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更新日誌

2019 726日(金) ついに無熱百日間達成!

  719日で、2008年以来、初めて無熱百日間を達成しました!!!今日で107日目です。皆さま、いつも応援ありがとうございます!もう嬉しくてどうしていいのかわからないくらいです!次回日本に行った時には、旅行をしたいというのが夢なので、この分で元気になって行けば、旅行ができる可能性が出て来ました。熱が出た時に寝ている場所を確保するために、今まではいつも町田のホテルでじっとしていて、出歩く体力のない私のために友人・知人たちにホテルまで来てもらって会っていました。旅行をするとなると、同じホテルに滞在し続けるのに比べて、ずっとずっと体力がいりますから、私にとっては大プロジェクトですが、体力がついてくるのに応じて、オーストリア国内を短期旅行してみるなど少しずつ実験を重ねて、自信をつけて行きたいと思います。皆さま、これからもどうか応援をよろしくお願い致します!

  さて足の方ですが、シューフィッターのいるお店で、歩く時の両足の体重のかかり方や脊柱がまっすぐかどうかなどの検査をして、特別の中敷を作ってもらい、それに合わせた靴を買いました。この中敷はアクティブ中敷といって、歩いているうちに筋肉や筋に働きかけて、体重のかかり方を正しくしていくのだそうです。さらに靴のサイズは普通のサイズより4つも大きいので、履くと指の前がガラあき!皆が一般に履いている靴は、指先を押したり、靴幅が狭過ぎるなどして、足にとってよい靴を履いている人はほとんどいないそう。履いているとだんだん足指が前に伸びていって、ああ、いい気持ち!と言っているような感じです。なるべくたくさんこの靴で歩いて、健康な足を作るのが目的です。でも足に働きかけて正しい形にしてくれる中敷なんてすごいですよね! 左足の左脇を下に曲げた時の痛みが少し減って来ました。これからどうなっていくのかが楽しみです。

 

2019 79日(火) 友人がウィーン来訪!

  6月末から10日余り、友人がウィーンに来てくれました。途中、3日間ベニスに行ったので、ウィーン滞在は計8日間。私は一日出たら、翌日は家にいないと身体が持たないので、残念ながら、古い風車とワインケラー(ワインの樽や瓶を保存しておくための地下の倉庫)で有名なレッツには行けずにお留守番でした。でも友人と連れ合いはこのワインケラーの見学をしたそうです。もう二、三百年も前からあるもので、ワイン農家共同の地下室だったそう。地下30メートルまであり、地下倉庫の合計の長さは20kmに及びます。地下ですから当然涼しく(寒く)て、気温は一年中810℃。借りた毛布を被りながら見学したそうです。 粘土でできた地下室は掘るだけで、何の支えもなく崩れることもない土壌です。最後にいっぺんに80段の階段を上って上に出ましたが、この階段がコンクリートでぴっちり作った階段と違い、幅も高さもまちまちなので、登りにくく、かなりきつくて、もう来ない!と思ったそうな。でもなかなか面白かった、という二人の感想でした。

  ベニスは猛烈な暑さだったそうですが、それでも一日中、精力的に歩き回って船での交通が中心のベニスの魅力を楽しんで来たそうです。ベニスでは観光客が増え過ぎて色々面倒も起こって来たので、来年からは一番有名な運河地帯には入場料を払わないと入れなくなるそうなので、よい時期に行ったことになりました。

  友人がベニスに行った日、私はお医者さんへ。普通にしていれば何の痛みもないのですが、左足を外側にねじるとピーッとつったような痛さが走るのです。腫れている、ということで、レントゲン検査の送付状を書いてもらい、早速レントゲン検査センターへ。すぐに検査してもらえて、そのあとは薬局へ、足に塗る炎症を抑えるジェルを買いに行きました。翌々日は検査結果を取りにいって、その足でもう一度お医者さんへ。骨の変形はなく、リウマチでもない、ということでしたが、骨密度の検査をした方がよいということで、もう一度検査送付状を書いてもらい、足を湿布で冷やすようにと言われました。シューフィッターへの送付状も出してもらったので、その足で、シューフィッターのところに出かけ、採寸の日程を決めて来ました。

  夜行列車で4日の朝、ウィーンに着いたというのに、友人は元気で、その日のお昼は、何と友人がウィーンに住む日本人のブログで見つけたという、森の中の池畔のレストランへ。まさに雰囲気は森の中で、とっても静か。池にはアヒルが15,6羽いて時々岸に上がってはえさを探しているし、えさを上げている子供もいて、心がホッとなごみます。テーブルや椅子も木製でリゾート地の雰囲気を出しており、食事もとってもおいしくて大満足!スープからデザートまで食べてしまいました。

