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11・12月の更新日誌 過去の更新日誌 2010年3・4月の更新日誌 ・更新日誌・ 2010年2月28日(日)フィギュアスケート
、芸術?スポーツ?(1) ここで今回のバンクーバー冬季オリンピックに戻ってみれば、私個人としては、超難度の技の得点が低過ぎるという気がしました。男子と女子の3回転半(トリプルアクセル)の基礎点が同じことに関しては、女子と男子は一緒に得点を競うわけではないのだから、女子と男子とで得点が違うことは問題にならないし、同じ技でも女子にとっての方が難度が高いというのは誰でも分かっていることですから、特に問題とは感じません。もし難度の高さに応じて女子の基礎点を高くするとしたら、どのくらい高くするのが妥当であるのかを決めるのにまた種々の問題が起きて来ることが予想されますから、むしろ今のままの方がすっきりしていてよいのではないかという気がしますが、皆さんはどうでしょうか。どちらにしても、フィギュアスケートが「スポーツと芸術の統合」というにふさわしい、どちらにも偏らない採点制度を確立して欲しいと思います。 2010年2月21日(日)日本人フィギュア男子、五輪初メダル!
そこでユーロスポーツを観ているのですが、ここは放送することがあり過ぎて、最初予定していたフィギュアの録画中継は中止してしまったらしく、見られるのは生中継のみ。そうなると時差の関係で、フィギュアの放送は中欧時間だと、午前1時から6時くらいというひどい時間。でもどうしても観たかったので、朝4時半に起きて、男子のフリーを観戦しました。
大きな大会があっても、いつもインターネットで写真を見るだけで、実際の演技を見たことはもう何年もなかったので、高橋くん、織田くんの素晴らしい演技と、日本人フィギュア男子の技術と表現力の成長ぶりに驚きました。小塚くんはギリギリで観られませんでしたが、彼は4回転を成功させましたね。
今度は女子シングルに注目です。頑張って起きるつもりです。
2010年2月12日(金)オペラ座舞踏会 歌劇場の床から座席を取り除き、鉄枠を取り付け、木の床を乗せて平らな床を作ると、およそ1平方キロメートルの舞踏会場が出現。ここが一夜の夢の舞台となります。もうひとつの舞台はロージェ。ここは6〜7人が入る個室として整えられますが、何とロージェ1室のお値段は2万ユーロ! 1ユーロを150円とすると300万円ではありませんか! 一瞬自分の耳を疑いましたが、2000ユーロのわけはないですもんね。それにしても、ユーロが導入される前、シリングが通貨単位だった頃は、確か百数十万円だったような気がするのに、値上がりしましたねえ(もうすごく前のことだったのかもしれませんが)。もっとも大統領、首相、大臣などのロージェ代金は、税金から支払われるわけだから、国民が買ってあげているわけですが。 いつだったかまだウィーン大で勉強していた頃、世界的なニュースになった大災害があって、ウィーンではそんな時に派手な舞踏会をやるなんてもってのほかだ、中止して共感を示すべきだと言う意見が出たことがありました。その話が講義で話題になった時、我らがK教授の言ったことには、「もしここでオペラ座舞踏会を中止したとしても、経済は動かないし、誰の利益にもならない。ましてや災害地の人々は何の利益も受けない。それよりもお金のある人にはどんどん使ってもらって、一部を災害地に寄付する方がずっと実際の役に立つ」。一見冷たそうに見えますが、お金持ちは、『金は天下の回り物』になるよう、お金を使うべし、という考え方は確かにしっかりした理由がある、と思ったことでした。そういえば、ヨーロッパには「ノブレス・オブリージュ」という考え方が浸透していますね。 オープニング・セレモニーは夜10時開始、約140組のデビュタントが出演します。年齢は17,8歳から20歳位で、多くの若い人たちにとってオペラ座舞踏会のオープニングに出るのは夢であるようです。左回りのワルツが上手に踊れることが条件です。女性は白のロングドレス、男性は燕尾服。女性にはスワロフスキー制作のティアラがプレゼントされ、それをつけ、美しく、可愛らしい小さなブーケを持って、パートナーとともに登場します。さて140組が登場して、会場の左右に分かれて立つと、照明が暗くなり、ピアニストが座ったグランドピアノが登場して来ました。 最初の曲はショパンの「子犬のワルツ」。オペラ座バレエ学校児童部の子どもたちが走り出て来て、生き生きとしたバレエを披露してくれました。今年のオペラ座舞踏会のテーマカラーは赤なので、衣装は男の子は赤、女の子は白。白い衣装の背中は赤いリボンを何重ものバツ印にして締めてあってとても素敵なデザインだと思いました。次の同じくショパンのスケルツォは大人のバレエ団員。衣装はやはり男性は赤。とてもシンプルです。主役のカップルの女性の衣装は真っ白。その他の女性の衣装は真っ赤。バレエはとても美しく、楽しめました。 次は12人の歌手たちが次々と登場して有名オペラからのさわりを歌いました。もちろん素晴らしい歌手たちばかりなんだけれど、歌が余りにも細切れになっているので、ちゃんと楽しむことができなかったのが、残念でした。で、最後に登場したのが国立歌劇場総監督のイアン・ホーレンダー。2009/2010のシーズンで総監督を引退するので、お別れのご挨拶。最後は出演した歌手たちと一緒に歌劇「こうもり」のフィナーレ、「シャンパンをたたえる歌」の替え歌を歌って、お別れの歌とし、拍手喝采を浴びました。 2010年2月8日(月)新漢方薬 元気になったので、少し運動もして行かないとね。座っているばかりでは疲れなくて、眠れないのも当然ですものね。