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 2008年10月31日(金)  冬時間
   
掲示板で冬時間のお知らせをしましたが、掲示板の記事はそのうちに消えてしまいますから、もう一度こちらでお知らせ。

   
オーストリアでは、10月最後の日曜日、26日の午前2時が、一斉に午前1時に合わされ、時計が1時間戻って、冬時間になりました。暗くなるのももう随分早くなりました。合唱の練習に出掛ける午後6時半頃は、9月はまだお昼みたいに
明るかったのに、今はもうすっかり真っ暗。

   みなさ〜ん、というわけで、今週からオーストリア(を含む中欧)と日本との時差は再び8時間になりました。日本が8時間先を行っているので、日本の午後8時が、オーストリアの同日のお昼の12時です。

   これから3月最後の日曜日に夏時間に切り替わるまで、どうぞよろしくお願い致します。電話をする時などお気をつけ下さいね。


  2008年10月28日(火)  近況
                       
                          
焼き栗売りのお兄さん

  
朝は霧がかかり、日によっては午後になってもどんよりした、いかにもウィーンの秋らしいお天気が続いています。日中は15℃からもっと上がることがあっても、夕方以降はグッと冷えるので、もうオーバーを着ています。

   先週の月曜日にまた熱を出し、一昨日の日曜日にようやく起き上がりました。今回は薬を飲むタイミングがうまく行かなかったので、体力的にいつもよりきつく、昨日、久しぶりに家を出て、2週間ぶりに合唱練習に出掛けて行った時には、膝の後ろがまだだるい感じでした。11月初めにこちらの漢方医の先生に予約が取れたので、ここで熱の原因、そしてどうしたらこの熱を収められるかがわかれば、と期待しているところです。

  そんなわけで、それまで準備していた書きかけの記事を完成させることもできず、アップできないままで寝込んでしまったので、しばらくご無沙汰してしまいました。

   その間、9月28日に国民議会(下院)選挙があり、10月18日には、11日に交通事故死した右翼政党オーストリア未来同盟党首でケルンテン州知事だったイェルク・ハイダーの州葬があり、今日は選挙後の国会第1日目で、社民党、国民党に次いで第3党となった自由党議員のマルティン・グラーフが第3議長に選ばれました。グラーフは極右団体に属しているため、話題になっていますが、匿名投票で156票中、109票を獲得しているのですから、形式的には全く問題はないことになります。

 9月末の選挙では、初めて16歳から投票が許され、社民党、国民党は一応第1党、第2党の地位は守ったものの、共に大幅に票を失い、代わりに右翼の自由党、オーストリア未来同盟がグンと票を伸ばして、自由党は第3党に上がりました。今まで第3党だった緑の党は、第5党に落ちました。一体どんな連立政権になるのか、これからが見ものです。

2008年10月11日(土)  ローマ博物館
  
この春にはドナウ河沿いのローマ帝国の国境の町だったカルヌントゥムの住居地区の野外博物館(2008年4月12日)に行きましたが、今日は同じカルヌントゥムの当時の軍隊駐屯地にあるローマ博物館に行って来ました。この博物館は1904年にできたもので、博物館自体ももう100年以上経っています。当時はまだオーストリー・ハンガリー帝国の時代でしたから、フランツ・ヨーゼフ皇帝が開館式に臨席されたと聞いて、ああ、だから、と、すぐ前の公園にフランツ・ヨーゼフ皇帝の像が立っているわけがやっとわかりました。

   時間的にちょうどよかったのでガイドツァーに参加したら、ガイドさんがとてもよくて、当時の町全体の形成の様子、富裕階級の生活、そしてどうやって街作りをしたか、測量の話、それから庶民の生活と生き生きと説明してくれて、とても興味深いものでした。カルヌントゥムは当時(約2000年前)の、東西と南北の商業路がちょうどぶつかるところにあったので、軍隊が駐屯するようになってから、しだいに商人や職人が住み着くようになり、全体で5万人もの人口を抱えていたそうです。現在は小さな村が2つなので両方合わせて、人口は約3000人ですって。面白いですね、2000年前の方が、10倍以上もの人が同じところに住んでいたなんて。

 発掘は今でも続けられており、従ってまだまだ新しい発見があり、所蔵物はとても多くてごく一部しか展示できないため、展示物も定期的に変え、また住居地区の野外博物館では、当時の富裕階級の家がついに修復・完成、10月26日のオーストリア独立記念日(正式名は「国民の祝日」。1955年、10年の占領の後、英米仏露占領軍の最後の兵士がオーストリアの地を去った日)には、実際に床暖房をするので、当時の富裕階級の生活が味わえるそうです。また当時の窯で実際に焼き物をする実験もしたり、新しい試みを色々しています。

 そういう博物館側の努力が実って、来館者数も今年は昨年の2倍以上。やり方によっては、博物館てこんなに面白くなるんですね!