  森の中を散歩でもしなければ、見つけられない奥まった場所にあるので、「ウィーンっ子も知らないところを日本人が見つけるなんて!」と連れ合いは感心することしきり。その晩行ったカジノ(私は残念ながらお留守番)では、いつもなら2,3分で入場料分のジェトンをすってかなり早く帰って来るのに、今回は一度目はいつものように数分ですってしまったけれど、もう一度ジェトンを買ったら、今度はどういうわけか幸福の女神様が微笑みっぱなしで、勝ち続けたので、大びっくり!と言っても、レストランに3人で行けるというあたりまで勝ったところで引き上げて来たのだそうですが、今日はいい日だった!と連れ合いも友人もご機嫌でした。

  7日はよいお天気で、今日こそは、と私も一緒に出掛けました。ハイドンが活躍した、お隣のブルゲンランド州、エスターハージー城へ向かったのですが、ものすごい渋滞続きで時間がかかったため、お城の前にレストランがあるのを見つけ、そこでお昼を食べてから、バロック様式のお城をガイド付きで見学しました。一度目には間に合わなかったけれど、二度目のガイドの時間にちょうど間に合いました。ベッドが短いのが気になっていたので、ガイドさんに聞いたら、「ああ、座って寝たっていう話でしょう? 当時は肺の病気が流行っていたので、横になるのが苦しかったからなんですよ」と説明してくれました。私も病院で肺炎になったことがありますが、肺炎だと、横になると呼吸がうまくできず、苦しくて、眠ることができないので、私もベッドに寄りかかって寝ていました。でも肺炎はお城ができてからずっと流行っていたわけではないと思うので、まだほかにも理由がありそうですよね。前にやはりどこかのお城を見学した時、ベッドが短いのが気になって調べてみたことがあります。そうしたら当時は横になって寝ると災いが来ると信じられていたので、寄りかかって寝ていた、という説明がありました。それで当時のベッドの長さはほぼ120cmだったそうです。またエスターハージー城では、女官たちにも年金が出たのだそうで、なかなか開けた領主だったのですね。

  かなり暑かったので、ノイシードラー湖の遊覧はやめた方がよいと判断、ワインケラーの入り口が並び、また16世紀にトルコ人が襲ってきた際の逸話から、煙突から顔を出しているトルコ人の像があるというプアバッハに行きました。16世紀にトルコ人がウイーンを襲ってきた時、プアバッハを通りました。住民たちはトルコ人たちが襲ってくるのを見ると、着の身着のまま、逃げて行き、身を隠してしまいました。一人の兵士が誰もいなくなったワインケラーで、お酒を飲み過ぎて眠ってしまい、眼が覚めたら、味方はとっくに引き上げていて、独りぼっちになってしまったのに気づきましたが、代わりに住民たちは戻って来ていました。そこで見つからないように煙突に隠れたけれども、下から火を燃やされ、煙と熱さでついに煙突の上から飛び出したところでつかまり、キリスト教に改宗してその家の下男として仕えるなら命は助けると言われて、その通りに改宗して一生その家に使えたのだそうです。そのトルコ人が亡くなった後、その家の主人は、石でトルコ人の頭を作らせ、煙突の上に取り付けたのだそうです。このトルコ人は今でもその家の煙突から顔を覗かせているのですが、番地をよく覚えていかなかったので、今回は見損なってしまいました。

  その日は月の第一土曜日にあたり、ワインケラーの前で、ホイリゲ(その年にできた新酒を飲ませるお店)が開かれる日だったので、私たちも気に入った場所に陣取って、ワインやジュースを飲み、オープンサンドを食べて、おしゃべりを楽しみました。小さな小川のように側溝ができていて、両岸には所々に短い橋がかかり、並木が囲んでいて、両岸のワインケラーの眺めがなかなかいい風情。土地の人たちが木陰で楽しそうにワイン片手に語り合っている様子を見ながら、また来よう、と思ったことでした。

  友人はその翌朝、帰国の途につきました。もっともっとおしゃべりしたかったなあ・・・。短かったけれど、あれこれ一緒に体験して楽しい日々でした。一緒にお料理したのも楽しい思い出になりました。友人にとっても、仕事で忙しい日々のよい気分転換になりましたように!

