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2010年6月22日(火)再々入院から昨日、戻りました!

  6月4日にせっかく退院したのに、またまたどうしても下がらない高熱が出て、6月7日に再々入院してしまいました。家にいられたのはたったの3日間でした。
  
で、21日、2週間ぶりでやっと退院して来ました。前回、退院した時は暖房していた寒さだったのに、入院した週は、突然20℃も上がって、35度を超える暑さとなり、その週いっぱいその暑さが続きました。ところが、その後やって来たものすごい雨と風で気温が下がり、夜中に風邪を引いて、せっかく下がっていたところにまた熱を出してしまいました。その治療で3日くらいかかり、さらに今回は、前回のようなことにならないよう、しっかりやっつけておかないとということで、抗生物質治療をきっちりやったことで、滞在が延びました。

 最初の抗生物質治療の後、今度は予防のためということでさらに6日間の別の抗生物質の点滴を続けました。腸内細菌が壊滅しないようヨーグルトを食べ、下痢にならないようチョコレートを食べてお腹の方はどうにか守ることができましたが、かなり強い薬だったらしく、点滴中から疲労を感じました。信じられないでしょうが、病院に入院していると寝不足になります。病院のテンポに合わせた生活を強いられるからです。朝6時に検温、7時半に朝食、その後すぐに採血、点滴。その間に病室の清掃、ベッドメイキング、回診。その間を縫って様々な検査。病院治療の実際というのは、要するに一日に数時間、点滴につながれるということですが、一日に3回、同じ点滴を受ける時には、間を数時間空けなければいけないので、下手をすると最後の点滴が終わる頃にはもう夜中。夜中の1時、2時に突然急患が運び込まれてくることもあります。また点滴中は眠ることができません。

 そんなわけで昨日退院した時はものすごい疲労状態。で、家に帰り着いて2時間眠り、夜も10時間くらい眠り、さらに今日はお昼寝までして、やっと少し生き返った心地になりました。家だと本当に良く眠れるし、食事もおいしい!

 抗生物質は身体に大きな負担を強いるので免疫力がグッと落ちます。それに毎日の採血で、血液検査結果も落ち続けていきます。ヘモグロビンなんて、呼吸困難に陥りそうな値。たったの一日で採った分を生産できるわけないのに、経過を知る必要があるとはいえ、患者の状態をもう少し考慮したやり方はとれないのでしょうか? 

 さて、私の問題は、5月初めから出始めた原因不明の熱。何かの細菌による感染らしいのですが、何なのかは幾ら調べても不明。ということは、私の免疫力が落ちたのでしょうか? でもそれでは、「私の熱」がもう長い間出なくなっているのは、どう理解したらよいのでしょうか? どちらにしても免疫力が高ければ、少しぐらいの細菌が入って来ようと追い出せるわけですから、免疫力をつけるのは絶対に必要ですが、そのためには、よく休み、健康な食事をし、適度な運動をする、新鮮な空気の中に身を置く、といった一般的な方法しかありません。そうだ、たくさん入れてしまった抗生物質の毒を出来るだけ早く体外に出すデトックスも必要ですね。とにかくまずはその方向で努力するつもりです。  
  今度の入院治療経過を知らせ、ケヴィン先生に新しい処方の漢方薬を出してもらいました。7月初めには診察に行くので、細菌熱が出ないようにするにはどうして行ったらよいのか、よく相談するつもりです。どうぞこれからも応援をお願い致します。

       ******************

 掲示板でのたくさんの応援、また入院の間、メールを送って下さった方々、
ありがとうございました!メールは印刷してもらって、病院で読ませていただきました。とっても嬉しく、勇気をいっぱい頂きました!本当にありがとうございました。

  体力回復に努めて、できるだけ早くお返事が書けるようにしますので、どうかもう少しご辛抱下さいますようお願い致します。

 2010年6月12日(火)明美さんからのメッセージ

 はじめまして。ウィーン在住の「かずよ」です。
今日あけみさんから以下のメッセージを預かりました。

 『みなさん。6月4日にせっかく退院したのに6月7日に再々入院してしまいました。まだ退院の日は決まっていませんが、熱も下がりましたし、快方に向かっていますのでどうぞご安心下さい。どうもご心配おかけしました。あけみ』

 実は今日は前々から明美さんに私の手作りのおはぎをプレゼントすることになっていましたが、明美さんが急にまた入院してしまったため、おはぎ2個を携えてお見舞いに行きました。私が病室に到着したのは午後5時半前だったのに、明美さんは既に夕食(魚フライ)を食べ終える寸前でした。でも食後におはぎ1個をぺろりとたいらげてしまいました。食欲旺盛ですね。
明美さんが早く退院できるよう祈っています。 

2010年6月6日(日)久しぶりの切り番です!

