がやって来るでしょう。身体によい食事と、運動で、引き続き、回復を促進して行きましょう。まだ大分忍耐が必要でしょうけれど、でも、大きく前に進み始めたのです。たゆまず進み続ければ、必ず、目標に到達する日が来るはずです。

 今日は、副腎皮質ホルモン剤を飲まないで済むようになって、100日目を迎えました。シャンパンでお祝いし、さあ、次の100日も頑張るぞ!と誓いました。   

  2013年1月25日(金)冬景色2
      
こちらはキルヒベルク(ウィーンから車で1時間15分くらい)の冬景色です。

    

   

 

   2013年1月18日(金)冬景色

   近所の車。こんなにもっこりしてしまいました。   
     
気温は−2℃、雪も降っているというのに、出掛けるなんてキチガイッぽいとは思ったけれど、ここ数年、こんなにたくさん雪が降ったことはないので、記念写真を撮りにシェーンブルン宮殿近くまで行って来ましたので、ちょっとご紹介。30cmくらいは積もっています。明日は最高気温が−8℃だそうですから、もう雪は降りませんが、もっとブルブルの寒さ。明日は家に閉じこもろうっと。

    
 
雪のシェーンブルン宮殿            ウィーン川。左上にボヤっとですが、オーットー・                        ヴァーグナー設計の駅舎が見えます。
                      

    
 枝に乗った雪がきれい。             ウィーン川の横を走る地下鉄4番線。

 

    2013年1月17日(木)初催眠療法
    
朝起きたら、明け方からの雪が積もって、こんな! 初催眠療法の日だったので、かなりの勢いで雪が降る中、出掛けました。余りに降り方が激しいので、行きはタクシーで行きましたが、帰りは雪も弱くなって来たので、市電で帰ることにしました。ところが乗っている途中で、事故が起きたので、この市電はヒーツイング(シェーンブルン宮殿のそばの駅)に回り、そこで終点になります、というアナウンス。それじゃあ、ちょうど頼んでいたDVDをすぐそばのお店に取りに行こう、と予定変更。DVD(2010年のジョルジュ・プレートル指揮のニューイヤ・ーコンサート)を受け取った後は、当然すぐ近くのカフェ・ドンマイヤーへ。ドンマイヤーは、ヨハン・シュトラウスU世がオーケストラを率いてデビューしたカフェとして有名で、夏には庭でコンサートが開かれます。

  ドンマイヤーでおいしいストロベリー・ヨーグルトケーキと、ものすごくおいしいカフェ・ラテ(メーカーは聞かなかったけれど、味からするともしかしてイリイのコーヒー?だってお砂糖なしで、とてもおいしく飲めたもの)を楽しんだあと、市電に乗り、さらに別の市電に乗り換えたら、また大きな事故があったので、次の停留所どまりになります、と言うアナウンス。雪が相当の混乱を巻き起こしているらしい。というわけで、ついに雪がまだ降リ続けるる中、2停留所分を、除雪もしていない、グチャグチャツルツルの道を歩くことになりました。まあ、でも思いがけず運動ができたのだから、よしということに。

 ところで、今日は初めて催眠療法中に数分でしたが眠ってしまいました。間にクリスマス、新年、私の熱などがあったため、一ヶ月ぶりぐらいの施術で、入眠障害はすっかり元通りになってしまっていたので、ちょっとびっくり。今晩どうなるかがちょっと楽しみです。早めにうまく眠れるといいんだけど。

 朝の中庭、雪が降り続いています


      
2013年1月11日(金)初熱
    
お正月気分も抜けて、新年の仕事が動き出しました。私はと言えば、掲示板でお知らせしましたように、3日から熱を出して寝ていましたが、昨日、ようやく熱が下がり、ホッとしたところです。丸8日とずいぶん日にちがかかりました。何とか今回も副腎皮質ホルモン剤を飲まずに済ませようと、発熱時用漢方薬だけでがんばっていたからです。でも、ついに成功しました! 副腎皮質ホルモン剤を飲まないで済む度に、少しずつ免疫力が戻り、少しずつ様々な副作用が消えていくはず。これからエネルギーが戻って来て、日常生活がこなせるようになるまでには、あと数日かかりますが、またもや副腎皮質ホルモン剤なしで、熱を下げられたという「初成果」のご報告でした。

   あと2ヶ月で、東日本大震災発生以来、丸2年が経過します。被災地の復興はいまだ遅々として進んでいませんが、その一方で被災地から離れた地方では、もうまるで何もなかったかのような生活が戻って来てしまっている、と聞いています。私たちは意識的に、忘れないための努力をしないといけないようです。人間というのは忘れやすい生き物ですから。

  今日は、すでにご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、武田邦彦さんという、特に子どもたちを放射能の被害から守るために果敢に活動している方のブログをご紹介したいと思います。

武田邦彦(中部大学)−マスコミが伝えない事実と解説・・・超政治的課題から日々の生活情報まで です。

 武田さんは原子力の専門家で、安全な原発推進派です。安全な原発の実現はできると信じてずっと努力されて来ましたが、2006年にある法律を見て、国に子どもたちを守る気がないことを見抜き、また原発が単に科学技術の問題ではなく、多分に政治問題であることを知り、それ以来、原発に対して批判的になりました。ついに東日本大震災が起きてしまい、原発が決して安全でないことが証明されてしまってからは、安全でない原発は建てるべきでない、稼動もするべきでない、震度6の地震で全ての原発が壊れているのだから、また、何よりも国際法規を守って、放射能の汚染から国民を、子どもを守れ、と言う立場をとっています。原発事故を防ぎ切れなかった科学者として、起きてしまった以上、その被害を最小限に食い止める努力が責務だと考えていられるようです。