 

2019 64日(火) 日本滞在(3

  何ともう6月に入ってしまいました!ごめんなさい!またまたあれこれと入っているうちにまた日が過ぎてしまいました。今回の旅はほとんど人に会うだけで一杯で、どこにも出掛けられませんでしたが、たくさんの久しぶりの再会で嬉しく、懐かしく、楽しい時間を過ごしました。尋ねて下さった皆さん、本当にありがとう!

  家族では、実家に住むすぐ下の妹の娘一家(三人家族)全員に会ったのは初めてだったし、新潟に住む一番下の妹とその娘(つまり私の姪です)も実家に来てくれて会えたし、初めて両親のお墓参りにも行けました。私が熱を出した時には、ホテルにはお医者さんは来てくれないというので、すぐ下の妹に話したら、じゃあ、お医者さんに連れて行ってあげる、と言ってくれて、彼女が、何とちょうど実家に来ていた一番下の妹と姪、さらに連れ合いまで付き添ってくれて、車で実家近くのお医者さんまで連れて行ってくれました。こんなにたくさんの人に付き添われてお医者さんに行ったのなんて初めてのことで、とても心強い思いをしました。その後、一日二日で熱も下がってホッとしました。みんな、ありがとうね!とっても嬉しかったよ!  

  町田のホテルに泊まるのはもう4回目だったのに、今まではホテルと駅しか知らなかったのだけれど、今回初めて町を探索してみたら、町田は昔、横浜港へ絹を運ぶ街道沿いにあることから栄えたのだそうで、「絹の道」と彫った記念石が立っていました。それでちょっと歩いてみたら、古い市場もあってとても懐かしい感じ!あたりのお店の佇まいも昔の情緒を感じさせます。古いお茶屋さんのご主人と気が合って色々な種類のお茶を飲ませてもらったり、たわいもない話を楽しんだりし、最後は抱き合って別れを惜しんだりまでして、「全然日本的じゃないご主人だね!」と話し合ったことでした。書道製品のお店にもお世話になりました。浴衣に履く畳地を張った草履を、履き方、着物との組み合わせなど詳しい説明付きで売ってくれたのは、市場のおばさんでした。「何だか町田って面白いね」「ほんと!好きになっちゃった」 ついに町田はふるさとみたいな場所になったことでした。

  安くて美味しいお店もいくつか見つけました。お昼の定食の天丼やマグロ丼がすごくおいしくて800円(6ユーロ)。毎日のようにお世話になりました。ホテルのそばの中華料理屋さんでは、連れ合いは毎回餃子2枚で600円(約4.6ユーロ)、私のお目当ては、毎回堅焼きそばで620円(約4.7ユーロ)。ここに至っては、ウィーンだったら絶対お昼のメニューでも食べられない安さ!簡単に日本の物価は高いなんて言えないね、行くお店をよく知らなくちゃね、と話したことでした。反対に、日本のケーキの高さと小ささには、呆れました。こんな小さいのを、こんな値段で売るなんて、もう犯罪じゃないの?!と思うくらい。もともと日本生まれじゃないから、高くてもいい?のでしょうか?

  帰りは、新勝寺の表参道と近くの美味しい中華料理屋さんに行きたくて、わざわざ成田発にしたのですが、表参道にたくさん続くお店の昔を思わせる佇まいはとても魅力的だったし、いつもの中華料理屋さんの餃子と堅焼きそばは相変わらず美味しかったのだけれど、飛行機は失敗でした。スイス航空でチューリッヒ経由でウィーンに帰ったのですが、サービスはとてもよかったのだけれど、まずチューリッヒまで12時間半もかかって、遠過ぎました。往きのANAのウィーン・羽田便は10時間半だったのに、10時間以上かかる距離でのさらに2時間はかなり辛いです。

  しかもウィーンに着いたら、待っても待っても、スーツケースが出て来ない! 遺失物のカウンターに行って聞くと、「チューリッヒで止まってしまっていました。今、ウィーンに向かっているところですから、着くまで待って下さい。飲み物にご招待しますので」ということで、ジュースを飲んでから待ちました。いくら待っても待っても出て来ないので、ついに痺れを切らしてもう一度聞きに行くと、係員が、「荷物は届いたので、私と一緒に取りに行きましょう」と恐ろしく遠いところまで取りに行かせられ、疲労困憊で、やっとタクシーに乗り込み、家に着いたのはもう真夜中近く。 床につけたのは、その日朝5時起きで成田へ向かってから26時間後でした。ああ、疲れた~ぁ!!! ただ西に飛ぶ時には時差ボケはほとんどないので、それがありがたかったです。

