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2010年4月30日(金)トュルケンシャンツ公園

     
日向ぼっこの人たちでいっぱい!

   
4月25日の日曜日は、久々に暖かく(最高気温25℃)、素晴らしいお天気の週末だったので、どこかへ出掛けたいね、久しぶりにトュルケンシャンツ公園に行こうか、ということで、散策に行きました。トュルケンシャンツ公園は訳せば「トルコ人の砦公園」とでも言うことになるでしょうか、1683年に、当時ヨーロッパの脅威となっていたオスマントルコの2度目のウィーン包囲時、ウィーン解放軍に対抗するために、トルコ軍がここに砦を築いたところから、この名前が着きました。1888年にフランツ・ヨーゼフ皇帝によって開かれた、イギリス式庭園で、緩やかな道や幾つもの池、広い草原もあちこちにある、自然たっぷりのとても大きな公園です。

   公園内にはカフェ・レストランがあるので、まずそこでおやつを食べて力をつけてから(?)、散歩しようと、行ってみたら、なにしろこのお天気ですからね、超満員! やっと4人掛けのテーブルに2つ席が空いているのを見つけて、先客の二人に「相席してもよろしいでしょうか?」と尋ねたら、「どうぞ、どうぞ!」と快諾してくれたので、横に座りました。

 先客は、75歳から80歳くらいのカップルです。ケーキを食べながら色々話しているうちに、おばあさんが言うには、「私たち二人とも90を越しているのよ。実は私、94」。ええっ、ほんとに?!とてもそんなに見えない!とびっくりしたら、彼女よりもっと若く見えるおじいさんが、「私は97歳だよ」と言ったので、もっとびっくり! 何と93歳まで車の運転をしていたそうで、「無事故だよ」というのが彼の誇り。連れ合いが「ええ〜っ、本当ですか?!そんな長く持ちそうもないなあ」と言ったら、彼女が「あら、そんなことないわよ。あなた、たばこ吸う?」「いいえ、吸いません」「ほら、見なさい、それなら大丈夫よ。身体に気をつけて楽天的に行けば、私たちのようになれるわよ」

  ほがらかなお二人は、素晴らしい春の日も、人生も、ゆったりと心の底から楽しんでいるように見えました。しばらくおしゃべりをした後、「話し相手になって下さってありがとう。楽しかったです。どうぞお元気で!」とお別れの挨拶をしたら、「身体に気をつけて、元気で長生きするのよ!」と応援をもらってしまいました。

  「おじいさんの年齢までには、あと40年近くあるじゃない!あんなに高齢で、あんなに元気溌剌としてる人たちに会うと、何だかすごく元気が出るわね」「本当だね!」 あんなに高齢の彼らが、明るく、おうように人生に対しているのを見ると、そうか、毎日を一期一会の精神で、精一杯味わって生きれば、ああいう風になれるのかなあ、と思ったり。幾つになっても人生の先輩から学ぶことは尽きないものです。

2010年4月25日(日)危機管理
   
皆さんもご存知の通り、4月14日のアイスランドの火山噴火による火山灰雲がヨーロッパ上空に広がり、ヨーロッパ各地の飛行場が次々と閉鎖に追い込まれました。火山灰雲は次第に南東にも広がり、オーストリアにも影響が及んで、16日の晩にはついにウィーン空港も閉鎖となりました。

   その時、ウィーンではちょうど日本の友人が来訪中で、17日帰国のはずが、前日の晩にウィーン空港が閉鎖されたため、帰国できなくなってしまいました。その先どうなるか全く分からない状態だったので、ホテルの部屋は確保できるか、大体いつ帰れるのか、飛行機のチケットはどうなるのか、と大興奮の日々が続きました。友人の場合は、うまくホテルの部屋が確保できたので、まず一安心。19日に飛行機の予約変更を試みたら、24日の便にとりあえず席が取れました。でも飛ぶかどうかはまだわからないわけで、飛ばなかった場合は予約の再変更ということになります。

