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        旅日誌2009

2009年8月18日(火)旅日誌メモ。マウテルンドルフ

  
7月25日から8月8日まで、2週間の休暇に行って来ました。パソコンが6年経って画像処理ができなくなってしまったため、本体をダニエルくんに組み立ててもらって新しくすることにしましたので、写真をたくさん入れた旅日誌がお目見えするまでには、2〜3週間はかかると思います、と書いたのですが、その後体調が長いこと崩れたままで、すっかり日が過ぎてしまい、何と1年遅れ!本当にすっかりお待たせ致しました。どうぞ写真と一緒に、もう一度休暇体験をお楽しみ下さいね。2010年の分は新しく訪れた場所を加え、別にご紹介致します。                               (2010年11月15日追記)

   
本屋さんの入り口に立つおじさんの像と並んで本を読む
                     (タムスヴェーク)

 2009年7月25日(土)
    午後4時頃、マウテルンドルフ(ザルツブルク州、ルンガウ郡)に到着。2回の休憩を含め、およそ4時間の旅だった。さあ、これから2週間、ゆっくり休むゾ!山の自然を満喫するゾ! 朝寝坊できるようにアパートメントを借りた。内装はとてもきれい!家具等も上質だし、センスもよい。花でいっぱいのバルコニーからは、素晴らしい山景色が望める。ここは海抜千メートルの大きな高原の上に幾つもの町が集まった地域で、周囲を2000m級の山々に囲まれている。マウテルンドルフの海抜は1100m。   
    
    
宿の前に広がるマウテルンドルフの風景          アパートメント                                                                              
   今回は前回のおばかを繰り返さないように、絶対無理をしないことにする。休むことを中心に、行動するのは少な過ぎる位にして身体を労わることにする。                                    

 2009年7月26日(日)

ゆっくり起きて、お昼少し前に郡庁のあるタムスヴェークへ。道を歩いていると、通る人、通る人、ほとんど全員が民族衣装を着ている!なぜだろう?お祭り?と思って尋ねると、今日は教会の祝日なのだそう。祝日にハレの民族衣装を着て教会に出掛ける習慣がしっかり残っているのだ。何だかとても嬉しい。民族衣装は見ていてもとてもきれいだし、特に小さな女の子がロングの民族衣装(女性用のものはディルンドゥルという)でおしゃれをしているのは本当に愛らしく、一瞬、写真撮らせてくれる?と頼もうかと思ったら、次の瞬間にはもう通り過ぎてしまっていた。ああ、残念!

  近くのレストランで昼食を注文するが、何と45分も待たされてしまって、お腹はすくは、木陰だったので、座っているうちに寒くなるは、でさんざん。海抜千メートルとなると、木陰に入っただけで、スーッと涼しくなる。   さて、タムスヴェークに来たのは、もちろん毎年通っている例のケーキ屋さん、ホーホライトナーがお目当て。気分直しにカフェラテを飲み、ヨーグルトケーキを食べてご機嫌もなおった。帰宅すると、部屋のドアには、○○さん、ようこそ!と書いたハート型のプレートがかかり、ベッドの上には歓迎のチョコが置いてある。予約金到着確認の手紙が、まるで警察の指令書か何かみたいに信じられない感じ悪さだったので、もう来るのやめようね、と話していたのだけれど、ちょっと風向きが変わった。こんな風に歓迎してくれるなんて、まるで同一人物とは思えない。ひょっとすると、学校時代、ドイツ語作文の成績が悪かっただけなのかも?

2009年7月27日(月) 
   今日の昼食はマウテルンドルフで。ものすごくおいしいレストランを発見!ちょうどきのこの季節なので、舞茸の炒め物を食べた。近くを探索したあと、おやつはマウテルンドルフのケーキ屋さんで食べてみた。まあまあだったけれど、ホーホライトナーとの差は歴然。

2009年7月28日(火) 午前中雨、午後やむ、ディルンドゥル買う
   雨が降ったので、気温はガンと下がって15℃位。ウールのセーターにキルティングのジャンパーでタムスヴェークへ出掛ける。

   通りのショーウィンドーを見るとちょっとすてきなディルンドゥルがあったので、中に入り、色々アドバイスしてもらって、結局今までとは胸の部分のデザインが違った赤いディルンドゥルを買った。ただしワンサイズ小さかったので、脇を4cm広げてもらうことにした。ウィーンで持っているのは、超やせの時に買ったものだったので、もうどんなにがんばってもまるでホックがはまらないのだ。今より6kg痩せていたのだから無理もない。それだけ元気になったのだから、嬉しいことよね。出来上がりが楽しみ!