5月31日に、かずよさんが、55,555番目の訪問者となりました!

かずよさん、お申し出、ありがとうございます! 
そしておめでとうございます!
5ばかり続くというのはなかなか取りにくい番号ですから、
何かいいことありそうです。どうぞ、下のURLをクリックして
下さいね。いっぺんに55555の載ったリストに飛びます。

さて次のお土産つき切り番は60000番です。
踏んだ方にはささやかですがプレゼントを差し上げます。

でもまだその前に、56789とか56000、56565とか色々な
面白番が待っています。つかまえたら、どうぞぜひお知らせ下さいね。
ハンドルネーム、踏んだ日と共に、あなたの切り番をリストに
永久保存致します。どうぞよろしくお願いしますねぇ!
http://dhonyaku.ehoh.net/Kiriban2.html#*切り番リスト4*

2010年6月6日(日)入院中にメールを下さった方々、    

     
 
  
   
ありがとうございました。嬉しく拝見致しました。病院に印刷して持って来てもらって、お手紙は読ませて頂いたのですが、お返事が書けず、すっかり失礼をしてしまっています。申し訳ありませんが、もうしばらくお待ち下さいますようお願い申し上げます。

   おとといとりあえず退院はして来ましたが、病院で上げ膳・据え膳の上にベッドに横になっていて元気、というのと、日常生活ができる元気、との間には雲泥の差があり、抗生物質のせいもあってすぐ疲れるので、あと1日、2日は寝たり、起きたりということになると思います。しかも今回は、頭部を上げたベッドの上に座っていることが多かったのですが、こういう座り方は腰と背中に悪いだろうなあと感じてはいたものの、後はベッドに横になるしか可能性がないわけですから、血圧を余り下げないためにもなるべく起きているようにしていました。

 で、家に戻って来たら、突然腰がギックリ腰の前段階状態!腰を伸ばしても曲げても、どうやってもビリビリと痛いので、薬を塗って、そうっと横になり、比較的楽な姿勢を見つけたら、そのままスローモーションのへっぴり腰で、家の中を徘徊していました。でも一番辛かったのはおとといで、昨日、今日とどんどん楽になって来ました。もう一息です。

 今回は、首の静脈切開をして、採血、点滴の度にあちこち刺さなくていいようにカヴァカテーテルという静脈の出入り口を作りました。どうしてもたくさんの点滴や採血をしなければならない場合は、私のようにほとんど静脈が見つからないような患者は、これを作って全てをここから済ませる方が、身体がずっと楽だからです。形成手術も、今年は、まず最初に意識をもうろうとさせて、麻酔を余り感じないで済むように点滴が行われたし、若い女医さんがとても上手にやってくれたので、昨年より楽でした。しかも取り付け位置も抜群だったと見えて、入院中、血管がつまるとか、血が出て来ないとかいった問題は一切なく、全てスムーズに行きました。

  退院の時に取ってもらったカヴァカテーテルの後には、今大きな絆創膏が貼ってあって、明日にはそれを取ってシャワーを浴びてよいことになっています。髪が洗えるのはそれからです。ああ、早く人間らしい姿になりた〜い!

 

2010年6月5日(土)昨日2度目の退院、して来ました。
   
実は、退院して1週間しか経たない5月23日に、「私の熱」ではない高熱が出て、どうしても下がらず、また緊急入院してしまいました。

  それで皆さんに入院することだけでもお知らせしようと、もうすぐ病人搬送車が来るという時に、大急ぎで、熱が下がらないのでこれから入院します、でもそんなに長くはならないと思いますので、どうぞ待っていて下さい、とだけ、掲示板に書きこんで、送信し、画面に現れたのを確認して、搬送車に乗りました。

   それなのに昨日、退院して来て、ここを開いたら、私の書いたスレッドが消えています! 一体どうして!!??

