TOP 2015年3月の更新日誌  過去の更新日誌 2016年9月〜12月の更新日誌

更新日誌

 

 

2016年8月31日(水)ロープウェイで近くの山へ

  宿の近くにビュルガーアルペ(市民の山)という1300mほどの山があって、ロープウェイで登ることができます。今日は知人夫妻と一緒に上まで登り、彼らの案内でオープンミュージアムを見学しました。「木こりの生活と森林業博物館」です。木こりの仕事と生活が一場面ずつ、小さな小屋の中に再現されていて、森の斜面には小さな水車があり、下で木切れを水に投げ入れると、その木切れが水車の動力で少しずつ斜面を登って、また元の場所に戻って来るようになっています。子供たちが木を投げ入れては、戻って来たのをまた投げ入れて、楽しんでいました。建物の中には昔の木こりたちの仕事と生活を撮った写真が展示されていて、何という重労働だったんだろう、と彼らの日常を思いました。またオーストリアは山と森の国で、国民一人当たり5000uの森を持っている計算になるのだそうで、ええっ、ほんと!?とびっくりしました。スイスより多いのです。また針葉樹が75%くらいを占め、落葉樹は約25%とずっと少ないそうです。かなり北の国ですものね。

    
  雄大な山々                  オープンミュージアムの入り口

 その後は周りに広がる雄大な山々の景色を楽しみながら、コーヒーとケーキでおしゃべり。久しぶりに会ったので、話は尽きません。お店はいかにも山小屋風で、かつたくさんの花で埋まっていて、なんとなく嬉しくなりました。帰りには、彼らは、「僕たちは歩いて下りるから」、と言うので、その元気さにビックリしつつ、私たちは長い時間並んで、またロープウェイで降りました。


  
花でいっぱいのカフェ

 

2016年8月28日(日)観光列車でエアラウフ湖へ

  100年ほど前、ウィーンには蒸気市電が走っていました。小さな蒸気機関車に引かれた市電です。その市電が蒸気機関車ごとマリアツェルに移されて、現在は観光列車として、マリアツェル・エアラウフ湖間を走っています。といっても15分くらいの距離ですが。今日はそれに乗りに行きました。蒸気機関車はただ今修理中ということで、今日はディーゼル機関車でしたが、車両は当時ウィーンを走っていたものです。内装もクラシックで、当時のお客さんたちの様子を忍ばせます。

     
「市電停留所」100年前、この通りの姿で  100年前の車両です。
ウィーンの街に立っていました。

   エアラウフ湖の水は透明でかつとても冷たいので知られています。今日はお天気がよいので、それでも水に入ったり、ボートに乗ったりして、それぞれに楽しんでいます。湖畔のお店はお昼を食べる人、アイスクリームを食べる人、軽食でちょっとお腹を埋める人たちで大繁盛。私たちもアイスクリームをかじりながら、湖で遊ぶ人たちをしばし眺め、近くを少し散策してから、帰りの列車に乗りました。

                                
                                            エアラウフ湖

 

  2016年8月27日(土)今日から休暇!

  さて、ついにマリアツェルにやって来ました!待ちに待った休暇の始まりです。マリアツェルは巡礼地として有名で、ヨーロッパ各地から巡礼者がやって来ますが、マリアツェル自体の人口は1500人くらいの小さな町です。海抜は850m、山と森と湖に囲まれ、空気がウィーンとは全然違います。この海抜と空気が私の場合、赤血球を増やすのにとてもいいようなので、ここの新鮮な空気を吸って健康状態改善をしようという魂胆です。

