ウィーンのカフェーハウス・ 

                      

 カフェ・シュペルル

  カフェ・リッター

  カフェ・フラウエンフーバー

  フィルグラーダーシュティーゲ

  グリーン・シュタイドゥル

  カフェ・サヴォイ

  カフェ・バル  

  フラウエンカフェ

*「月刊ウィーン」はウィーンで発行されている日本語情報紙で、ウィーンを知り、楽しむのに必要な最新情報が一目でわかる便利な新聞です。「ウィーン音楽散歩」や「ウィーン知らなくてもいい話」などウィーンの文化に触れられる読み物も連載されています。ツーリストインフォメーション、主要ホテルなどに置いてあり、無料でもらえます。                             (発行者・福田和代、発行所・Arimori Translation)

  

♪カフェ・シュペルル  反アカデミズムの巣

   ウィーン6区、Gumpendorferstr.11   TEL. 554-1588

 月〜土 7〜23時、 日 15〜23時(7月と8月は日曜休み)

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 フォルクスガルテンのモーツァルト像から市外に向かって7分ほど歩く。1880年の創業以来、サフラン色の概観も、真鍮製のシックなランプ、椅子の赤ビロードの模様も守りつづけて今日に至っている頑固なカフェ(文化財指定)。テレビ撮影にもよく使われ、日本にできた「ウィーンのカフェ」のモデルにもなった。世紀末の頃はコロ・モーザー、ホフマン等、若い造形芸術家たちがたむろして反アカデミズムの気炎を上げた。彼らが暇に飽かせて描いた「シュペルルの画帖」は、今でもアルベルティーナで見ることができる。当時は隣りが陸軍幼年学校で、朝の乗馬の後はいつも色鮮やかな軍服に身を包んだ生徒たちで賑やかだったという。

  今では近くの工科大生がビリヤードを楽しんだり、何時間も粘ってレポートを書いたりしている。入口の向かいの重厚なカウンターでは、今日も恰幅のよい老主人が「ヘル・エンジニアX、お電話ですよ!」 居心地のよい居間を提供する伝統も変わらない。

(「月刊ウィーン」掲載、1990年6月1日取材)

 

 

♪カフェ・リッター  本物のボーイさん

   ウィーン6区、Mariahilfer Str. 73   TEL. 587-8237

          毎日 7時30分〜22時(8月は土曜休み)

 

 庶民的なショッピング・ストリートとして有名なマリアヒルファー通り。歩き疲れてふと目に入った古い構えのカフェに入る。一人なのを見てボーイさんが注文したコーヒーと一緒に雑誌を持ってきてくれた。しばらく雑誌をめくっていると、今度は水の入ったコップを持ってきて、さりげなくカラのコップと取り替えていった。とおりは地下鉄三号線の工事と、安くなり始めた夏物目当ての買い物客でごった返しているのに、カフェの中はなんだか時の流れが違うよう。人の出入りは多いのに、ゆったりとしたこの秘密は決してクラシックな内装だけではない。商談の三人連れが広いテーブルのある席を探してもらっている。そう、ソフトウェア、ボーイさんの温かくてきぱきとしたサービスが秘密だ、と気づく。
 
 建物はエスターハージー侯爵の夏の宮殿の一部だったそうで、カフェとしての創業は1887年。都会のオアシスとしての年期も本格的なのであった。(「月刊ウィーン」、1990年7月5日取材)

 

 

♪カフェ・フラウエンフーバー  歴史の証人

   ウィーン1区、Himmelpfortegasse 6   TEL. 512-4323

          月〜金 8〜23時、土は16時より、日・祭日は休み

 

 調度と言い、造りといい、いかにも古いウィーンのカフェといった雰囲気。低いアーチ形の天井が、その古さもただならないゾと思わせる。十八世紀の初め頃の建築と推定され、二百二年前、女帝マリア・テレジアのお抱え料理人であったフランツ・ヤーンが、ここに貴族相手のレストランを開いたのが飲食店としての始まりである。お客の願望を見抜く才にも恵まれていたヤーンは、音楽演奏や講演会等を積極的に取り入れ、一躍知的なハイソサエティーの間に名声を得た。モーツァルト(1788年)やベートーヴェン(1797年)の演奏を聞きながらの食事の味はどんなだったろうか。またロマン主義の旗手、A.W.シュレーゲルも、1808年のウィーン講演の際、ここでも15回の連続講演を行なっている。