   そうなると、掲示板を見て下さった方も、私の入院を知ることは出来なかったわけですから、皆さんにお伝えできないまま、2週間近く、掲示板を留守にしてしまったことになってしまいました。そのためにご心配をおかけしてしまったことと思います。本当に失礼を致しました。ごめんなさい! 

  でも書き込んだスレッドが勝手に消えてしまったなんて初めてです! 例えば誰かが操作すると一緒に消えてしまう、というようなことがあるのでしょうか!?

  入院生活のご報告は後にして、まずは取り急ぎ、入院していたこと、6月4日(金)に退院したことだけ、お知らせ致します。

 この記事は、掲示板に書いたものですが、更新日誌だけをご覧になっていられる方にもお伝えするために、少し変えて、再掲載致しました。

2010年5月18日(火)ケヴィン先生
   
今日、漢方のケヴィン先生のところに診察に行ったので、感染の原因が検査してもわからなかった話をしたら、「あなたの場合は、免疫システムが他の人よりずっと弱いので、検査で数値としては出て来ない量の細菌でも、高熱が出てしまうからだと思いますよ。だから普通の人が参ってしまうような感染だったら、
あなたはとっくに死んでます(とは言わなかったけど、意味としてはそういうことね)。あなたの場合はだから、調べても多分原因は出て来ないでしょう」だって。
    そうだった、私は、感染しやすく、かつ一度感染すると治りにくいんだってこと、もっとしっかり意識して気をつけなきゃね、と思ったことでした。でもね、今回の熱は何のせいだったのか、本当に全く思い当たらないのです。う〜ん、注意力が足りないのかなあ。

  さて、帰りは久しぶりにいつものイタリア料理店へ。今日のお昼の定食は、裏ごしほうれん草のスープ、トマトソースがけミートボールにポテトピューレ添え。ものすごくよくある平凡なお料理なのに、その一つ一つの味がなんとデリケートな
こと!ごく普通のお料理をこんなに洗練された味に出来るなんて、さすが「赤鶏亭」!盛り付けもきれいだし、さらにここはデザートが抜群。今日は小さなチョコレートケーキだったけれど、あんまりおいしくてまだ何か食べたくなっちゃって、ティラミスを注文してしまいました。おいしい食事が人を幸せにしてくれるって本当にあるんだなあと、心底実感した日でした。もうニコニコになってしまって、熱と入院の思い出なんて、いっぺんに吹き飛んじゃいました。

2010年5月16日(日)至福の月(のはずの)、五月にまた

    梅雨のような5月です


   
入院してしまいました。でも今回は8日間の滞在で済みました。今日のお昼過ぎ、退院して来たところです。熱が副腎皮質ホルモン剤でも下がらなかったので、週末だったため救急医に来てもらったら、即入院になりました。

  結局2回とも抗生物質で熱を下げたのですが、でも今年は去年みたいに
1日3リットルもの点滴漬けにすることはなく、その半分以下でした。私の静脈はものすごく細くて、点滴や採血のために針を刺すところがなかなか見つからない上、すぐ詰まってしまうので何度も針を刺し直さなくてはなりません。昨年は途中で肺炎になってしまったため、さらに点滴を続ける必要があったので、首の右側の静脈を切開して点滴の入り口を作りました。それもずっと持つわけではないので2週間後には左側に作り直しました。というわけで静脈が見つからないと、本当にやっかいです。何よりも痛い!

  4日目にいつも採血や針刺しに来るS先生が、「これからも毎日採血しろだって」、と言いながら、たくさんの試験管の入った入れ物を持って、やって来ました。前回はようやく右足に針が刺せたのでしたが、今度はあちこち探りましたがついにダメ。「だいたいこんなに静脈の細い患者から毎日採血しろという方が無理なんだ。君の静脈を探すのは、全く地獄だよ。僕から主任医師に話してみるよ」と言って帰って行ったと思ったら、その後すぐに女医のA先生がやって来ました。彼女は刺すのがものすごく上手!今回は、多分炎症値を調べるためだけのごく小さな試験管に採血しただけでした。S先生と話して、彼女が来たのかと思ったら、そうではないと言うので、S先生との経過を話したら、「そうよ!それに毎日採血したら身体も弱っていくんだから、やたら採血するのもよくないわ。主任医師に話して見るわ!」と、ありがたいお言葉!