 飛行機が飛ばなければ、泊まって待つしかないわけで、友人は、さらにミラノに飛ぶはずが、空港閉鎖でウィーン止まりになってしまって、やっと自力でそのホテルに部屋を見つけて泊まっていた日本人のご夫婦に会ったそうです。彼らは列車でミラノへ行きます、と言っていたそうです。またやはり帰れなくなって泊まっていたもう一組の日本人ご夫婦は、カイロで暮らしている方たちで、直行便がないため、何とかルートを変えてチケットは取れたものの、まずトルコに飛んでそこで8時間待ち、そこからやっとカイロへ、という便。しかもそれも飛ぶかどうか分からず、ホテルで待機していましたが、22日の朝に、飛びますという連絡を受けて、急いで空港へと発ったそうです。

 20日にはウィーン空港の閉鎖が解除され、21日にはほぼヨーロッパ全域で閉鎖解除となりましたが、解除されたからといってすぐに平常運航に戻せるわけではないし、さらに飛ばなかった便のチケットを持った人たちが皆、予約変更に押し寄せるわけですから、すぐに席が取れるわけでもありません。2日ほど混乱が続きましたが、それも次第に収まって、友人は19日に取れた24日発の飛行機に無事乗ることができました。インターネットで離着陸プランを見ていたら、定刻より少し遅れたものの無事飛び立ったので、ああ、これで無事に帰れる!と、私も本当にホッとしました。巻き込まれた人たちは体力もさることながら、神経がクタクタになったことだろうと思います。

 今回のほとんど全ヨーロッパに及ぶ空港閉鎖は、ヨーロッパが初めて体験したことですから、このような場合に備えた危機管理システムは全く出来ていませんでした。途中から、空港閉鎖の判断は、ヨーロッパのたった一つの機関が出している火山灰雲のコンピューターシュミレーションによる情報だけでなされていたことが明らかになり、気球を飛ばしての実際の観測を求める声が上がり、同時にどういう観測値が出た場合に、飛行が危険だと判断するかの基準作りをするべきだと言う声も上がりました。この機関からの情報だけで閉鎖を続けることに疑問を持った航空会社は次々とテスト飛行を実施、火山灰による危険が全くなかったことから、閉鎖解除へと動き出しました。実際の観測も幾つかなされ、火山灰雲の密度は大都市の上空の汚染度と同程度だということも分かりました。ただし、火山灰は熱い状態だと機体にこびりつき、コンクリートのように硬くなって、エンジンを止めてしまう危険性もあるので、単純には判断できません。

 実際1982年には、ジャマイカ上空をちょうど火山が噴火した直後に飛んでいた飛行機が、噴火があったことを知らないまま、火山灰雲につっこんで、4つのエンジンが全て止まって滑空状態となり、たまたま高度が下がった時に、エンジンにこびりついて固まっていた火山灰が剥がれ落ちて、再びエンジンに着火できたことで、奇跡的に墜落せず、無事に着陸できたという事故があったので、それを繰り返したくないという思いも、閉鎖の判断の中にあったようです。ただしこれも、何がどの程度の観測値になった場合には危険、この観測値であれば大丈夫、という基準が全くないことから、起こったことで、どうなのかわからないために同時に不安も広がったわけですから、今回の経験から、しっかりした危機管理システムを作る必要があります。

一火山の噴火が、物流も人の輸送も大混乱に陥れ、経済危機を引き起こすほどの影響を及ぼすことさえあり得るのに、いかに日頃、私たちがそれら全てが常に何事もなくきっちり計算どおりに動くのが当たり前と思っているかを、思い起こさせてくれました。

2010年4月18日(日)熱その後

      


     
3月半ばに熱が出た後処方してもらった漢方薬は、今度こそは私にぴったりの処方が見つかった?!と思えるような素晴らしさで、微熱も全く出なくなり、やっと日常生活が普通に出来るようになって嬉しさもひとしお。微熱と言える体温になっても今までのような寒気がしないし、とにかく今までとは体内の動きが違うのが感じられました。皆さんに、一ヶ月無熱!というご報告ができるのを楽しみにしていたのですが、あと2日で一ヶ月という日に残念ながらついに発熱、ご報告は出来ませんでしたが、でもほぼ一ヶ月は新記録です!