 私は彼の意見には時々??と思うこともあるのですが、それでも気がついたら、いつの間にか毎日ブログを楽しみに読むようになっていました。

 さて武田さんのブログを見ていたら、『温暖化で原発の退路を断つ・・・アングロサクソンの作戦のすごさ』という記事があって、なるほど〜!と思いましたので、一部をご紹介したいと思います。長くはありませんし、音声で聞くこともできますので、よろしかったら、どうぞ直接ブログを開けて、お読み、あるいはお聞き下さい。

「……イギリスがかつて小国でありながら、世界の七つの海を支配しても「正義」と思われたのは、ヨーロッパの学問に基づく「正義」があったからです。また、アメリカが、アメリカ大陸の東にできた13州の小国がアメリカ大陸と太平洋を支配するほど巨大になっても「侵略者」とか「膨張主義」と呼ばれないのも、この「転換」がうまくいったからです

その点で小さいですが、彼ら流儀の「正当化」の例に「原発の正当性」があります。原発を正当化するために、彼らの立てた戦略は、

1)原発の安全性は正面から議論しない、
2)CO2を出すと地球が温暖化するとの「怯え」を与える、
3)原発が火力とほぼ同じCO2を出す(建設時、濃縮、再処理など)ことは言わない、
4)原発の安全性が問題になったら、「火力はCO2を出す」と脅す、
5)エネルギーを知らない人は「自然エネルギー」と言うだろう、
6)そのうち、自然エネルギーが自然を破壊することがわかる、
7)再び原子力に帰ってくる、

でしたが、現在の日本はそれと同じ経過をたどっています。(2013年15日)」

5)、6)に関しては、私自身もこれから勉強する必要があります。

 

 2013年1月1日(火)新年

  
明けましておめでとうございます!  2013年元旦

         
     シャンパンで新年に乾杯!      我が家のマスコットたちも、皆さま、おめでとう!

 2013年が明けました。皆さま、よいお正月を迎えられましたか?
こちらでは、新年と同時にテレビで流れ出す「美しき青きドナウ」を聞きながら、
シャンパンで乾杯、幸せを呼ぶと言われる豚さんのお菓子(さらにてんとう虫のとまった四葉のクローバーを口にくわえているのでご利益は3倍?)を食べて、新年を祝いました。

 年明けが近くなるにつれて、ウィーンっ子たちは、街のあらゆるところで爆竹を鳴らし、新年と同時に花火を打ち上げます。花火は一時間以上続き、我が家の窓からはとてもよく花火が見えるので、赤や緑の形も様々な花火を楽しみました。2時半頃に寝て、遅い朝食を取り、11時15分から始まるニューイヤーコンサートにどうやら間に合いました。ご覧になった方も多いことと思います。

 一昨年に続き、指揮は今年もヴェルザー・メスト。今回もニューイヤーコンサートで演奏されるのは初めてという曲を前回よりも多く、11曲も取り上げました。さらにヴァーグナーとヴェルディの誕生200年ということで、彼らの曲も。これは楽しめました。「軽騎兵」序曲も。ヨーゼフ・ランナーの「シチリアの踊り」は大発見でした。日本では余り名を知られていませんが、最初にウィンナワルツの形を確立して「ウィンナワルツの創始者」と呼ばれるランナー。確かに後のシュトラウス(子)の作品ほど洗練されていないけれど、その代わり優雅でおっとりした軽やかさがあって、とても気に入りました。まだ演奏されていない曲を紹介しようという試みは、こういうことがあるので嬉しいことですが、ただ11曲というのは多過ぎると思いました。ニューイヤーコンサートという、新年を軽やかなシュトラウスたちの音楽で祝おうという場には、ちょっと重過ぎるという気がしました。知らない曲ばかりだとリラックスできず、身体が動き出すような感じで楽しむことができないからです。やっぱり、何曲か皆が聞き慣れている超有名な曲も楽しみたかったなあ。

ヨハン・シュトラウス2世の「レモンの花咲くところ」、ヨハン・シュトラウス1世の「エルンストの思い出(ヴェネツィアの謝肉祭)」、それにアンコールの第1曲目、ヨーゼフ・シュトラウスの「おしゃべりなかわいい口」は、聞けて嬉しかった曲でした。

 さて、ニューイヤーコンサートはこのくらいにして、今年の日本はたくさんの問題を抱えて、困難な年になりそうですが、長いものには巻かれろ式の日本的メンタリティーを乗り越えて、本当に私たちが望む社会を主張して行きたいものです。原発事故が起こるまで、私たちは原発の安全神話を何の根拠もなく、能天気に信じていました。考えてみれば、政府やメディアが世論操作をするのなんて昔からのことだったのですから、これからの私たちは、政府、自治体、急に意見を変えて政府、メディアに擦り寄ってしまった学者たちの言うことに耳を澄まし、何が本当で何が嘘なのかを見極めていかなければいけなくなりました。しっかり勉強もして、判断力を養い、安心できる社会の実現にみんなで努力して参りましょう。

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