  熱は3日目に既に下がっていたし、詳しい検査のための大量採血ももう済んではいたのですが、昨年の例があるので、そのうちまた誰かが点滴抱えて刺しに来るのではないか、下手すると、点滴続けるために、静脈切開しなさいなんて言われるのではないかと、ドキドキしていましたが、夕方になると看護師さんがやって来て、「針、抜きます」。「えっ!また新たに刺すんですか?」と聞くと、「ううん、多分、もうなし!」「ということは点滴もなし?」「多分ね」。う〜ん、多分じゃ、落ち着かないんだけどなあ…。翌日の13日は、『キリスト昇天祭』で祝日。やたら静かで何にもない。毎日の回診も今日は、「何か必要なことはありますか?ない?はい、ではどうぞお大事に」でおしまい。何なの〜? 何とか言ってよ〜。と思いつつ、落ち着かない日を過ごしました。

  翌朝になると、何と錠剤が出ました。点滴をやめて錠剤の抗生物質に切り替えてくれたのです。採血ももうありませんでした。そうして回診の時、主任医師のB先生の言うことには、「体温も落ち着いているし、様子を見て何もなかったら、月曜か火曜には退院だね」ですって! S先生とA先生のおかげ! ありがとう、S先生、A先生!

   さらに翌日の土曜日には、月曜日に退院と言うことになりました。で、今日日曜日、団欒室で朝食を摂っていたら、B先生がやって来て、「もう体温も落ち着いているんだし、検査ももうないんだから、もう1日待つこともないわけだし、今日退院にしましょう。水曜日まで抗生物質を飲んで、金曜日の9時に血液コントロールに外来に来て下さいね。詳細血液検査の結果は出たら郵送します」。
わ〜い、ばんざ〜い!!! というわけで、急遽、今日退院ができたわけでした。

 それにしても昨年と今年の治療方針、何かあった時の対処の仕方の違いには驚きました。オーストリアでは、各病棟の階ごとに、主任医師と医師二人が配属され、この三人からなる医療チームが、その階に入院している全ての患者の治療を一緒に担当するのが一般的です。私のいた階は、満室だとすると患者数は28人。

 まず抗生物質や解熱鎮痛剤は、必要とあれば使うけれども、必要最小限に抑えるようにしているし、例えば針を刺せる静脈がないなどの患者の状態に応じて、状況が許せば、点滴をやめて錠剤に切り替えるなど、臨機応変に対処しています。またそれは主任医師とアシスタントの医師たちとの間の意思疎通がうまく行っているからこそできることです。主任医師が直接患者を診察することはほとんどないので、検査結果など数値で表せる患者の状態把握はできても、実際に患者に接する医師でなければわからないことも当然あるからです。

  最終的に治療方針を決めるのは主任医師ですが、昨年のように誰も言ってくれなければ、あるいは主任医師が押し通せば、全身で7リットルしかない血液を、重態の患者から、5週間、合計で1.5リットル採血してしまうことも起こり得るわけです。昨年、「こんなに毎日たくさん採血したら、身体弱っちゃいますよね」と暗に抗議したら、「あ、だいじょうぶ、影響はほとんどありませんから」(ないわけないでしょう!?)でおしまい。余りの点滴の量に、身体がもう抗生物質を受け付けなくなり、気持ち悪くて食べ物も飲み物もうけつけなくなってしまったので、事情を話し、「ですから抗生物質の種類を変えるか、量を減らしてもらうことはできないでしょうか」とお願いしたら、「いいえ、今の薬は効いているので、耐えてもらうしかありません!」 

  患者を衰弱させてもその処置が本当に必要かどうかを考えると言う発想が昨年の医療チームには全くありませんでしたから、今回医療の原点を忘れないでいてくれる医師たちに出会えたのは、本当に嬉しいことでした。

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