   その前、2月末に出してもらった処方もとてもよくて、新年が明けてからそれまで約2ヶ月間ず〜っと出っぱなしだった微熱が初めて出なくなって、やっと日常生活ができるようになり、本当に嬉しかったことでした。その時は三週間無熱でいられたので、その前までのほぼ2週間ごとから比べたら、5割も長く持ったわけだし、やっぱり嬉しい大進歩。

   この熱は自己免疫病の一種で、身体が自分のものと外から侵入したものとの区別がつけられないため(ああ、なんというおばか!)、自分の器官(日本のお医者さんの診断では、私の場合は動脈)を攻撃するので炎症を起こし、その炎症の程度が一定の限界を越えると発熱し、副腎皮質ホルモン剤でいったんは下がるけれど、また同じことを繰り返すというメカニズムになっているそうなのです。
(ここでは再生不良性貧血は表面には出て来ていません。)   

 ということは、身体に自分のものと外から侵入したものとの区別がつけられるように教育する(?!)のが正しい治療と言うことになりますね。免疫学的にいうとかなり複雑なことになるのだと思いますが、このやっかいな病気退治も、ケヴィン先生の粘り強い努力によって、どうやら実を結びつつあるぞ、とわかるところまで来ました。まだまだ寒い日があるとはいえ、春はもう来ているのだし、これからどんどん暖かく、気持ちよい季節になって行きますから、身体の方もがんばりやすいでしょう。食事、適度な運動、そして無理をしない生活に気をつけながら、次はどこまで無熱期間が伸ばせるか、挑戦して行きたいと思います。皆さま、応援どうかよろしくお願い申し上げます。

2010年3月28日(日)フィギュア世界選手権大会終わる!
   
真央ちゃん、ついに金メダル取りましたね。おめでとう!でも今回ほど、メンタルな要素が、演技にどれだけ大きな影響を与えるかを、目の当たりにした大会はありませんでした。今回の世界選手権大会は、オリンピックのあと一ヶ月も経たないうちに開かれたのですから、全てをオリンピックに合わせて心も身体も高めて行き、全エネルギーを出し切った後に、また高度の集中が要求されるわけで、どの選手もコンディションの調整に苦労したはず。

   真央ちゃんの演技には気迫がみなぎっていました。フリーは五輪の時とは比べ物にならない素晴らしい演技でした。エキシビジョンでは嬉しさに溢れていましたね。最初のスランプを乗り越えて、ついにSPとフリーでは2回のトリプルアクセルを実現、他の部分でも自分を出し切った演技ができた、という深い充実感に溢れていました。これからは、スケートだけに専心するのではなく、バレエ鑑賞や観劇等にも目を向けて、たくさん吸収して行きたいとのこと。ますます応援しちゃいますね! まずは高橋くんとともに来年東京で開かれる、世界選手権大会で、どんな演技が見られるか楽しみです。

  真央ちゃんの演技は、SPでのトリプルアクセルと、フリーでの2度目のトリプルアクセルが回転不足と判断されましたが、SPの回転不足だけで、グレードダウンされ、かつ減点を厳しく取られて、5点も失ったのだそうです。やっぱりこれでは、無難な道をとろうとする選手の気持ちがわかりますね。それでも自分の目標を達成したいと挑戦した真央ちゃん、すごい! 3回のトリプルアクセル実現をギネスブックに申請することが決まったとか。大きなご褒美ですね。

  SPでトップとなった長洲未来ちゃんの演技は、はつらつとしたエネルギーに溢れ、しかも技術も表現力も素晴らしくて、冬季五輪でもよかったけれど、ほ〜お!すごい!と感動しました。フリーでは多分、SP1位がかえってプレッシャーになって崩れてしまったのだと思いますけれど、きっといつか世界一の座につくだろうな。4年後には真央ちゃんの手ごわいライバルになっていることでしょう。
あ、来年の世界選手権でも、かも知れない。

  あと男子で気になったのは、5位になったジェレミー・アボット。フリーの時、2回かなりひどい転び方をしてしまったのに、立ち直りの早いこと、その後は次々とジャンプを成功させ、他の要素も素晴らしくて、最後には転んだことを忘れさせてくれるような充実した演技を見せてくれました。

2010年3月26日(金)アイスダンスのリード組、15位まで上る
   
アイスダンスのリード姉弟、規定でのまさかの転倒で23位に沈んだのを、オリジナルダンスで16位まで持ち直し、フリーの後の最終結果では15位と、16位より上がりたいという所期の目標を見事、果たしました。23位の落ち込みから上るのは精神的にかなりきつかったのではないかと思いますが、その精神力に乾杯!私はオリジナルダンスしか見られませんでしたが、個性的でとてもよい演技でした。これからさらに上を目指してがんばってね!