  私たちが泊まるのは、大家さんのホテル・レストランから70mほど離れた草地に立つ建物で、アパートメントが4件入っています。アパートメントというのは、その名の通り、ホテルの一部屋ではなくて、いわば小さなマンションです。ダイニングキッチンと、寝室、浴室が揃っているので、お料理もできますから、朝ゆっくりコーヒーを入れて、朝食ができるのが、一番の魅力。だって朝、決まった時間までに身支度を整えて、朝食用ホールまで出て行く、というのがいやでしょう?お昼は大家さんであるレストランに出掛ければいいし(すごくおいしい!)、晩は部屋で簡単に済ませてもいいし、特にお腹がすいていれば、またレストランで食べてもいい、というわけです。

 アパートメントの建物は、100年と少し経つ古い建物を改装したものだそうですが、愛らしいたたずまいで気に入っています。

 どうかお天気に恵まれますように!そして自然いっぱいの環境の中で元気になれますように!

                      
            
アパートメント

    

                                             

    2016年8月23日(火)友人の豆腐初体験

  私と同じ建物の1階下に住む友人を誘って、近くて、かつとてもおいしい中華料理屋さんに昼食を食べに行きました。前の経営者は、「大腸の炒め物」という中国人には好まれているけれど、ここの人には大ショックなメニューを入り口の一番目立つところに掲げてつぶれ、その前の経営者の時は、味はよかったのだけれどサービスがまるでだめで、しょっちゅう頼んだのと違うものを持って来るので、だんだんお客さんが来なくなってつぶれ、その二つのお店の後に入った現在の「四川料理店」は、お客さんが警戒してなかなか入って来ないので、最初は苦労していましたが、お料理がまさにプロの味でとてもおいしいのと、女主人の心配りの聞いたサービスとで、次第にお客さんが来るようになり、いまでは満員のこともよくあるという繁盛振り。しかも本場の中国人のお客さんがよく見かけられるのは、食事がおいしい証拠ですよね。

  私たちもお店がやっとうまく行くようになったのを嬉しく思い、ますますしょっちゅう通うようになりました。しかも家から歩いて5分と言う近さのおかげで、ついついほとんど通いつめると言う感じになっています。そして今日は、絶対おいしいから、一緒に行かない?と誘ったわけでした。彼女はこのお店の三代くらい前の時は、結構食べに来ていたようですが、その後他の人たちのように用心深くなって来ていなかったのでした。

  お昼の定食の中から、「私、初めてだけど、お豆腐試してみようかしら」と言うので、麻婆豆腐を頼むことに。私も同じものにしました。お昼の定食には、春巻きかスープがつきますが、彼女も春巻きは大好き!というので、もちろん春巻き。さて肝心の麻婆豆腐の味は? 私たちはここのお豆腐がとてもおいしいので(ウィーンで買えるお豆腐は、中国人が作っているということですが、硬くて全然おいしくないのです)、感動してしょっちゅうお豆腐料理を食べるようになったので、彼女の口に合うかどうかと気になっていたのですが、「おいしい!」の一言であれこれの心配は吹き飛びました。

 それから2,3日前におすそ分けで一口持って行った日本の「ポテトサラダ」もすごくおいしかった、何が入っているの?と聞かれて嬉しくなりました。皆さんご存知の、すりつぶしたじゃがいもに、たまねぎのみじん切りときゅうりの薄切りをお塩で締めたものとゆでて薄切りにしたにんじんをいれ、マヨネーズであえたものです。こちらではポテトサラダというと、ゆでて、薄切りにしたジャガイモをお酢と少しのお砂糖、水であえたもので、これも上手にできたのは、とてもおいしいけれど、
やっぱり日本のポテトサラダは恋しくなります。お口にあったので、彼女のところにも、今度はたっぷりと丸一人分のおすそ分けを持っていきましょう。

 

2016年8月9日(火)長崎への原爆投下犠牲者供養

   
  妙法寺の祭壇

  今日はドナウ河畔に建つ日本山妙法寺で、「長崎の日」の供養と灯篭流しがあり、参加して来ました。お天気がよければ、仏舎利塔前で行われるのだそうですが、雨でお天気が悪いため、妙法寺建物内で行われることになったそうです。今日はお天気が悪く、ここまで来るのも大変なので、参加人数もいつもよりずっと少なかったようです。ほぼ40人くらいだったでしょうか。いつもは百人くらい参加するようです。

