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更新日誌

2018年 12月23日(日) 検査結果

  21日のレントゲン検査の結果、骨はしっかりくっついている、痛みはまだ出るだろうけれど、もう安心していいよ、と言われました。嬉しかったことと言ったら!本当にホッとしました。また血液検査の結果も、ヘモグロビンがかなり増えていたため、これを保てば、という条件で、来春の日本行きOKをもらうことができました!ヘモグロビンは12まで増やさなくてはいけないので、まだ時間がかかりますが、さすがドーピング用とあって、効率が高いみたいなので、期待してがんばりますね。

 

2018年 12月20日(木) 待降節第三日曜日

  16日は待降節(アドヴェント)の第三日曜日でした。第四の日曜日が来るといよいよクリスマス・イヴがやって来ます。イヴの4週間前から始まる待降節。その第一日曜日は、クリスマス・リース(アドヴェントクランツ)の1本のろうそくに火をつけ、毎週1本ずつつけるろうそくの数を増やしながら、あとクリスマスまで○週間と静かな期待に胸を膨らませながらキリストの誕生を待つ時期です。16日の晩は三本のろうそくをつけ、炎の揺らめきを見つめました。ちょうどチロル地方の教会で、バッハのクリスマス・オラトリオの演奏会があったので、テレビをつけました。二時間近い大曲なので、飽きたら消そうと思って聞き始めたのですが、何と自分でもびっくりしたことに、全曲聴いてしまいました。オーケストラにオルガン奏者、合唱団、四人のソリストが加わった大コンサートでしたが、演奏者の人たちの曲に対する熱意が伝わって来て、それにつられて全曲聴いてしまったみたいです。結局、ろうそくの炎を見つめながら、クリスマス・オラトリオを聴くといういう、なんとも模範的なアドヴェントを過ごしてしまいましたが、心がホッとするよい晩でした。

  明日は朝早く病院に行き、骨折が完全に回復しているかどうかを見るためにレントゲン写真を撮ります。そのついでにもう一度血液検査をし、さらに検査結果が出るまで待って、結果についての話し合いを担当医師とすることになっています。多分何時間も待つことになるので、お弁当と飲み物を持って行きます。

  運よく軽かったとは言え、やはり骨折は私の身体にとっては大変なことだったようで、内出血がかなりひどかったようです。それで入院中にも3回輸血を受けましたが、12月初めの血液検査でも赤血球がかなり少なかったので、ヘモグロビンを増やす薬を注射(スポーツ選手がするとドーピングになるそうです)することになりました。週1回、自分で打つのです!素人が打てるよう、とてもうまくできていて、打った後の針は自動的に引っ込んで怪我をしないようになっているし、あまり痛みもないので、なんとかこなしています。4回ということになっていますが、明日の血液検査結果で増えていることがわかるといいな。そして4回で終わりになりますように!赤かぶのジュースも飲んでいるんだから、ヘモグロビン、増えてちょうだ〜い!

 

2018年 12月08日(土) 尻もち事故

  何ともう師走に入ってしまいました!10月10日以来、私はずっと家に帰れない状態になってしまったので、ここに書くこともできず、本当に申し訳ありませんでした!実を言うと、くだらないことで、家で尻餅をついてもろに尾てい骨を打ってしまい、急いで病院に行くと、レントゲン検査とCT撮影で骨盤の仙骨と恥骨を骨折していることが分かり、即入院となりました。でも手術は必要ないので自然に骨がつくまで待つように、ということでした。で、11日間入院して、ほんの少し松葉杖で歩く練習をしたところで、退院させられたので、その後が大変。連れ合いの住まいが完全バリアフリーなので、そのまま連れ合いのところで世話になることになり、まず車椅子を借り、週3回、訪問看護婦さんに来てもらって、シャワー、洗髪の介助をしてもらい、また歩く練習にも付き添ってもらい、週1回は理学療法士さんに来てもらって、歩く練習とそのために必要な筋力トレーニングなどをしてもらう手続きを取りました。

 今では松葉杖1本でしっかり歩けるようになり、全く松葉杖を使わないで歩く練習を少しずつ増やしています。何も使わないで歩くと一足ごとに疼痛というのか、鈍く、重い感じがするのですが、それをなくすためにも歩かなくてはいけないそうなのです。でも確かに、何もなしで歩く時の重い感じも少しずつ減って来ているように思います。階段の上り下りも松葉杖1本使えば、うまくできるようになりました。看護婦さんも、今は週2回です。もうすぐ、週1回でも大丈夫になれるかも。

  これから、こうして何度も家に帰って来ながら、冷蔵庫の必要食料品をそろえたり、掃除、整理をしたりしながら、生活準備をし、年末には家に帰って来たいと思っています。こんなことになるなんて全く思ってもいなかったので、心理的にもショックだったし、生活も全く変わったため、慣れるまで少し時間がかかりましたが、もう大丈夫です。本当にご心配をおかけしました。