  今回はローマについての本を買って来ましたよ! 短くまとめてあって、たくさん絵が入っているのを買って、家でよく見たら中学生くらいを対象にかかれたもののようです。読むのが楽しみ!

2008年10月06日(月) 健康食、続けます!
  
新しい食事療法を始めてからのご報告が遅れていました。今日で一ヶ月が過ぎたことになります。で、今の状況はと言うと、先週の水曜日の夕方から出始めた熱からやっと回復したところ。

  実を言うと、9月29日のコンサートの前日の朝、喉が痛いのに気づいて、大急ぎであらゆる対策(塩水でうがいする、生姜シナモン蜂蜜湯を飲む、のど用の錠剤をなめる、身体を休めるetc.etc.)を実行したところ、嬉しいことに翌日には喉の痛みが消え、無事コンサートに参加できました。で、その後も引き続き実行し続けたのですが、風邪を完全に追いやれないでいるうちにいつものごとく、風邪がきっかけになって私の熱へと移行してしまったということになりました。

  水曜日の晩、39℃近くまで上がり、翌日いったん下がったかのように見えたのですが、また金曜日の朝から上がって来て、夜中には39℃を少し超え、土曜日、やっと平熱に戻り、昨日ゆっくり寝て、どうにかまた元気になりました。
 
   実は、10月4日、5日、つまり昨日、おとといの週末の2日間は、ミュージカルコンサートのための週末合宿に行く予定でした。初めての振り付け練習だった9月13日(土)も熱で行かれなかったこともあって、合宿にはぜひ行きたいとで楽しみにしていたのに、行かれなくなってしまって、本当にがっかり!それに一度週末合宿をすると、普通の練習の3週間分くらいをいっぺんにすることになるので、これから追いつくのが大変だけれど、でも時間はまだあるので、何とか追いつくつもりです。

   ニンジンジュースを含めた食事を見直してみると、確かに熱の後の立ち上がりは早くなりました。今まではちゃんと回復するためには、熱が下がってから2日間、寝ている必要があったのに、1日でだいじょうぶになったのですから、これはもうとても大きな成果!

  ただし、よく考えてみたら、ニンジンジュース等を始めてから1週間目に熱が出ていたので、今回はその後3週間目に出たことになり、熱の期間はまだ延びてはいませんでした。ま、そんなに早く効果が出る方が不思議なので、当然と言えば当然。ただ、日本へ行く前までは、ほとんど熱が出ないところまで、こぎつけたのに、これだけしょっちゅう出るようになったので、4月から今までで、副腎皮質ホルモン剤の服用量は、もうとっくにそれまでの何年分もに達してしまっていますから、かなり危険。やはりちゃんと、なぜまた急に繰り返し熱が出るようになったのか、原因を探る必要があります。そこで、ホリスティック医学のお医者さんに行って見ようと思っています。

  ここ10年ほどで、伝統中国医学(漢方医学)が大きく広がって来ました。オーストリアでも医師会から正式に認められ、アカデミーもできて、免状も得られるようになりました。大学でも講座が開かれています。また鍼灸、指圧、気功なども一般に知られるようになって来ました。その他、ホメオパシー(同種療法)、オステオパシーその他、医者側、患者側の双方から、西洋医学の治療法への反省、疑いが出て、いわゆる代替療法がかなりの勢いで広がって来ています。ただし今のところ混乱気味と言うのが実情ですが。ああ、よい先生に出会えますように!

  それから食事も、昔の体験と考え合わせて、少し修正しました。


 2008年9月29日(月) 
久しぶりのコンサートと大失敗!
  