  和尚様のお経を聞き、一人ひとり、祭壇にお線香をささげ、和尚様のお話を聞いてから、いよいよ、和尚様が支援の人たちと一緒に作り、また言葉を書いた灯篭に灯りをともし、それぞれ200mほど先の河畔に小さな湾のように周囲から守るように作られた静かな場所へ持って行き、そこからそっと外のドナウの流れに送り出しました。辺りはそろそろ暗くなって来たので、並んで静かに流れて行く灯篭の灯りが美しいこと! 亡くなった方たちの魂が、これから天に帰って行くような気がして、平和を守ることの大切さを新たに心に刻みました。

  その後は和尚様やたくさんの人たちの協力で作られたお食事に呼ばれました。カレーライス、ピラフ、サラダ、ピザなど、盛りだくさんです。和尚様はカレーを作って下さり、40人分のカレーを入れたのだけれど、なんだかまだ水っぽいので、さらにカレー粉をバサッと20人分入れたよ、と話していられました。とても気さくな和尚様でした。辺りはスーパーマーケットも色々なお店も全く何にもないところですが、和尚様は自転車で買い物に行かれるそうです。来ていたのは日本人ばかりではなく、オーストリア人以外にもインド、フィリピンなど各国の人たちが混じっていました。たくさんの人たちとおしゃべりしながら楽しい時間を過ごし、10時半頃、「また来て下さいね!」という和尚様の声に見送られて、お寺を後にしました。

  毎日、朝5〜6時までと、夕方5〜6時まで瞑想の時間があり、誰でも参加できるそうです。一度夕方の瞑想の時間に行って見ようか、と連れ合いと話したことでした。私たちは初めて参加したのですが、とてもよい体験をさせてもらいました。

   灯篭が流れていく様子、一番撮りたかったのに、お寺の内部を撮ったところで残念ながら電気切れ! 一緒に行った友人に、灯篭流しの様子送ってね、と
お願いしたので、送ってもらえたら、追加しますね。


2016年8月7日(日)またまたヴィルヘルミーネの丘

  最近はお天気が変わりやすく、雨もよく降るので、いいお天気だゾ、と見て取ったら、チャンスを逃さず、どこかへ出掛けます。今日はまたいつものヴィルヘルミーネの丘を訪ねました。いつものように心地よいお城のテラスカフェで、定番のチーズパイのバニラソース添えとコーヒーのおやつを楽しみ、しばしおしゃべりしてから、お城の庭に散策に行きました。今日はいつもは余り行かないごく小さな養蜂場とミツバチの生活を知らせる看板を見て少しお勉強。

  女王蜂はロイヤルゼリーによって育てられ、体も働き蜂よりずっと大きく、35倍も長生き(1〜3年、最長で8年)し、毎日2000個の卵を産むというのですから、女王蜂になると言うのも大変な仕事だなあ、とその苦労を思いやりました。ああ、女王蜂じゃなくてよかった!オスのミツバチは無精卵から生まれ、子作りが彼らの使命。そのため晴天の日を選んで集団で外に飛び立ち、その群れに女王蜂が飛び込んで来て交尾します。オスは交尾の際腹部が破壊されるので、交尾後死亡します。女王蜂は巣に帰還して産卵開始。交尾できなかったオスも巣に帰りますが、繁殖期が終わると、働き蜂に追い出されたりして、死に絶えるそうです。オスは巣の中では特に何もせず、働き蜂にえさをもらうだけなので、英語の名称droneは「怠け者」という意味だそうです。寿命は25日前後。何だかオスも可哀想ですね。働き蜂は時期により寿命が変わりますが、平均して数十日。