  後2日で、尻餅後2ヶ月になります。もう一度病院に行って、コントロールのためのレントゲン写真を撮ってもらうつもりですが、多分合格できると思います。

  暮れの忙しい時期ですが、皆さま、どうか充実した年末でありますように、と願っております。あと2週間ちょっとでクリスマスですね。ご家族で楽しいクリスマスをお過ごし下さいね。そして新年がよいことのたくさんある素晴らしい年になりますようにお祈り致します。怠け者一筋の1年でしたが、どうか新年もよろしくお願い致します。

 

2018年 9月02日(日) 日本人学校夏祭り

  昨日、初めて日本人学校の夏祭りに行って来ました。どんなかなあ、知ってる人に会うかなあ、と思って行ったのですが、知り合いには誰にも会いませんでした。お天気が悪かったので、催しは全て屋内で行われ、見たかった和楽器の演奏、合気道の模範演技は楽しめました。お琴と三味線の演奏は、ニューヨークで活躍中の日本人女性がモダンなアレンジの演奏を披露、和太鼓もやはりアメリカで活躍中の日本人男性の演奏で盛んな拍手を浴びていました。彼は最後の催しの盆踊りの時には、太鼓で演奏に参加して盛り上げてくれて、好感が持てました。オーストリア人の参加者もかなりいて、皆さん楽しんでいました。

 会場にはオーストリア人男性と日本人女性のご夫婦がかなり来ていました。私が結婚した頃はちょうど国際結婚が増え始めた頃だったので、今ではずいぶん多いんだろうな、と思いました。日本人、オーストリア人の両親たちが、日本人の子どもたち、ハーフの子どもたちとみんなで一緒に行事を楽しんでいるなごやかな風景には何となく嬉しい気持ちになりました。それに小さな子供たちの浴衣姿の可愛かったことと言ったら!お昼は日本食品店やレストランの出店でお弁当を買い、ピクニック感覚で楽しかったです。校舎の2階、3階を周ると、お習字、将棋を一生懸命練習していました。あと縁日の催しもあったようです。何だか楽しかったね、来年もまた来ようね、と話して、学校を後にしました。

 さあ、明日から新学期が始まります。小学校に入る子どもたちは、お菓子や文房具がたくさん入った大きな三角形の袋を片手に抱いて、嬉しさ一杯で写真を撮ってもらうことでしょう。がんばってね、みんな!

 

2018年 7月2日(月) 日本では本格的夏、始まる

  日本では梅雨明け宣言が出て、本格的な夏に入ったと聞きました。これからが大変ですね。どうぞ電車の強い冷房と、蒸し暑い外との出たり、入ったりで夏風邪等引かれませんよう、ご注意下さいね。

 さて、私の方、今回、前の熱より無熱期間が1週間以上伸びたら、日本行きの準備を始めよう、と思っていたのですが、残念ながら無熱期間をさらに伸ばすことはできず、2月以来初めて1週間伸びた前回と同じでした。と言うことは、1ヶ月にも満たないわけで、こんないつ熱が出るかわからない状態で旅行をするのは、まだ余りにも不安です。 

 それでも鍼治療を受けるようになってから、ひどい入眠障害も、3時間、4時間と眠れないことはなくなり、眠れるまでの時間が早くなって来ました。つまり、全体としては体調はよくなりつつあるので、半年ほど日本行きを延期して、この分でよくなって行けば、かなり元気になって、不安もずっと少ない状態で行かれるじゃない、と思い直しました。まだ昨年の抗生物質の大量投与によって、免疫力が谷底に落ちたことの影響が残っているみたいですが、なんとかバンバン追い払っちゃわないとね。

 というわけで、期待を持ってさらに努力しつつ、なるべく不安のない状態に近づけてから、日本行きを実行することにしたいと思います。皆さんにお会いできるのが延びてしまうのは辛いですが、どうかご理解をお願い致します。ニッポン、待っててね!    

 

2018年 5月30日(水) 滑り込みセーフ!

   と言っても「6月前に」と言うだけですが。春の月々はとっくに過ぎてしまいました。本当にすっかりすっかりご無沙汰してしまいました。ごめんなさい!!!2月あたりから気温も天気もとても変わりやすい日々が続きっぱなしで、変わりやすいのが普通みたいになってしまったので、身体がきつく、残念ながら無熱期間が伸ばせないまま来てしまいました。報告できる嬉しいこともなくて、元気が出ずについついご無沙汰してしまいました。

   でも今日はついに嬉しい報告ができます! つい先日一番最近の熱を終えたところなのですが、今回は前の熱が下がってから熱が出るまでの期間が、いっぺんに一週間伸びたのです!こんなこと初めてです! 今日は漢方のお医者さんの診察と鍼治療を受けて来たのですが、脈診の時、「お、元気になってる! 胃腸の調子がよくないけど、それ以外、肺も心臓も肝臓もみんな元気だよ!」と言ってもらえたのです! 鍼治療は今回で4度目でしたが、ひどい入眠障害も、まだまだ眠れるとは言えませんが、ゆっくりとですが、少しずつよくなって来て、だいたい眠くなれるようになって来ました。今まではものすごく疲れているのに、だんだん目が冴えて来て、全く眠くなくなってしまったのですから、これは私にとってものすごく大きなことで、よく眠れれば、当然体調はよくなりますから、免疫力もついて来ます。

   無熱期間が伸びなければ日本へ行くこともできませんから、だいじょうぶかな、という不安がどことなくいつも付きまとっていたのですが、この分で行けば、日本へも行かれるぞ、という希望と自信が湧いて来ました。

   というわけで、今日は帰りに、つい嬉しくて、チョコムースケーキとペパーミントティーでお祝いしてしまいました。これからはまめになりますね!  