7月末から8月初めの南チロル巡業コンサートは、体力的にきついため、諦めずを得なかったので、今日は久しぶりのコンサート。ウィーン20区の主催する文化イベントシリーズにお招きを受けたのです。
   
  お得意のレパートリーのウィーンの歌(J.シュトラウスとかの)や、オペラやオペレッタからの歌、それに勉強したてのミュージカル曲、3曲を加えて計20曲を歌いました。合唱団は創立以来、もう62年間も歌い続けているので、レパートリーはものすごい大きさ! でもレパートリーに含まれている曲は、もうできることが前提になっているので、コンサート前に一回歌って終わりだったりするため、新入りはちっとも覚えられない。新しい人たちは次々に入ってくるわけだから、これは考えなくてはいけない大きな問題よね。せめて一月に一度くらいはレパートリー曲を取り上げて、パート別練習をして欲しいと思います。すでにできる人たちはもっと完璧にするために、新人はきちんと覚えるために。レパートリー曲こそ、完璧に歌えなくちゃいけないんだから。一人で完璧に覚えろというのは幾らなんでも無理だし、リーダー格の人たちに頼って何となく歌うのではなくて、新人だってきちんと歌いたいでしょ。

で、プログラムには2曲、一度も歌っていない歌があったので、週末にCDを何度も聞いて曲を覚え、それからピアノでアルトのパートを弾いて、だいたいの感じを覚えて、本番ではもっのすごく小さな声で歌って、なんとかごまかしました。ただし私は目立ちたくなかったので、2列目に立ちたかったのに、「あなたは背が小さいんだから、一列目のリリアンの隣に立ちなさい!」という怖いお姉さん(年齢は私より若いけれど、在団年数と貫禄からすれば大姉御)の命令で一列目の端っこに立つことに。

 というわけで、例の2曲は何とか無事にやりすごしましたが、もう随分歌っていなかったある曲に来て、1ページ目を歌い終わり、2ページ目を開けたら、みんなは全然違うところを歌ってるではありませんか! ええっ!どうして?! 楽譜の一部を家においてきちゃったんだろうか? それとも繰り返して歌ってるのかなとか、猛烈混乱しちゃって、舞台に立っている時にやってはいけないのはわかっていたにもかかわらず(しかも最前列ですからね!)、つい前のページを開けてしまい、また戻って見ているうちに見開きになっている2ページ目と3ページ目の
楽譜が逆に印刷されているのに気づきました! でも目立っちゃったわよねえ、あれはまずかったなあ。指揮者の先生、ごめんなさい! 

  でもお客様たちにはとても喜んでもらえたし、主催者側からは、また来年もうちで歌って下さい、と言ってもらえたそうなので、ああ、よかった、と少しホッとしました。さて、次は12月のアドヴェントコンサート。すでにシェーンブルン宮殿のクリスマス市で、3回歌うことになっています。外だから寒いのよ〜ぉ。ダウンのコートに帽子しっかりかぶって完全武装していかないと。クリスマスイヴの午前中は毎年病院に行って、病棟を回りながら、クリスマスの歌を歌います。そしてその日の夜中は、シュテファン寺院の真夜中のクリスマスミサで歌うのですが、私は今年は病院の方に行くつもり。

2008年9月20日(土)  お能
   
久しぶりにお能を鑑賞して来ました。珍しいことにシーレやクリムトの収集で知られるレオポルド美術館の主催。

      いわば能入門といった催しで、能とは何かとか、歴史とか、表現法とかを易しく、振りを入れながら話してくれて、それから実際に幾つかの作品のさわりだけを見せてくれる、というものでした。楽器の説明まであり、なかなか興味深いものでした。ただ、さわりだけでは作品の奥から伝わってくるものを鑑賞するというわけには行かなかったので、今度はちゃんと一つの作品を全部観たいと思いました。日本人がもっと来ているかと思ったけれど、ほんの数人で、あとは皆こちらの人でした。それだけ関心が高まっていると言うのは嬉しいことよね。

   一つ余計なことを考えてしまいました。会場は、地下二階のそれほど大きくはない展示場に簡略化した能舞台(屋根なしで色は黒、4本の柱だけが白木)を作り、椅子を舞台正面、斜め、脇に並べたもの。ざっと数えてみると椅子の数はせいぜい150くらい。で、チケットは20ユーロ。満席でしたが、昨日と今日の2日間だけの公演なので、観客は延べ 300人。ということは総売上げで6000ユーロ。公演の出演者は7人だから、これでは飛行機代がどうにか出せるかどうかというくらいにしかなりません。美術館が持ち出し覚悟で招いてくれたのでしょうか。学術・芸術省など文化関係の公的機関の援助もあったのでしょうか。日本大使館も関わっているかも知れませんね。とにかく観客の私たちとしては、海外公演をこんなに安く鑑賞できて、ありがたいことでした。