  ところが翌日大変なことに気づきました。取って来た荷物のことで頭が一杯になっていて、どういうわけかそのまま荷物を押して外に出てしまったので、ウィーン空港では税関を通らないまま出て来てしまったのです!ということは、私は密入国したことになる???!!! 慌てて空港に電話すると、「チューリッヒのスタンプがあるなら大丈夫です。スイスはEUには加盟していませんが、シェンゲン条約 (シェンゲン協定に参加する国々〔シェンゲン領域〕での国境管理を廃止し、シェンゲン領域外から域内に入る渡航者に対し、共通のビザの発給基準を定めたもの。オーストリアも加盟している) を結んでいるので、ほぼEU圏と同じですから、ウィーン空港のスタンプは必要ありません」 ああ、よかった!密入国にならなくて!

 

2019 524日(金) 日本滞在(2)

  やっとパソコンに取り込んだ写真をメールと一緒に日本で会った友人・知人に送るなどで、日にちがかかってしまいましたが、やっと終わり、どうやら先週から書道のレッスンに通い始めることもできました。

  日本に着いてからの時差ボケ(オーストリアとの時差は冬時間の当時は8時間)が恐ろしいひどさで、眠れないので疲労で食欲が全くない、また眠れないの繰り返しで、10日近く全くどこにも行けない、何にもできないという有様。せっかく東京のど真ん中に泊まったというのに、千鳥ヶ淵のお花見にも、浅草の浅草寺にも行くどころではなく、ただただホテルでバテているのみでした。やっとのことで、ホテルまで来てくれた友人たちと会うのが精一杯でした。

 

2019 510日(金) 日本滞在(1)

  皆さま、すっかりご無沙汰致しました!何をしていたのかと申しますと、しばらく日本に滞在しておりました。4年ぶりの日本だったので、色々なことが目に付きました。まず最初は、コンビニの店員さんやホテルで部屋の清掃をする人たちの多くが外国人だったこと。4年前には目立たなかったことでした。ホテルのそばのコンビニに、若いインド人の女性の店員さんがいて、まるでネイティブのような素晴らしい日本語!もしかしたら本当に日本生まれの日本育ちかも知れない、と思ったほどでした。

  でもここでもし、「あなたの日本語はなんて素晴らしいの!」と褒めた時、もし日本生まれの日本育ちだったら、複雑な気持ちになって単純には喜べないだろうと思ったので、何も言わなかったのですが、これからどんどん働く外国人が増えていくと思うので、外国人と共に暮らすことに慣れていない日本人は、これから色々な問題と取り組まなくちゃならないだろうな、と考えたことでした。

  出掛ける前の無熱最長期間は27日間でしたから、27日が過ぎて、出発が近づいても熱が出ないので、これは出掛ける間際に出て、旅がおじゃんになってしまうのではないかという心配で毎日生きた心地がしませんでしたが、どうにか無事出発できました。(ここで旅の最後の後始末に時間を取られて少しお休み。上に続く。)

 

2019 312日(火) 春の嵐?

  このところまるで初夏のように25℃近くまで上がったかと思うと、翌日は10度以上も下がると言う落ち着かない日が続いています。しかも素晴らしいお天気かと思うと、かなり強い風と雨の降る嵐が2,3日毎に来たりしているので、心臓の悪い人にはきついことでしょう。救急車がサイレンを鳴らして走っていくのをよく見かけます。日本は一時、寒波、特に北海道はひどいというようなことを聞いていましたが、今はどうでしょうか? 少しは春めいて来たでしょうか? そうだとよいのですが。

  さて、6日にも漢方の先生を訪ね、鍼を打ってもらいました。その前に脈疹で、「おお、元気に打ってるよ。感じてみる?」とおっしゃって、私の右人差し指を左手首の最初の部分に当てました。あ、感じる、感じる!本当に元気!