 

2018年 2月12日(月) HPの引越し

  新政府がついに外国人の子どもたちのためにドイツ語集中クラスを作ると発表しました。昨日、ウィーン大学病院で同室だった教師の友人と電話で話した折り、「やっとドイツ語集中クラス、作ることになったわね!」と言ったら、「でもねえ、まだ確実じゃないのよ」という返事。確実にするまで何が必要なのか、そこまでは話しませんでしたが、今のままでは、オーストリア人の子どもにも外国人の子どもにとってもつまらない授業になるだけですから、何とか実現させて欲しいものです。

  このHPでは、もう皆さんお気づきだと思いますが、残念ながら、写真が全くアップできなくなってしまいました。IT技術者のダニエル君によると、どうもその原因は日本のプロバイダーにありそうなのです。「だからこちらのプロバイダーに引越ししたらどうか。僕が調べてくるから」ということで、昨日来てくれて、話を聞くと、「ブログならずっと簡単だから、ブログにしたら? それにそうすれば今度のようなことも起こらないし」と言います。

  私はブログというのは、載せられるのは一つの記事だけと思っていたので、幾つもコーナーを作って全体を広げて行きたいと思っている私は、アップロードが面倒臭くても、HPにしたいと思っていたので、そう話すと、別の記事もリンクを作れば、幾つでも載せられるよ、と言います。確かにHPでも結局は中にリンクを作ってつなげるわけですから、同じことのように思えますが、とにかく一つの記事、私の場合は『更新日誌』が中心になるわけで、外観はかなり変わって来ます。もっとよく話を聞いて、私の望むことができるとわかったら、こちらのブログへの引越しを敢行しようと思います。その時にはまたお知らせ致しますが、まずは引越しを考えていることをお知らせ致します。やっぱり写真ご紹介したいですものね。  

 

2018年 1月6日(土) 初外出

  皆さま、よいお正月をお迎えのことと思います。今年もまた一年、どうぞよろしくお願い致します。今年はきっとよい年にするつもりですので、応援、どうぞよろしくお願い致しますね。

  1月5日の昨日、年明けて初めての外出をしました。旧市街のレストランで、昨年の夏、ウィーン大学病院で同室だったのが縁で知り合った友人夫妻と退院以来初めて再会し、一緒に食事をしました。彼女は私より2週間くらい早く退院したので、5ヶ月以上、会っていなかった事になります。何度か会おうと試みたのですが、私が熱を出してしまったり、彼女たちが忙しかったりして、結局旧年中は会えませんでした。

  彼女は小学校の先生。難民受け入れが始まってから、外国人の子供がどんどん増えて、二年生のクラス25人の子どもたちの出身国は10ヶ国に上り、オーストリア人はクラスにたった一人だそうです。ドイツ語が母国語の生徒がひとりもいないクラスまで現れて、こうなると先生達の苦労はとても想像できません。

  最初はほとんどの子どもが全くドイツ語が話せないので、まともな授業はできないため、レベルを落とさざるを得ません。一年後にはドイツ語もどうにか話せるようになるそうですが、オーストリア人の子どもは、わかるのにレベルの落ちた授業を受けなければならないし、外国人の子供たちは、全然分からない授業をただ座って聞かなければならないので、やる気もなくなってしまいます。両親との話し合いにしても、両親もドイツ語が話せない場合も多く、さらに本来なら教師たちは英語も教えなければいけないのですが、ドイツ語もわからないのに、英語の授業などできるわけがありません。

  最初に外国人の子供たちのためのドイツ語の授業を集中的にやって、わかるようになってから普通の授業に参加させるのが、一番よい方法のはずですが、どういうわけか、ドイツなど他の国々には、ドイツ語だけの集中授業のクラスがあるのに、オーストリアにはなぜかないのだそうです。「だからオーストリアだけが大混乱なのよ」と彼女。

  オーストリアでは昨年10月に選挙があり、社会党は大敗北して野党に回り、緑の党は大大敗北の結果、国会からも去り、国民党と自由党の連立内閣ができたばかりですが、ドイツ語集中クラスの設置はどうしても実現しなければならない課題と言えます。

  話題は、学校の問題から、ホイリゲ(新酒を飲ませる半セルフサービスの大衆酒場、食堂)、そしてワイン、美味しい食事を出すお店情報、休暇での体験談とあちこちに渡り、そろそろ支払いをしようか(オーストリアでは、ボーイさんあるいはウェイトレスを呼んで、席で食べたものの自己申告をするか、持ってきた計算書に従って支払います)と思って時計を見たら、何と4時間が経過していました! 今度は美味しいホイリゲに行こうね、と約束して別れました。

 

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