  あと、ミツバチには、仲間に蜜のある方向と距離を知らせる8の字ダンスや、新たな女王蜂が生まれると、女王蜂は働き蜂を連れて巣を出、新しい巣を探しに出掛けますが、その際、女王蜂を守って塊のようになる、分封蜂球を作ることや、天敵に対しては、例えばトウヨウミツバチは、巣の中に侵入したオオスズメバチを大勢のミツバチが取り囲んで蜂球と呼ばれる塊をつくり、飛翔筋を激しく震わせて、内部温度を上昇させ蒸し殺す(オオスズメバチは10分以内に死ぬ)とか、様々の興味深い能力を持っています。


居心地のよいテラスカフェでおしゃべりを楽しむ人々。アルカリ性土壌のウィーンに咲くアジサイはピンク

 
  
木陰でくつろぐ人たち              ミツバチの生態の説明板 


  
   ある協会が運営する、巣箱だけのごく小さな養蜂場


 

2016年8月6日(土)フラメンコダンス

  フラメンコダンスを習っている友人から、友人と一緒に行くはずだったのだけれど、彼女が行かれなくなってしまったので、一緒にフラメンコダンスの公演を見に行かない?と誘ってくれたので、まだ一度もフラメンコダンスの公演を見たことのない私は、興味津々でお誘いに応じました。真ん中にほぼ正方形に飛び出た舞台があり、三方を囲んで客席が並んでいる、というちょっと変わった小さな劇場です。有名なダンサーが出演するとあって、250席ほどの客席はびっしり埋まっています。

  最初にギターを抱えた男性が登場。しっとりと弾き始め、だんだんと盛り上がって激しくなり、観客の期待が最高に高まったところへ、フラメンコダンサーが登場しました。フラメンコと言うと、フリルの着いた長いスカートが思い浮かびますが、彼女は白地に黒のアブストラクト模様のシンプルなワンピースを着ていて、スカートはタイトです。その時はちょっと物足りない気がしたのですが、後になって思えば、その後3回、フラメンコ用衣装で登場したのに、最初の衣装での踊りが一番訴えてくる気がしたのは、内容と振り付けに合った衣装を選んだ結果だったのでしょう。

 その後ヴォーカルの女性が登場。ダンサーの気持ちを引き出すように歌います。そのうちもう一人のギタリストの男性と、キイボードと手のひらでリズムを取ってたたくドラム担当の男性が現れて、バンドは総勢4人になりました。

  2番目は黒に近い濃い灰色の衣装。辛さや苦しさや悩みを訴えているように思えました。3番目は黒い衣装に赤いストール、最後は白地に黒い大きな水玉模様のドレスで、喜びの表現にぴったりのように思えました。

  バンドの各人にも見せ所がちゃんと用意されていて、ヴォーカル、ギタリストとキイボーダーの素晴らしい演奏にはひっくり返りそうになりました。このバンドあってこそ、ダンサーの踊りも際立つと思えました。

  友人によれば、このダンサーはすごい! 魂で踊ってる! バンドの人たちもその彼女が踊りやすいように、感情を引き出したり、高めたりしているし、ダンサーも振り付けを突然その場で変えて、感情にぴったりと合った踊りにしている!ということでした。公演もアンコールも終わった後、ダンサーとバンドの人たちがいっせいに舞台で楽しそうに乗りに乗って、ギタリストやキイボーダーまでちょっとフラメンコを踊って見せたりして、しばし動きまくって楽しむという、素敵な終わり方でした。公演中、写真は撮らないで下さい、ということだったので、アンコールの後の楽しそうな場面をこっそり撮ったので、猛烈にブレているのですが、雰囲気が伝わってくると思うので、載せますね。

  

 

2016年8月5 日(金)オーストリアにも脅迫状! 