2010年3月25日(木)高橋くん、世界チャンピオン!
   
高橋大輔くん、フイギュアスケート世界選手権大会優勝おめでとう!ついにやりましたね!今、表彰式を見たところ。演技の時は私までドキドキしてしまいました。素晴らしい演技でした。

 後で知ったところによると、日本男子初の金メダルにさらに世界大会で初めての4回転フリップを成功させたのですね。堂々としたフリーの演技を見て、オリンピックの体験を通して、ここまで成長したなんてすごい!と思いました。6月には国際スケート連盟の総会で、ジャンプの採点見直しが行われ、高難度ジャンプの基礎点を上げ、挑戦のリスクを減らす見通しとか。これでショートプログラムとフリーで計3回の4回転を入れるという高橋くんの目標もグッと近づきやすくなりますね。来年の日本開催世界選手権大会での実現目指して前進してください、応援してますよぉ!

2010年3月20日(金)デンタルクリーニング
   
昨日、デンタルクリーニングに行って来ました。前回、歯医者さんに行った時、クリーニングでも必ず細菌が血液の中に入るので、あなたの場合は、抗生物質を飲んだ方がいいです、と言われたので、漢方のお医者さんに相談したら、ではこちらで抗生物質に変わる漢方薬を出しますから、それをクリーニングの3日前から飲み始めて下さい、ということになりました。で、準備をしてのクリーニング当日は、ちょっとドキドキ。アシスタントのお姉さんがとても上手だったので、ほとんど痛くも怖くもなく、無事終了してホッとしましたが、その後の診察では、歯医者さんに、2本がかなりグラグラだから、とりあえず詰め直しをしておきますが、そのうち抜いた方がいいですね、と言われてドキッ! 

 何しろ昨年の4月にすごい体験をしてしまったので、抜歯はすごく恐ろしいです。今度は膿みも溜まっていないんだから、だいじょうぶと言われてもね。もう昨年のような思いはしたくないので、とにかく歯周ポケットだの歯肉の炎症だのをできるだけなくすため、食事をしたらすぐ歯を磨き、せっせとうがい薬で口の中をゆすいでいます。2本の歯も、何とか抜かないで救えるといいんだけどなあ。

 2010年3月10日(水)フィギュアスケート、芸術? スポーツ?(2)
   
2月28日に更新日誌に書いたものと内容が共通するので、3月7日の掲示板の記事を、そのまま移すと意味不明になってしまう箇所を修正した上で、こちらに移しました。どうぞご覧下さい。2月28日(日)のフィギュアスケート、芸術? スポーツ?(1)」に飛びたい方は、どうぞタイトル部分をクリックして下さいね!

                 

  もし今回、3回転半および4回転の基礎点がもっと高かったとしたら、プルシェンコとライサチェクの場合はかなり並んでいたので、わかりませんが、キム・ヨナと真央ちゃんの場合は、例えそうであっても、確実にキム・ヨナが優勝したと、私も思います。キム・ヨナの演技は、おっしゃる通り完成度が全く違いましたものね。

   
採点の傾向については、リヒャルトさんが書いて下さった「キム・ヨナは、活動の拠点をカナダに移し、コーチとマンツーマンで徹底的な指導を受けるとともに、徹底的に情報の収集を行って、リスクの大きな3回転半と確実にこなせる3回転との間に大きな点数の開きはないこと、むしろ表現に重きを置く傾向にあると言うことが分かった」という結果に基づいて綿密な作戦を立てたこと、それに引き換え、「真央ちゃんのタラソワコーチは、10月に真央ちゃんに直接指導しただけで、後はオリンピックが始まるまで全く会っていない」。このため真央ちゃん側は正しい作戦を立て損なってしまい、情報戦で大きな差をつけられてしまったというのは、本当に残念ですね。スケートの審査傾向等についての情報収集活動は、絶対欠かせないものなのに、どうして今回真央ちゃん側にそれが欠けてしまったのでしょうね。コーチがいないことで焦ってしまったのでしょうか。 あるいは(真央)チーム内の役割分担がきちんとできていないのでしょうか。