  私は正面の2列目に座ったのですが、1列目に美術館主のレオポルド・ファミリーと親戚、友人らしき人たちが座っていて、公演が始まる前に私の前の席にいたレオポルド氏がさっと立って、美術館が能の公演を主催すると言うのは、かなり変わっているけれど、やっと招くことができました、様式化された中で混沌とした感情を表現できるのが能の素晴らしいところです、と挨拶をしていました。ビジネスというより、どこか手作りという感じが漂っていました。   


  いつだったか能のウィーン公演があって、確か「隅田川」だったと思いますが、すごく感動したことがあります。こういう催し物だから多分、アン・デア・ウィーン劇場だったのではないかと思います。日本語とは言え、語っている言葉をちゃんと聞き取るのは難しいし、しかも古語だから、せりふや地謡のドイツ語訳が舞台の上に出ていたのはありがたいことでした。しかもその訳がとてもよくて、おお、こんなに美しいせりふなんだ、と思いながら鑑賞できたので、母親の子どもを思う情念、喜び、悲しみも、切々と伝わって来ました。ああ、また見たいな。
 

2008年9月15日(月)  1951年来の寒さで、ついに暖房入る!
   
9月に入ってから急に暑くなって30℃になる日が先週まで続いていたのに、一昨日あたりから急に15℃も下がり、今日のウィーンの朝の気温はなんと5℃!最高気温もたったの11℃で、1951年来の寒い9月の一日となりました。東京なら完全に冬の温度よね。

   で、今日夕方になって何となく暖房機を触ってみたら、暖房が入っていました!そこで急いで、暖房機に掛けてある加湿器に水を入れて回り、湿度対策。明日からも同じような雨がちの寒い日が続くということなので、体調に気をつけないと。

2008年9月9日(水)  体力回復作戦
   
先週はどういうわけか、休暇から帰ったばかりだというのに、その晩から何度も夜中に目が覚めて眠りが浅いために、一日中ものすごい疲労感。胃の調子が悪くてすごく痛い口内炎ができちゃうし、目の芯が痛くて、とてもパソコンに向かえないし、とにかく横になって眠りたいばかりで、何もできない。何かをするというエネルギーを出すことが全然できません。

 一体どうして?!こんな調子でまた熱が出たりしたら、仕事もできなくなっちゃう!と不安が増大。何とかして眠れるようにしないと、と体のリズムを変えるために、思い切って水曜日と木曜日の晩には、昔飲んでいたかなり強い睡眠薬を飲みました。確かに眠りがそれまでより深くなったおかげで、少し身体は楽になり、目の芯の痛さも和らいできました。胃は自然薬のおかげで、楽になりました。さらに1〜2時間の昼寝もして、大分身体が楽になってきました。でも口内炎は相変わらず痛くて、食べたり飲んだりすると、すごく沁みるので、食べるのもあまり気が進みません。

   ただ不思議なのは、あの睡眠薬を飲んでも、眠りはそれほど深くはなく、やはり夜中に何回も目が覚めたということ。この薬を飲んで夜中に目が覚めるというのは変です。

 そこでフッと気がついたのが、ブラッドストーンの腕輪。休暇の最後の日に、鉱石・パワーストーンのお店を訪ねた時、血液の病気回復に役立つと言われているので、買ってその日からずっとはめていたのです。ただこの腕輪は大きな平たい器に入っていた他のたくさんのブラッドストーンの腕輪と一緒にかなり強い磁気を帯びていました。隣に強力な磁気を与えて、ものすごい勢いでくっつく石がおもちゃがわりに二つずつ組になって売られていたので、その影響を受けたのでしょうか。磁気を帯びていないのが欲しかったのですが、なかったので、まあ気にすることないか、と思って買ったのでした。山の新鮮な空気の中なのに、休暇の最後の晩は、なぜかほとんど眠れなかったのが不思議だったのですが、今思えば、初めて腕輪をはめて寝た日ではありませんか!