 「カフェ・フラウエンフーバー」となったのは1891年。その後もよき市民の憩いの場としての伝統を守って今日に至る。歴史を肌で感じてみたい人にお勧め。(「月刊ウィーン」、1990年9月10日取材)

   

   

 ♪フィルグラーダー・シュティーゲ  階段の中のギャラリー・カフェ

   ウィーン6区、Fillgradergasse   TEL. 587-0748

          月〜金 18〜02時、土 20〜02時、日曜休み

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 ウィーンには階段の中にもカフェがあるというのをご存知だろうか? マリアヒルファー通りからグンペンドルファー通りに下りる位置に、薄緑色の鋳鉄の手すりのついたクラシックな階段がある。その中に1985年、階段の幅だけの奥行きの細長いギャラリー・カフェとしてオープンした。

 ポーランド出身の女主人ウルスラさんは、6人ほどでいっぱいになる小さなカウンターの中で休まず手を動かしながらも、相槌を打ったり、行き過ぎのお客にはそれとなくたしなめたり、自らも会話を楽しみつつ何気なく気を配る。カウンターに座れば自然に互いを紹介しあってもう語り合いが始まる。このくつろいだバーのような居心地のよさを愛して通う常連は多く、国籍も様々。思いがけない場所にカフェを発見して訪れる観光客も多い。大晦日には仲間同士のコンパのような年越しパーティが開かれる。入場は無料なので、このチャンスを利用して色々な国の人と友だちになってみては?

1990年11月9日取材)

 

 

♪グリーン・シュタイドゥル  十九世紀後半を生きた政治・文学カフェ

   ウィーン1区、Michaelerplatz 2   

          月〜日 7〜24時(食事7〜23時半)

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 十九世紀を生きた幻のカフェが、ほぼ百年を経た今年、蘇った。工業化の進展と富裕市民階級台頭の時代の潮流を担っていた「グリーンシュタイドゥル」である。創業の翌年、1848年の革命時には既に自由主義者の拠点となって自由主義的憲法制定の声を上げ、その後は反ユダヤ的ドイツ民族主義者がたむろしたかと思うと、同時にシオニスト達も出入りし、一方、ヴィクトル・アドラーを中心とした社会主義者達も集まっていた。

 文学カフェとしては、ヘルマン・バールを囲む「若きウィーン」派の拠点として特によく知られ、ホフマンスタールやシュニッツラーもいた。1897年の建物取り壊しと同時に閉店となったのを、自らも常連であったカール・クラウスは、「文学は宿無しとなった」と言って惜しんだ。壁に掛けられた当時の写真やイラストが興味深い。(「月刊ウィーン」、1990年12月3日取材)

 

 

♪カフェ・サヴォイ  世紀末のデカダンスを伝える

   ウィーン6区、Linke Wienzeile 36   TEL. 56-73-48

          月〜金 18〜02時、土 9〜18時・21〜02時

 

 世紀末と言えば、倦怠と退廃を思い浮かべる人も多いはずである。「サヴォイ」はまさにこの雰囲気を伝え、守るカフェと言える。土曜以外は夜のみ営業。ドアを開けた瞬間に異様な別世界の雰囲気に圧倒される。少々装飾過剰なバロック風内装、幾枚もの大きな鏡、あちこちに置かれた骨董品、BGMのクラシック音楽、そして得体の知れないお客たちが一体となって、世紀末の世界をかもしだす。ほとんどが常連で、劇場の引けた11時過ぎからは、アン・デア・ウィーン劇場やライムント劇場の俳優たちが集まる。劇場帰りの観客や、土曜日にはナッシュマルクトののみの市の冷やかし客たちも顔を見せる。