  オーストリア内務省は、8月4日早朝、複数の州の警察に、匿名のテロ脅迫状が来た、と発表。現在、安全対策を取り、脅迫状の送信者の捜査中です。ついにオーストリアにも!と不安になりますが、発表時にはテロの予告時間は経過していたそうです。でも安心はできません。公共の建物や、人の集まる広場、劇場、ショッピングセンターなどに行く際は充分な注意や逃げ道の確保が必要です。イスラム過激は組織の主張に影響を受けた一匹狼(ローンウルフ)の犯行も増えています。

   それに関して、雑誌で読んだ記事を思い出しましたので、ご紹介しますね。コンピューターゲームの「カウンター・ストライク」についての記事です。このゲームでは、テロ撲滅隊の隊員として、機関銃を手にテロリストの基地に侵入、人質を救ったり、テロリストを殺害したりします。ある16歳の男子生徒がこのゲームに夢中になり、ついに1日8時間も費やすように。だんだん学校にも行かなくなり、休むことが多くなり、もちろん成績は下がるばかり。たまに学校に顔を出しても、集中できず、すぐにイライラしてしまいます。次第に攻撃的になり、静かに話すことができなくなって行きました。

  ある日、級友がくだらないことを言ったというだけの理由で、こめかみを思いっきり殴り、床に倒れたところに、さらに膝で顔をこづき、大怪我をさせてしまいました。生徒は警察で取調べを受け、学校の心理療法士とも長い間話しました。両親が構ってくれなかったので、このゲームがただひとつの慰めだったと語りました。彼はもう1年以上心理療法士の治療を受け、問題を暴力を使わずに解決する方法を学び、ようやく今、出口が見えて来ました。「カウンター・ストライク」はやめ、現在はサッカーチームに入って運動しています。ほんの10日ほど前、ミュンヒェンのオリンピア・ショッピングセンターで、9人を殺害し、自殺した18歳の無差別殺人者もこのゲーム、「カウンター・ストライク」を好んでいたそうです。この事件以来、人を殺すゲームについての議論が盛んになっています。

  ゲーム会社は、人をゲームにハメることで、大きな利益が上げられます。「カウンター・ストライク」は発売の年に、「本年のアクションゲーム」に選ばれ、2014年には、世界で8番目、ほぼ1億5千万ドルの売り上げを達成したそうです。安全性については、攻撃的な欲望をこのゲームをすることで解消できるといういいわけが使われていますが、常にゲームをするようになると、攻撃時には撃ちまくるという、このゲームの行動ルールに、脳が慣れて行ってしまいます。まださまざまな問題解決の方法を学んでいない若い人たちには非常に危険です。若ければ若いほど、簡単にゲームの行動原理が自分の行動原理になってしまうからです。

  ここにもう一人27歳の若い男性がいます。彼もこのゲームで破滅しそうになった一人です。中毒になって、毎日6時間もパソコンの前に座り、夢中でゲームをし続けました。ただ、最初の頃は非日常空間であることが頭でもわかっていましたが、次第に現実との区別がつかなくなって行きました。ある時、自分が周囲の人たちに対し、攻撃的な反応をし、それがだんだんひどくなってきているのに気づき、これはまずいと思って、即やめたのだそうです。

  教育学者からすると、子供と両親との触れ合いと話し合いは、ミュンヒェンの無差別殺人のような事件を防ぐためにも、非常に重要です。「コミュニケーションがないところでは、子供たちがコンピューターの世界に閉じこもってしまう危険性があるからです」。

  ミュンヒェンの場合は、イスラム過激派との交渉はなかったと見られていますが、無差別殺人はこんなところからも生まれる危険性があると、私たちもしっかり認識する必要があるのではないでしょうか。

 

2016年7 月30 日(土)小さな湖に遊びに行って来ました 

  友人に招待されて、週末の家に遊びに行って来ました。何と10件ほどの家で、プライベートの湖を所有しているので、ゆっくりと泳ぐこともできるそう。車で30分もかからないで着きました。友人夫妻と日本から来ている彼女のお母さんと、それから近くに住む彼らの友人も遊びに来て、総勢6人。家の周りは、杏、胡桃、りんご、その他果樹がいっぱいで、木陰が気持ちいいです。