  骨折のリハビリをしていた間、熱はずっとほぼ20日間くらいの間隔で出ていましたが、最後の熱では27日に伸びました。でもこの熱は私の熱ではなく、尿道炎から来たもので、5日間抗生物質を飲んだら、ヴィールスも消え、すっかり治りました。私の熱は自己免疫疾患なので、熱の性質が全然違うため、これは私の熱ではなかったとみなせば、今日でもう無熱70日くらいになります!もし尿道炎で熱が出た時、ついでに私の熱も出た、という見方をしても、もう40日を越しています!自分でも信じられないくらい!だって余りに突然ですから。

  でも、初めて、というのは必ずあるのですから、もう熱が来ないなら、もちろん大歓迎です! ただ毎日、晩の7時か8時くらいから、ものすごく疲れて来ます。ごくわずかに微熱がある感じもして気分もよくありません。でも翌朝になると低過ぎるくらいまで下がっています。悩みの入眠障害も鍼と植物性の睡眠薬(植物性で今まで効いた薬はなかったのです!)の両方のお陰で、67時間くらいは眠れるようになりました。この薬は一般的な植物性の睡眠薬とは、成分が違っていて、メラトニンがごくわずか入っています。あとはよく睡眠薬に使われる一般的な薬草が2種類だけ。「メラトニンはね、壊れた体内時計を直してくれるんだよ」と先生はおっしゃって、薬局で推薦してくれたその薬をメモしていらっしゃいました。

  どうかこの調子で元気になって行きますように!

 

2019 218日(月) 脈が力強くなった!

  13日(水)、漢方の先生の診察に行きました。脈診をするなり、「おっ、脈がすごく力強くなってる!」と先生。前回はまだ弱かったのだそうです。だいぶよくなって来たようで、先生は大満足。やっと上向いてきたことが分かって、私も大喜び!

  それに十年以上前から、左足をある角度に傾けると痛いので、当時施療してもらっていた指圧師に聞いたら、それは加齢による症状なのでどうしようもない、と言われたことを話し、貝の粉を飲んだら痛みはなくなったけれども、左足ではソックスを履こうとしても充分に足が上がらないので、付け根の軟骨が磨り減っているのではありませんか?と話したら、「じゃあ、それをまず治そう!そこに寝てごらん。」と言うので、鍼治療をする幅の狭い寝台に寝たら、左足の付け根の筋肉を強く押されたのですが、その痛いことと言ったら!思わず叫び声を上げてしまったほどでした。「ああ、これは骨が磨り減っているのではなくて、筋肉が弱っているんだよ。」 しばらく力強いマッサージをしてから、「膝を立てて、左足を身体につけてみて!」 やって見ると、なんと今までできなかったのに、しっかりと身体につけられたではありませんか!「左上肢を左手でグッと下に押すのと同時に、その力に逆らって、下から上に足を強く押し上げるのと、足を身体にしっかりつけるのとを、いつもやるようにすると、筋肉の力がついて来るよ。テレビ見ながらでもやるといいよ。でも右足と両方やってね。」と教えてくれました。

  骨が磨り減ったのじゃなくてよかった!筋力をつけなきゃね!

  そのあといつものように、鍼を打って約30分間そのまま待って、治療はお終い。脈がグッと力強くなったし、左足が上がり切らなかったわけも分かったし、すっきりした気持ちで、診療所を後にしました。

 

2019 207日(木) 初めて一人で出掛ける

  19日(土)、今までは看護婦さんがついていないとシャワーを浴びてはいけない、外に出るときは必ず付き添いつきで、という原則があったので、かなり不便でした。そうすると看護婦さんが来てくれる1週間に1度しかシャワー・洗髪ができなくて気持ち悪いし、一人で必要なもの、自分に合ったものをゆっくり探したいというような買い物ができないからです。

  一人シャワーと洗髪は、一昨日看護婦さんから合格もらえたし、だいじょうぶ、もう一人で買い物にも行けるわよ、とも言ってもらえたので、昨日は5階から3階まで松葉杖を使わすに階段を下り、そしてもう一度上って戻って来る練習をし、ホームトレーナーでの自転車漕ぎも今までの2倍の12分やって下準備。今日は5階から下まで松葉杖なしで下り、そのまま松葉杖1本をついてゆっくりと銀行へ。そこからドラッグストアに行って、自分に合いそうなクリームや、乳液、口紅、日焼け止めクリームなどを、ゆっくりと探して買い、今度は荷物を持って、またゆっくりと家まで戻って来ました。時間的にはここまで1時間でしたが、お店には2030分くらいいたので、歩いたのはせいぜい30分くらい。普通の足で歩けば、20分くらいでしょうか。エレベーターは3階で降りて、5階まで足で階段を登りました。もっとも心の底では、もっと前から買い物にはもう一人で行けるわよ、って思っていましたけどね。

  それでも、初めてお使いに行った子どもみたいに、やったぜ!という感じで、ちょっと嬉しい気持ちでしたよ。

 

2019 123日(水) 我が家に帰って来ました!