                 4個になったレスティ

 再びホーホライトナーに行って、日曜日食べられなかったレスティを食べた。
  ここでは軽食も食べられ、ポテトのパンケーキ、レスティがとてもおいしい。おとといは、日曜日はケーキ類だけで軽食はなし、ということで食べられなかったのだ。今年は楕円形のレスティが2つではなく、大きさを小さく、丸くして4個になっていた。でもおいしさは同じ!ルンガウ、マウテルンドルフの歴史に興味を持ったので、タムスヴェークでただ一軒の本屋さんに行ったら、何と2時間半(!)の昼休み中だったので、次回また来ることにした。 

2009年7月29日(水) 快晴
               
モースハーム城  

   午前中、近くのモースハーム城を見学に。ここは初めてだ。お天気が悪いと見学者が増え、晴れると来なくなってしまうのだそうで、快晴の今日の見学者はたったの3人。魔女狩りの時代にここで35人以上が処刑されたことが記録に残っているのだそうで、拷問器具の並んだ拷問室では、当時を想像して背筋が寒くなる思いがした。昼食を取って一度帰宅し、しばらく休んでから、放牧小屋群が今も残っているというゲリアッハの「小屋村」に出掛けた。
   
   放牧小屋というのは夏の間、牛たちを放牧し、牛乳でバターやチーズを作り、また冬の間の飼料にするために草を刈って貯めておくなどの作業をする小屋で、秋になると牛たちを追って、再びふもとの村へ下りて行った。夏の間は、まだ学童である男の子(ひとつの小屋に一人)とチーズやバターを作る女性とが一緒に住んだ。男の子たちは放牧のほか、水汲み、薪集めなどの雑用をした。

 普通、谷は狭いので、放牧小屋は一軒というのが普通なのだが、ここはたまたま谷が比較的広いこと、水場がすぐそばにあることなど好条件が重なって、8軒を一緒に建てることができたのだそう。窓もなく住み心地はよくなさそう。仮住まいだから、食事も大したものは食べられなかったろう。厳しい自然条件の下で、急斜面で草を刈り、薪を集めた男の子たち。チーズ、バターの製造に精を出した女性たち、当時の人々の重労働とその生活に思いを馳せた。

放牧小屋

 パンフレットには「最後の駐車場から歩いて5分」と書いてあり、簡単に行けると思っていたら、確かにうそはなかったのだけれど、最後から2つ目の駐車場から最後の駐車場までの道のひどいこと!うねうね曲がった細い、砂利だらけの道で、最後から2番目の駐車場にいた人が、「歩いて1時間だよ。とても景色のいい道だよ」と言っていたところを、車で20分(?)くらいかかってしまった。しかも振動でバテるは、お尻は痛くなるは。道路が走りやすいかどうかが、これほどまでに疲れに影響を及ぼすんだと認識を新たにした日だった。ああ、疲れた!でも行ってよかった!
   
  2009年7月30日(木) 午後から豪雨
   昨日モースハーム城ではお昼休みになってしまって、パンフレットが買えなかったので、もう一度行って、パンフレットを買う。昼食を取って帰宅、休んでいるうちにすごい豪雨になったので、家で休むことにする。 

                                                  
 
雨上がり、すぐ向こうの野原からじかに生えたような大きな虹が出ました。こんなの初めて!

2009年7月31日(金)
   今日は昨年泊まったザンクト・ミヒャエルに行って見た。ものすごくおいしくて毎日のように通ったレストランに期待して出掛けたのに、お昼の定食はビュッフェ式になって自分で取りに行くように変わっており、ウェイトレスの対応もつれなくてガッカリ。ここはとにかく感動的にサービスがよく、しかもおいしく、内装も素晴らしくて大好きなレストランだったのだ。

 このレストランはホテルも経営しており、しかもウェルネスの方にも手を広げて非常に大規模にしてしまったため、経済危機の影響をもろに受けて、経費節約を強いられたんだろうね、と話したけれど、もちろん観光業界にも不況の波は広がっている。近年は、間際になってから割引パックを予約する人が増えたという。これで20%位費用が節約できるからだ。また宿泊日数が減り、田舎でも一週間、せいぜい二週間になって、三週間の休暇なんて夢になってしまった。もっとも、これはユーロに切り替わってから物価が大きく上昇したからという理由が大きく、休暇に限らず、日常生活でも安いスーパーに行く、特売情報に常に気をつけるというのが一般的になって来ている。

 そのあとタムスヴェークへ行き、またまたホーホライトナーのおいしいケーキでおやつ。お昼休みが終わったところを見計らって例の本屋に行き、ルンガウの本を購入。そのあと直しを頼んだディルンドゥルを取りに行った。試着したら、「わぁ〜、すごく似合う!」と褒めてくれたので、いい気分になって、そのまま着ていくことに。くるぶしまでスカート丈のあるロングのディルンドゥルだ。宿に戻ると、毎日ディルンドゥルを着ているし、自分でディルンドゥルも縫ってしまうという女主人は、エキゾチックな日本人がオーストリアの民族衣装を着ているのに大喜びしてくれて、ひとしきり話が弾んだ。どうも彼女は打ち解けるのに時間がかかる人だっただけみたい。

        
 