  私と友人のお母さんはテラスの木陰でおしゃべり。残りのみんなは、泳いだり、浮いている湖岸の木製の道の上でおしゃべりしたり。ウィーンから少ししか離れていないのに、空気が全然違います! 湖と大きな空、いっぱいの緑が気持ちよく、心がスカーッとします。そのあと一緒にアイスクリームを食べたり、コーヒーーとお菓子を楽しんだり。夏時間で普通より1時間早いせいもあり、長い日がさらに長くなって、いつまでも空が明るく、時間の経つのを忘れてしまいます。

                                   

 8時近くなって、お腹もすいたし、ホイリゲに行こうということになりました。今年のワインを飲ませる、大衆的なレストランです。私たちは友人夫婦の車のあとについて行き、近くに住む彼らのお友達は自転車で、ホイリゲへGO!  さらにまたしばしおしゃべりが弾み、家に戻ったのは10時頃でした。気持ちよく、とっても楽しい日でした。

 

2016年7 月21 日(水)スーパーフード、チアシードってご存知ですか? 

  日本で今大注目されているチアシードってご存知ですか?チアというミント系の薬草の種で、マヤ・アズテカ文明の時代から、スーパーフードとして食されていて、チアシード大匙1杯と水さえあれば、一日それ以外何もいらない、と言われていたそうです。モデルが食べてダイエットに成功したことから急に注目され出したようですが、秘密はその中身です。必須アミノ酸9種のうち8種を含み、さらにオメガ3、鉄分、カルシウム、マグネシウム、食物繊維など、足りなくなりやすい成分を豊富に含んでいることにあります。友人が、これを食べて貧血が治ったことから、私に薦めてくれたのです。そこで漢方の先生に話したら、食べてみるのはいいんじゃない、ということになって、始めました。こちらでもスーパーで売っていました。 チアシード情報→ https://welq.jp/19399 

  私はチアシードを前の晩から12時間、容器に1.5cmの深さに水を入れて漬け、一緒にバナナとりんご、あるいはフルーツサラダを豆乳ヨーグルト、豆乳と混ぜて食べています。最後にラム酒をちょっと入れるとぐっとおいしくなります。チアシードは見た目は細かいごまのようで、白と黒があり、白の方がオメガ3が多いそうだし、私には白の方がおいしいので、白を食べています。

  さて、食べ始めて3ヶ月半、病院に血液検査に行きました。私は静脈が細く、かつものすごく見つけにくいので、いつも針を刺すのに大苦労。腕をお湯で温めたりして、採血するのに20分くらいかかるのが普通でした。ところが今回は、いっぺんに針が刺さり、どろどろではなく、スーッと血が流れて来て、3分で終わってしまったのでビックリ!血液の状態がよくなっているんだ、と感じました。

  診察の番が来て、部屋に入ると、お医者さんはニコニコしています。何と白血球と血小板の両方が、下の方ではあるけれど、通常範囲内に入っていました!たったの3ヵ月半なのに、こんなによくなるなんてビックリです!大いに勇気をもらって帰って来ました。体調がよくなって来たので、少しずつ運動量も増やしています。今のところ、ホームトレーナーの自転車漕ぎに加え、市電の1駅は歩いてスーパーに買い物に行く、5階の住まいまで、重い荷物を持っていない限り、足で上り下りする、という程度ですが、ノルディック・ウォーキング用のスティックも買ったので、こちらも少しずつ始めるつもりです。身体によい食事をするだけでは、健康にはなれないそうです。運動が絶対必要だそうです。脳にも。

  体調のよくない方、ぜひお試し下さい! 

 

2016年7 月11 日(月)ポルトガル、ヨーロッパカップ優勝! 