5階の住まいまでエレベーターを使わずに上る、血行をよくするための足踏み運動、少し筋力をつけるためのダンベル運動と今までやって来たものの他に、気功も始めてみようと思っています。あと久しぶりにボーリングにも行きたくなって来ました。気分転換もしなくちゃね。 2010年2月6日(土)日本室内管弦楽団 プログラムは、 2010年1月30日(土)漢方の不思議 さて、漢方の方はその後どうなったかというと、21日に身体を温める成分を足したら、何とそれまでは微熱だったのに、今度は高熱が出るようになってしまったのでびっくり! 温める成分を足したのがいけないのだろうか? で、足湯をすると翌日のお昼頃には平熱近くまで下がり、2〜3時間は落ち着いているけれど、また少しずつ上がり始め、夜になると38,5℃〜39℃くらいまで上がる、の繰り返し。それを4日繰り返したところで、でも必ず翌日には足湯だけで平熱近くまで下がるのだから、今回は副腎皮質ホルモン剤を飲まなくてもいけるかも知れない、生姜温湿布に変えてみよう、と実行に移したら、夜には39,3℃まで上がり、翌日の午後になってもせいぜい37℃くらいまでしか下がらない。私は平熱が低くて、35,5℃くらいなので、それでも平熱より1,5℃も高いわけで、かなりつらい。しかもすぐまた上がり始めた。 「もっと前の元気だった時」っていつのことだろう、と思って、今までの処方箋と比べながら調べてみたら、昨年4月末に入院する前、それまでの試行錯誤がようやく功を奏して、治療が軌道に乗って来た頃の処方箋でした。今度はうまく行きますように! 私も副腎皮質ホルモン剤の毒を消すべく、生姜温湿布、食物、飲み物など、色々努力します。 2010年1月21日(木) また雪 2010年1月8日(金)雪、雪、雪 2010年1月5日(火)初歯医者さん さてその後は新年初の改造工事。まず昨日、三重塗り位になっている古いペンキをこそげ取る作業をしてもらって、下準備。今日はお昼過ぎから、浴室の壁を塗りなおしてもらい、バスタブの上周りにシャワー用のカーテンを取り付けてもらいました。日本人はシャワーの温度も高いのに普通の塗料だったので、反対側の壁の塗料の一部が湯気で半分剥がれて、垂れ下がって来てしまい、これはそろそろ何とかしないとと思っていたのです。今度はもちろん浴室用塗料を使い、壁はレモン色っぽいクリーム色、シャワーカーテンはブルー系の横縞にしましたが、白いタイルに映えて、とってもすっきりした仕上がりになりました。シャワーカーテンは洗濯機で洗えるので、手入れも簡単です。今まではどうしても床が濡れてしまい、毎回浴室の拭き掃除になっていましたが、これからはシャワーが楽しみ! ところで年が明けてから気温がじわじわ下がって来ています。今日の最高気温は−1℃でしたが、昨日は−3℃ありました。もっとずっと下がるという予報ですが、さて明日は何度になるかしら? もう下がらなくてもいいんだけどな。 2010年1月3日(日) ウィーンのお正月 でもヨーロッパのキリスト教国では、お正月そのものを祝うと言う発想はありません。元旦だけは祝日になっていますが、普通は2日から仕事も始まります。今年は元旦が金曜日なので、土・日の休みの後、1月4日が仕事始めになります。ここでお祝いするのは、新年ではなくて、年越しです。ですから大晦日は、シュテファン広場や市庁舎前広場で年越しを祝った後、さらにレストランに行ったり、あるいは家庭で友人たちとともに大晦日のパーティーを開いて、大いに食べ、飲み、陽気に騒いで、祝います。午前2時、3時、4時まで祝えば、もちろん元旦は寝正月。特にお正月料理というものもありません。新年に魚の形をしたお菓子を食べる習慣はありますが。だから最初、ウィーンに来た時、日本人の私としてはお正月があまりにもあっけなくて、びっくり。こちらでは新年もアドヴェントから続くクリスマスの一連行事のプロセスとして捉えられ、1月6日の「三聖王の日」をもって、終わります。 さらに新年には、四葉のクローバー、豚、煙突掃除人、蹄鉄、きのこなど、新年の福を呼ぶとされるものをかたどったチョコレートやプラスティックの人形を「よい新年でありますように!」または「新年おめでとう!」と言って、贈り合います。 そうそう、暮れの更新日誌に、クリスマスツリーは集団住宅では燃やすことが難しいので、ごみとして出してしまうと書きましたが、ちょっと違っていましたので、お詫びして訂正致します。集団住宅では燃やしにくいので、大分前からウィーン市が、クリスマスツリーの収集場所を設けており、そこへ持って行きます。集められたツリーは、一部はごみ焼却所で熱と成り、一部は細かく断裁されて、紙に再生されるそうです。ですから小さなツリーなら、マンションのゴミ箱に入れる人もいるわけですけれどね。 2010年1月1日(金) 明けましておめでとうございます 新年が皆さまにとって、健康と幸せに満ちた素晴らしい年と 2010年元旦 ウィーンの新年は気温7℃の穏やかな暖かさの中、輝かしいお日様の笑顔とともに明けました。何だか今年がよい年になることの暗示のようで、晴れやかな気持ちになりました。ニューイヤーコンサートの間も、雲一つない青空で、楽友協会大ホールも明るい色に満ち満ちていました。あのホールにあんなにたくさんの窓があったというのも、今日初めて気づいたくらいでした。ジョルジュ・プレートルの指揮も、素晴らしい衣装のバレエも、ドナウ河の源流から、黒海に出るまでの約3000kmに渡る旅路を見せてくれたのも、大変よかったと思いました。プレートルは指揮の仕方も表情も、とても愛らしく(ごめんなさい!)、とても親しみが持てて、いっぺんにファンになってしまいました。
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