   
実力の全く同じ選手がいた場合、得点の優劣を決めるのは選曲と振り付けだと思います。この二つが演技の印象を決定するからです。この点でも真央ちゃんは今回損してしまいましたね。

   
フリーの演技後のインタビューで、真央ちゃんは「連続3回転半を飛び終わったら、突然身体が緊張するのを感じた。(失敗した)ジャンプでは身体が全くきかなかった」と言っています。

   
これは全く私の個人的な想像に過ぎないのですが、真央ちゃんは小学生の頃から、3回転半を飛ぼうと努力してきました。長い間の夢だった連続3回転半を、初めて参加できたオリンピックでついに成功させた時、彼女の心のどこかにフッと、「これなら金メダル、いけるかも知れない」という考えが浮かんでしまったのではないでしょうか。そのとたんに身体が緊張し、平常心で滑れなくなって、ジャンプでは全く身体が利かない状態になってしまったのではないかと、想像しています。

   
長い間こだわり続けて来た3回転半をついに連続で成功させたのですから、そうした心の動きは当然とも言えるのですが、競技ではそれではいけないわけで、その意味で精神力の点でも、負けてしまったのではないかと思うのです。キム・ヨナの精神力の強さは本当にすごいものでしたものね。私たち観衆は勝手なことを言っていられますが、勝負とは本当に厳しいものですね。今回、解説者としてバンクーバーに来ていたカタリーナ・ヴィットも、「オリンピックは普通の大会とは全く違う。その環境の中でも平常心を保てる者が勝つ」と言っていました。また真央ちゃんのフリーでジャンプが1回転になってしまった時、私が見ていたテレビの解説者は「あら、どうしたのかしら。集中力が突然切れてしまったみたいですね」とコメントしていました。

   
超難技に選手たちが挑むのは、挑まなくてはいけないからというより、挑みたいから、ではないでしょうか。自分の限界に挑んでみたいというのは、人間の本能ではないかと思うのです。フィギュアにしても、力強いジャンプは美しいでしょう?
ジャンプの高さ、回転の速さ、着氷の美しさが揃った時の素晴らしいジャンプは私たちを大きく感動させてくれます。美しい滑りに、ジャンプ、スピン、スパイラル、ステップが加わって、変化と多様性をもたらし、全体としてフィギュアの演技の美しさを形作ってくれます。

   
だからこそ、技術の進歩、時代の変化などに応じ、その時々にまさにフィギュアは芸術とスポーツの統合だと感じさせてくれる採点制度を作り上げて行って欲しいと切に思います。

   
キム・ヨナのプロ転向については、真央ちゃんはよきライバルを失って、がっかりするだろうなと思う反面、練習、練習だけの厳しい生活や、勝たなくてはいけない、優勝しなくてはいけない、という余りにも重い国民からのプレッシャーを考えると、この段階でプロに転向したい気持ちも分かります。たとえそうなっても、もちろん4年の間には、次々と素晴らしい選手も出てくることでしょうし、やっぱり真央ちゃんには、頑張ってねぇ!ものすごい応援を送っていますよぉ!と、声援を送りたいと思います。


  
今回は色々なところで運が悪いことが重なってしまいましたが、真央ちゃん、銀メダルを取ったんだということを大きな誇りにして、頑張って下さいね。

  3
22日からイタリアのトリノで、2010年フィギュアスケート世界選手権大会が開かれます。真央ちゃん、美姫ちゃん、鈴木明子さん、どうぞ実力を発揮できますように! もちろん、高橋くん、織田くん、小塚くんも! 楽しみです。

  2010年3月7日(日)また冬に逆戻り!
   
半月くらい前から暖かくなり、ついには15℃にもなるほどだったのに、ここ3日ほどガーンと気温が下がって最高気温が1〜3℃という寒さに逆戻り。昨日は雪まで降りました。天気予報によれば、これからしばらくはこの寒さが続くようです。あ〜、春はまだ遠い! 

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