  昨晩9時から、サッカー・ヨーロッパ選手権の決勝戦がありました。ポルトガル対主催国フランスです。開始すぐにポルトガル・チームの中心選手、世界で一番稼ぐサッカー選手、と言われているクリスティアーノ・ドナルドが怪我をして退場、ポルトガル・ファンに大きなショックを与えました。ドナルドは一度、フィールドに戻りましたが痛みが再発して、ここぞという時に戦えない悔しさに涙を流しながら担架に載せられて退場。

ファンに大きな不安が襲いましたが、前半は0:0で休憩に入りました。後半が始まるとポルトガルは積極的に攻めるようになりましたが、後半も進展なく延長戦に。延長戦後半4分でした、エーダーが25mのロングシュートを決めて、1点獲得したのは!残り11分、無事にフランスを抑えて、ついにポルトガルの優勝が決定しました!ポルトガルが開催国だった2004年、ギリシャとの決勝戦で敗れ、12年後の今回、初めて勝ち取ったヨーロッパカップ優勝です。ロナルドは19歳の時に、2004年の決勝戦敗退を戦っているので、彼にとっては特に今回の優勝は悲願でした。

   ロナルドがいなくても、あるいはいないからこそ、彼のためにも絶対勝たなきゃと誓った、と選手の一人が言っていましたが、本当にその闘志が見える試合でした。おめでとう、ポルトガル!!!  

  さあ、次はワールドカップですね。こちらは日本にも頑張ってもらわないと。

         &&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&

  同じ日の10日、日本では参院選の投票が行われました。お国の一大事の時だから、野党の議席がもう少し増えるかと思っていたら、今日結果を見たら、それどころか自民党も公明党も議席を増やしたではありませんか! メディアへの締め付けでまずいことは新聞でもテレビでも報道されないし、政府はもちろん都合の悪いことは公表しません。これを知らないで、能天気にそのまま言うことを信じていると後でどうなるか、考えて欲しいです。もちろん、これで改憲が実現してしまうわけではありませんから、これからでも遅くありません。すくなくとも立憲主義と民主主義を守る国でありたいですよね。

 

2016年7 月6 日(水)すっかりご無沙汰致しました!感染による腫れ、熱、卒寿祝い、ヴァッハウへのドライブ、サッカー・ヨーロッパカップ

  あっという間にもう7月、余りにも更新が遅れているので、皆さまに謝る言葉もありません。

   3月には右腕の理由のわからない感染による腫れと39.6℃の高熱で2週間入院し、その後また私の熱が出たことをお話しましたが、その後ぎりぎりで知人の90歳の誕生祝に駆けつけることができ、まだ新米ながら書道に通っているので「卒寿」という字を必死に練習し、心をこめてプレゼントすることができました。知人も喜んでくれ、彼女の親戚の人たちと知り合うこともできて楽しい時間でした。これからも元気で長生きして下さいますよう!

  4月半ばには、今度は左腕が腫れ、今回は入院はしないで済みましたが、何度も近くの病院の緊急外来と血液内科外来に通うことになり、その度に3〜5時間待ちで、体調が悪いから病院に行くのに、疲労困憊してさらに悪くなる有様でした。抗生物質の服用とステロイド軟膏塗布の治療を続けましたが、熱が思うように下がらず、結局3度外来に行きましたが、結局その度に抗生物質を処方されるばかり。日曜日には39℃を超えたので、救急医センターに電話して、往診に来てもらい、どうも途中から自己免疫疾患である、私の熱に移行したのではないかという疑いを持っていることを話して、解熱に使うステロイド剤を抗生物質と同時に飲んでよいかと訪ねたところ、OKをもらったので、ステロイド剤を飲み、ひとまず熱は下がりました。ここまでで2週間。