  19日(土)、転んでから3ヶ月振り、ほとんど何でも自分でできるようになったので、ついに我が家に帰って来ました!でもまだ看護婦さんに来てもらって、我が家の環境の中で、シャワーと洗髪が腰に負担をかけずに一人でできるようになるまで、また家事に支障がなくなるまで介助をしてもらいながら、慣れて行きます。まだ時間やお天気によって、また長く座った後などに歩くと、足がこわばった感じがしたり、腰が重い感じがするので、階段の上り下りや、外を歩く練習ももっとたくさんする必要があるようです。とにかく何でもゆっくりするように、薄暗い時はちゃんと電気をつけるように、気をつけています。

 

2019 112日(土) その後

  ありがたいことに今日は雪が降っていないし、昨日よいお天気だったために道の雪もすっかり溶けたので、歩いてここに来ました。10日には看護婦さんの付き添いで、初めて松葉杖を使わず、歩いてここまで来て、また歩いて帰りました。行きはまだどことなく不安な感じがあったのですが、帰りはもう大丈夫!という安心感が生まれていて、嬉しくなりました。もう本当に後一歩です。

  9日は日本大使館で行われた「書初めワークショップ」に行って来ました。新年初めての外出でもありました。書初めでは、いつものレッスンより大きな筆を使い、字も大きく書くので気持ちよく、二度目の参加でした。今年は元気になって嬉しいことをたくさん経験したいので、書く言葉は「喜び」を選びました。

  看護婦さんから、ホームトレーナーで自転車漕ぎをしてももう大丈夫、と言われたので、長いこと休んでいましたが、今日から始めます。とにかく一番大事なのは上肢を鍛えることで、ここが強いと転びそうになっても耐えることができる、つまり転びにくくなるのだそうです。そしてそれには自転車漕ぎがバッチリ!というわけです。これからどんどん強くして行くぞ~お。

 

2019 105日(土) 外は雪でぐちゃぐちゃ

  外を歩く練習をしたいのですが、昨日からずっとかなりの雪が降り続いていて、やっとついさっきから小降りの雨になったのですが、道は雪でぐちゃぐちゃ。とても滑りやすいので、また滑ったら大変ですから、普通なら歩いて4,5分の距離なのに、車でやって来ました。家で筋肉をつけるトレーニングをしていますが、それなりに色々練習しても、家の中を歩くだけでは全体量が足りません。それに家の中は平らですから、でこぼこのある外とは大分違います。これから暖かくなるそうなので、外が歩けるようになるのを期待しましょう。

  クリスマスメールのお返事を頂いて、若い人たちも含め、私も、とか友達が転んじゃった!という人がかなりいたので、え、こんなに多いの?!とびっくりしました。尻餅の際に首に来てしまって、むち打ち症のようになってしまった人、尻餅をついても骨折はしなかったけれど、青あざができて、長い間ものすごい痛みに悩んだ人、躓いて足の小指の骨を折った人、夜、車を避けようとして転び、足の骨を折った人、倒れる自分を支えようとして手をついたために腕の骨を折った人・・・。仲間に囲まれているようで、一瞬慰められましたが、考えてみたら、どの一つの例をとってもかなりの痛み、そして長い間の我慢を体験したはず。皆さま、本当にご苦労様でした!お互い、二度とこんなことにならないように気をつけ過ぎるくらい気をつけましょうね。健康な一年をお祈りします!

 

2019 104日(金) 明けましておめでとうございます!

  新年明けましておめでとうございます!皆さま、よいお正月をお迎えのことと思います。今年はいよいよ元号が変わりますね。新しい元号とともに今年をきっとよい年にして参りましょう!本年もどうぞよろしくお願い致します。

  年末26日は、連れ合いのいとこの家の小さなパーティーに呼ばれて来ました。いとこにいとこの息子夫婦、いとこの小姑そして私たちの6人です。いとこと連れ合いの子どもの頃の話など、私の知らなかったこともたくさん聞けて、楽しいひと時でした。大晦日は歌番組を観ながら、ゆっくりと過ごし、年越しの花火を眺めながら、新年はきっとよい年にする!と誓いました。病院だらけの日々はもうコリゴリですもんね。

  さてあさっての6日は「聖三王の日」。オリエントの3人の王が星を頼りにエルサレムのイエス様を訪れ、誕生祝の品々を捧げた、と言われる日です。この日には、バルタザール、メルヒオール、カスパーの三王に扮した子どもたちが、歌いながら各戸を回り、貧しい子どもたちのために寄付を集めます。

 

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