 カフェとしての創業は1880年。今世紀前半の大女優であったアデレ・サンドロックの行状は今でも語り草となっているし、戦後の占領時代はフランス兵の溜まり場でもあった。世紀末の退廃を再体験してみようという「何でも見てやろう派」にお勧めする。(「月刊ウィ―ン」、1991年1月10日取材)

 

 

♪カフェ・バル オリジナルケーキと食事と定期コンサート。カフェのルーツを求めて

   ウィーン1区、Ballgasse 5  TEL. 513-1754

          月〜金 8〜24時、土 11〜01時、日曜休業

 

 旧市街の細い小路に足を踏み入れると、タイムトンネルをくぐったかのように、ウィーンがまだ城壁に囲まれていた頃の世界が現れる。そんな狭い石畳の横丁の隠れた一角にカフェ・バルはある。一歩中に入ると、アーチ形の柱、壁の漆喰の白と腰および大きなカウンターの木の焦げ茶とのコントラストがはっと目を引く。しかしその印象は、世紀末のスタンド、壁に掛けられた世紀末のファッション画といった調度と見事に調和して、何とも心安らぐものである。いわゆる伝統的カフェとは異なった特色ある造りは、この建物が250年ほど前に建造された家具製造所であったところから来ている。

 創業は12年前。4ヶ月前に今のご主人であるクーペルトさんが引き継いだ。新しいながら「居心地のよい居間を提供する」というウィーンのカフェの伝統をさらに一歩遡ることを目指し、お客さんとの触れ合いの中から、都会で失われがちな温かい人間関係を積極的に育てていきたい、と熱を込める。既に常連の卒業祝いや誕生パーティが開かれ、そのポリシーは着々と実を結びつつある。オリジナルケーキ(25シリング)やスナックのほか、一日中食事もでき、数種の日替わりメニュー(50〜100シリング)はご主人自ら朝早く市場に買いに出掛け、新鮮な材料を選んで決める。自慢のカクテルの他、アルコール類も豊富である。ギタリストでもあるクーペルトさんは、9月からは定期的にコンサートを開き、埋もれた音楽家発見の場にもしたい、と抱負は尽きない。新しい主人を得て、カフェ・バルはますます魅力を増していきそうである。(「月刊ウィーン」、1990年8月9日取材)

 

♪フラウエンカフェ 女性のためのカフェ

   ウィーン8区、Lange Gasse 11  

     カフェ Tel. 43-37-54  月〜土 18〜02時  
    書店  Tel. 43-86-78  月〜金 09〜18時、土 09〜13時

 

女性しか入れないカフェがあると聞いて、さっそく取材に行った。夕方からのみの営業で、入口には「女性文化促進協会集会所」とちょっと硬い表現の看板が出ている。中は赤と黒を基調にしたモダンでこじんまりとしたカフェ。二人連れの若い女性が二組、落ち着いた雰囲気の中で会話を楽しんでいる。壁には仮装パーティのスナップ写真がたくさん貼ってあって、盛会の時の様子が伝わってくる。

 1977年に四人の女性運動家が協会の創立と共にカフェを開店、店の一部は女性関係の書店となっていたが、手狭になってきたので1982年、一軒先に書店が移転して独立、別経営になった。

 カフェに集まるのはウーマンリヴの女性からインフォメーションを求めてくる人、女性だけでおしゃべりを楽しみたい人まで様々。政治的にも文化的にも特定の立場を取らず、女性たちに気軽な溜まり場を提供すること自体がモットー。朗読会、展示会、コンサート、寄席、パーティなども開かれる。

 隣りの書店はあえて現在では蔑称として使われる「フラウエンツィマー」(女)という言葉を屋号として掲げ、女性についての、あるいは女性によって書かれた本をできるだけ幅広く置くようにしている。女性史については男性著者によるものも置かれている。七人の共同経営で、経営は苦しいけれど肩肘張らずに様々な立場を包み込んで、広く女性に自己認識の場を提供していきたい、という。隣りのカフェや会場を借りての講演会等も行なっている。(「月刊ウィーン」、1991年2月5日取材)

     

 

 

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