  ところが数日するとまた熱が出て来て、今度はもう抗生物質を飲んでもステロイド剤を飲んでも下がりません。それじゃあ一体どうしたらよいのかと途方にくれて、これでだめなら皮膚科に行きなさい、という漢方のお医者さんと救急医センターのお医者さんの薦めに従って、皮膚科のお医者さんを訪ねました。

  するとお医者さんは、「感染が抗生物質で引いたように見えても、細菌は死滅せず、一部が体内に残って、体力が落ちてくるとまた悪さを始めることがあるんですよ。細菌は数週間も、それどころかひどいと数ヶ月も体内に留まることがあります。では細菌を"吸い取る"軟膏を出しましょう」と言って、抗生物質でもステロイド剤でもない、もう60年以上も昔からあるタールから作った古典的な軟膏を処方してくれました。10日くらい朝晩2回軟膏で手当てすれば、快癒するでしょう、ということでした。

  さて、治療を始めてみると、もうその日から少しですが熱が下がり始め、お医者さんに行った時38.4℃だった熱は、3日目にはすっかり下がって平熱になったのです!こんな古典的な軟膏で、抗生物質でもステロイド剤でも下がらなかった熱が下がるなんて! 両剤の恐ろしい副作用を考えればなおのこと、こういう薬がちゃんと存在していることを、お医者さんにはしっかり覚えておいて欲しいものです。皮膚科の先生、本当に本当にありがとうございます! 

  5月の末に、日本から友人が娘さんと一緒にウィーンに来ることになっていました。でも熱がちっとも下がらないので、これでは会うこともできないかも知れないと、大きな不安に襲われていました。でも皮膚科の先生のおかげで早目に熱が下がったため、どうにか彼女たちに会うこともでき、滞在の後半では、世界文化遺産に登録されたドナウ河畔、ヴァッハウ渓谷のデュルンシュタインに案内することができ、チーズフォンデュにお招きすることもできて、本当にホッとしました。


 昔町を囲んでいた城壁の一部が今も残っています。   愛らしい町並み。道は狭いです。


 レストランの看板がきれい!          ブドウ畑。ヴァッハウはワインで有名です。


イングランド王リチャード一世(獅子心王)が第3次十字軍で勇戦しての帰りにオーストリア公に捕らえられて幽閉されていた城の廃墟。1194年に身代金を払って帰国した。

  これでもう6月に入り、サッカーのヨーロッパ選手権が始まりました。素晴らしい成績で参加権を勝ち取って、各国をびっくりさせたオーストリア・チームは、安心し過ぎたのでしょうか、選手権が始まったら気が抜けたようになって、ヨーロッパカップ最低の試合だと言われる始末。最初の4カ国のグループ対戦でもう負けてすごすごと引っ込む始末となりました。

  その間、もう1度私の熱が出て、10日ほどボツ。まずいことに、ある日突然画面上に現れた「ウィンドウズ10強制インストール」を拒否したら、それまでのプログラム、ウィンドウズ7に戻す時に、あちこちを壊してしまったらしく使い物にならなくなってしまって、いつも来てくれるダニエルくんに預けて修理してもらうことに。途中でホームページ作成ソフトが機能しない、という問題が出現したため、結局3週間以上かかって、やっと戻って来ました。

 今日はダニエルくんのホームページ作成レッスン。特に写真のアップロードに違うプログラムを使うことになったのと、写真の整理の仕方を変えたのとで2重に複雑になったため、体調の崩れなどで長い間更新を休むともうお手上げ。今日こそ書き留め方にも注意して、しっかり覚えるようにしなくては。

 

    Home | ごあいさつ 
仕事と生活 | お気に入り作家紹介 | ウィーン我が愛の街 | 旅日誌
|
 Café
  |
ひとりごと | 更新日誌 | 
リンク集

 

 

 

 

   Home | ごあいさつ 
仕事と生活 | お気に入り作家紹介 | ウィーン我が愛の街 | 旅日誌
|
 Café
  |
ひとりごと | 更新日誌 | 
リンク集