 で、試しに金曜日の夜は腕輪をはずして寝ました。睡眠薬は2日だけにして、その日はもう飲みませんでした。そうしたら・・・なんと、朝まで眠れたのです!翌朝は身体もずっと楽になっていました。でも、こんなことってある?! 磁気でこれほど体調が悪くなるということはあるのでしょうか? 「磁気、不眠」で検索してみると、磁気ネックレスなど磁気で不眠を解消、というのばかり。悪い磁気とよい磁気があるのでしょうか? ブラッドストーンの方を調べても、パワーを与えてくれるとしか書いてありません。私の波長ととにかく共振しない、波長が合わないということなんでしょうか? それとも単なる偶然の一致? とにかく本当の原因はわからないまま、腕輪ははめるのをやめました。

 先週の体調の悪さが腕輪のせいだったとしても、とにかく日本から帰って来て以来、2〜3週間ごとに微熱が出ているのは確か。どうしたんだろうと心配になっているんだけれど、よく考えてみたら2003年にウィーンへ移ってきて以来、ちゃんとした保養休暇に一度も行っていないということに気づきました。そしてその間、2006年と2008年には日本へ一時帰国していて、日常生活よりずっと疲れて帰って来てるから、ちゃんとした保養に行くことが必要ということかも知れませんね。私みたいに日常生活と仕事を、健康状態とどうにかバランスを取りながら、綱渡りみたいな生活をしている総パワーの少ない人間には、こういう休みって、とても大切なのだと思います。

 日本にいて、少しずつ少しずつ血液の状態が悪くなって行き、1997年にはついに主治医の先生に、「これ以上悪くなると輸血をしないと生きられなくなる。そして輸血をしだしたら、2年で終わりだからね」と言われて、何が何でも夏は日本脱出を決めたのだったけれど、夏に日本を脱出して過ごした3週間の山での保養からどんなにたくさんのエネルギーをもらったことかと、今にして思います。そのおかげで後のきつい日本の生活にもどうにか耐えられる、と思えたものね。
そしてウィーンへもう一度移住できた2003年まで、何とか輸血が必要な状態にもならないで済んだんですものね。

 でも幾ら必要だからといって、現実には3週間の休暇に行くなんて、今の状況では、そうそうできるわけはありません。じゃあ、どうすればいいの? このまま熱が出続けたら本当に仕事もできなくなっちゃうじゃない、とかなり暗くなってしまいましたが、そうだ、調子が悪いのは体がサインを送ってるんだ、副腎皮質ホルモン剤で死にかけた時だって、食事を変えて生き返ったじゃない!と思い直し、これを機会に、もう一度食事を見直し、新しい方法を取り入れてみることにしました。

   基本的には今までのを、きちんとする、ってことなんだけど、新しいのは、身体には、交感神経と副交感神経の働きが昼と夜とで変わるように、一日の時間の経過によるリズムがあるので、そのリズムに合わせて一番体に負担のかからない食事の仕方をするというもので、朝は、消化酵素を含んでいるため、非常に消化されやすくてエネルギーが要らず、身体に負担をかけず、しかも生きたエネルギーを取り入れられる、果物と野菜ジュースにし、昼は穀物と野菜、夜は肉や魚を食べるなら、これは消化に一番エネルギーが必要なので、夕方に野菜と一緒に食べるというもので、たっぷりとよい水を飲むことと一緒に、これも取り入れてみようと思いました。今日で始めて4日目になりますが、朝の果物と野菜ジュースは、胃の弱い私には負担がかからないので、とてもいいようです。

  さて、これで微熱を追い払えるか。ま、頑張ってみましょう。
      

2008年9月3日(水) 秋、始まる
  
仕事を納入した時に、「すでにお知らせしましたように、24日から30日まで休暇に行っていましたので、土曜日に帰宅した時に、初めてあなたのメールを読みました。添付して印刷原版を送ります」と書いて送ったんだけれど、向こうのミスを誤るでもなく、納入した印刷原版を確かに受け取りました、という知らせさえなし。送ったら、確かに受け取ったという知らせを送ってくれることは、インターネットだけで仕事のやり取りをする時には、基本中の基本だと私は思うのだけれど、この事務所は、それもしない。そして向こうが必要になると、こちらの状況にはお構いなしに、いつまでに納めろ、と言って来る。というのは、結局その翻訳事務所が、翻訳者を仕事上のパートナーとまでは言わないまでも、少なくとも人間と見ているか、いつでも使える駒と見ているかの違いから来るのでしょうね。

では、この辺で少し楽しい話題。1日(月)、秋の合唱初練習に行って来ました。久しぶりに懐かしい顔に出会って、再びミュージカルナンバーの練習。7月末から8月初めの、合宿兼コンサート巡業は、指導者の弁によれば、うちの合唱団がこんなに歌えるなんて思わなかった!と言うほどの大成功だったそうで、参加した人たちも、とっても楽しそう&嬉しそうに、その時の写真を見せてくれました。今日も練習に行きます。

 

 

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