2009年8月1日(土)朝霧、後快晴。
   今日はマウテルンドルフの象徴とも言うべきマウテルンドルフ城へ。ここに来るのは3回目。展示構成やオーディオガイドがとてもよくできている。12時半からの塔のガイドツァーにも参加。それまでの待ち時間を利用して、中世の広間を利用したお城の食堂で、ルンガウ風ベーコン入りゆで団子スープを味わう。こくがあってとてもおいしかった!ガイドツァーでは城砦としての塔を守ってそこで暮らした人たちの日常生活を再体験。ガイドによって話すことが少しずつ違うのも興味深い。

 
  マウテルンドルフ城

   16世紀にはザルツブルク大司教区に属し、聖俗の領主を兼ねたコイチャッハ大司教がここを支配していた。大司教の日常生活も展示で垣間見ることができる。当時は横になって眠ると二度と目覚めないという迷信があったため、座って眠ったのだそうで、大司教のベッドの長さはたったの1.2m。座って眠るとどんなに眠れないかは、5月の肺炎の時に骨身に沁みて体験している。そう考えると、中世の人たちは睡眠障害者集団だったわけね。それとも慣れちゃうと、座っていてもぐっすり眠れるようになるのかしら。

 一度帰宅して休んでから、夕方、ほぼ隣村のヴァイスプリアッハへサムソンの行列を見に行く。サムソンは聖書の英雄を模した張子の人形で、5〜6mもの高さがあり、中に人が入って動かす。中世、キリスト教布教のために僧院から僧が送られ、目に見えて、教えがわかりやすい人形の姿のサムソンを地域の人々に広めたという。サムソンは男女二人の従者を連れて、地域の吹奏楽団と一緒に、時々立ち止まっては少し踊って進んで行く。行列が終わると広場でのコンサートが始まる。もちろん食べたり、飲んだりの楽しみは欠かせない。こうした行事は遊ぶ場所の少ない村の人たちの大きな楽しみなのだ。

あんまり可愛いのでついパチリ!

   ところでコンサートを聴いていると、最前列でクラリネットを吹いている若い女性に見覚えがある。あれ? こんなところに知っている人がいるなんて!? と思ってよく見ると、なんとディルンドゥルを買った時アドバイスしてくれた店員さん!思わず手を振ったら、向こうも気がついてニッコリして手を振ってくれた。

 そうかぁ、週日は店員さんで、週末は吹奏楽団員なのね。マリアプファル吹奏楽団の一員。地方の若い人の生活がちょっと想像できて、がんばってね、元気でね、と心の中で応援を送った。

             
         
   最前列右から3番目がアドバイスしてくれた店員さん

2009年8月2日(日)快晴
   今日もゆっくり出発。タムスヴェークでも午後1時からサムソンの行列があるというので、まずはお昼を食べる。お祭りの日とあって各レストランはかなり混んでいる。やっと見つけたイタリア料理店に入り、ピザを注文したら、なんと生地のおいしさったら!小麦粉の味が全然違う!こんなおいしいピザは初めて!これでお気に入りのお店がまたひとつ増えた。何だか嬉しくなって、お店を出たところで、会場への道を尋ねるついでに屋台のアイスクリームを買う。イタリアのアイスクリームはおいしいので有名。これもすごくおいしかった!

   少し離れた会場近く、サムソンがいた、いた! 周りに人がたくさん集まっている。吹奏楽隊の演奏が始まり、サムソンとともに少しずつ行進。大テントを張った会場まで、1時間くらいかけてゆっくり進んだ。会場では、すでに別の吹奏楽団が演奏している。折りたたみ式の長テーブルと長ベンチに座って、たくさんの人たちがビールを飲み、ソーセージを食べながらワイワイおしゃべりしている。ディルンドゥルを着ている女性、民族衣装の膝までの皮ズボンをはいている男性がたくさんいる。お祭りなので私もディルンドゥルを着て来た。3時半になって行進して来たタムスヴェーク吹奏楽団が、ようやく休憩を終え、前の吹奏楽団と交代して演奏を始める。リクエストしてください、とレパートリーを書いたビラが配られた。郡庁のあるタムスヴェークの吹奏楽団とあって、大所帯だ。疲れてきたので、1,2曲聴いて会場をあとにした。
     
ディルンドゥルでサムソンのおつきと一緒に

2009年8月3日(月)〜8月8日(土)
   あらら、翌日、どういうわけかまた熱が出た!昨日はカンカン照りだったので、直射日光に当たらないよう帽子もちゃんとかぶっていたのに、やっぱり1000mの山の空気とカンカン照りのお日様の力を過小評価してしまったということらしい。
   さて熱が出た時は、最高まで上がってから薬を飲まないとちゃんと効かない。今回はどうも勘違いして飲むタイミングを間違えたらしく、上がったり下がったりして、食事に出られたのは水曜日のお昼と、金曜日の晩だけ。それでも金曜日にはちゃんと下がり、土曜日にはきつかったけれど無事帰宅できた。

というわけで、何だか尻すぼみの休暇になってしまったけれど、第一週目はお天気にも恵まれ、気分の赴くまま、こんな解放感を味わったのは初めて、というくらいゆったりと過ごせたので、本当に楽しく、それだけで充分二週間分楽しめた。後に残ったのは素晴らしい思い出。これでまた元気にウィーン生活に戻って行ける。  

     

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